◇お山の庵◇  (2)





その夜、空木うつぎはかすかな物音で目が覚めた。


と言うか何かの気配だ。


お山のいおりでよく感じていたものだ。

山奥のうっそうとした人の手が入っていない自然に潜む気配、

うとうとしながら庵には長い間帰っていないなと彼女は思ったが、

いわゆる物の怪の気配がこの都会の台所にある。

彼女ははっと目が覚めた。


空木は起き上がると、

そろそろと薄く電気がついている階段を下りて行った。


この時間は夜中だがもしかすると誰かが起きているのかもしれない。

だが尋常でもないのだ。


音を立てずキッチンに近づくと明かりはついていた。

人の気配はする。


空木はこっそりと覗いてみた。

ちらりとヒナトリの髪が見えた。風呂上りなのだろうか乱れた様子だ。

彼女は一瞬ホッとするがその首筋に白い女性の腕が見えた。


まずい場面に来たのかもしれないと彼女はどきりとする。

すぐにこの場から離れなくてはいけない。

だがこの気配は……。


その時だ、キッチンから瞬間的に何かのが彼女の間近に迫った。

一瞬だ、彼女は上から何かが見下すのを感じた。

生臭くぬるりとした何か、

だが香水と酒の匂いもがする。


「邪魔するんじゃない。」


その何かがシュルシュルと音を立てて言った。


それは巨大な蛇だった。

正確に言えば上半身は女性、下半身は蛇のいわゆる蛇女だ。


「あなたは……。」


空木にはその顔に覚えがあった。

今日の昼に店を覗いていた美女だ。


白川しろかわさん。」

「えっ、何で名前知ってるの?」

「ヒナトリさんが教えてくれました。」


昼間はどこかの高級クラブのママ然とした彼女は蛇女だったのだ。

空木はびっくりはしたが違和感はなかった。


「ヒナトリ、あたしの事しゃべったの?」


白川は怒った声でヒナトリを見た。

ヒナトリはベンチにだらしなく座っていた。


「大丈夫だよ、彼女は。穂積師ほずみしの娘さんだ。」


だるそうに彼が言う。


「穂積師の?」


意外そうな顔をして白川が空木を見た。

その姿はすでに人に戻っていた。


「穂積師に娘さんがいただなんて知らなかったわ。

あたしは白川京香しろかわきょうかよ、昼間ちらりと見たけどまさか穂積師の娘さんとは。」


値踏むように彼女は空木を見た。

だが、急に空木の首筋に鼻を近づけると匂いをかぎだした。


「キイチゴの匂いがする。」


舌を出し入れしながら執拗に匂いをかぐ。

空木も物の怪には抵抗はないがさすがに気色が悪い。

少し後ずさりして、


「ごめんなさい、何か邪魔したみたいですね、部屋に戻ります。」


部屋から出ようとした。


「おいおい、勘違いするなよ、俺は白川にを分けていたんだぜ。

癒しのだ。

このママさんは時々来るお客さんだよ。」

「お客さん?」

「ここは都会のど真ん中だろ。物の怪やらが生きていくにはが少々足りない。

で、俺様は癒しのたちだ。

だから時々こうやって俺の所に来てを吸いに来る。

他にも時々誰か来るから空木も知っといてくれ。」

「そう言うこと。でもあたしはいつかあなたを本当に食べるつもりよ。」


白川がにやにやしながらヒナトリに言った。


「でもこの子、空木ちゃん、なんだかすごく緑の香りがするわ。

それとキイチゴの匂いが…。」


白川が舌なめずりする。

蛇はキイチゴも食べる。きっと好物なのだろう。


「キイチゴがお好きなのですか?」

「好きよ、大好き。でもここだとキイチゴなんて絶対に手に入らないわ。

こんないい香り、久しぶり……。」


シュルシュルと彼女の下半身が蛇に変わり空木の体に巻き付いて来た。


「空木、喰われるぞ。どうする。」


空木の顔に白川は頬を寄せてにやにやしている。

油断したら本当に食べられてしまうかもしれない。

空木はぞっとした。


「ま、待って下さい。お山のいおりには私が作ったキイチゴ酒とかあります。

他のお酒もあります。薬草もあります。

そう言うのじゃダメなんですか?」


白川の動きが止まった。




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