◇ヒナトリ・アンティーク◇  (4)




「今からお客様がいらっしゃるから静かにしてろよ。」


夕方に朝とは打って変わってびしりと決めたヒナトリが空木うつぎに言った。

髪型も整え背広を着てかなり見栄えの良い紳士だ。


「分かっているだろうが、

ここにいらっしゃるお客様は普通のお客様じゃない。

いわゆる上流階級、だ。」


空木はあまりの変わり様にあっけにとられて無言でうなずいた。

店構えとその雰囲気から明らかに大量に販売する店ではないのは分かる。


「あの服はペリさんが用意したの?」


空木はこっそりとペリに聞いた。


「そうだヨ。ヒナトリに任せたらとんでもない感じになるよ。

ボクがスタイリスト。格好良いでしョ。」


少しばかりクラシカルな感じのする丈が長めの背広で、

胸元に落ち着いたデザインのラペルピンが刺さっている。


「今からお客さんが来るから別の部屋にいてネ、

それとお茶の準備とか出来るかな?もう動けるみたいだし。」

「お茶ですか?」

「お客さんに出す美味し~~~いお茶。」


ペリがウィンクをする。

空木は一瞬戸惑ったが一宿一飯の恩義がある。

キッチンに向かうと周りを眺めた。


「高そうなものばかり。」


今朝もペリが出した茶器も高そうな薄手の茶器だった。

使うのが少しばかり怖かった。


「何にしたらいいのか……。」


紅茶やコーヒーでは加減が分からない。

ならば……。






「まさかこんなところでこれに出会うとは……。」


張りのある浅黒い肌の男性がうっとりとしたように指輪を見ていた。


「アンティークというほど古くはありませんが割れもなく

美しいメキシコオパールです。」


ヒナトリの手のひらに大き目の赤い炎のようなゆらめきを持つ

メキシコオパールの指輪があった。

ドームのように丸くカットされて台座には爪でシンプルに止められている。


「石の下部分に乱れはありますがこれが乱反射して遊色が実に美しい。」

「そうだな、この赤は心に残る色だ。私の奥さんにとても似合うと思う。」

「お国にお帰りになるんですよね。」

「ああ、メキシコに二十年ぶりだ、ずいぶん変わったと思う。

メキシコに帰るのにメキシコオパールと言うのも変かもしれないが

この赤には心が惹かれる。」

「石も喜んでいると思いますよ。」


ヒナトリはそっと指輪をリングケースに戻した。

その時、ペリがお茶を持って来た。


「ペリ、それは……。」


ヒナトリが小さな声で聞く。

だがペリはお茶を出した。

瀬戸焼のぽってりとした湯飲みだ。


「……緑茶ですか?」


異国の紳士が少し眉をしかめる。


「ペリ、このお客様はコーヒーのはずだが。」

「構いません、いただきましょう。」


こちらを気遣っての紳士の言葉だろう。

彼は湯飲みを持つと恐る恐る飲みだした。

ゆっくりと少しづつ。

ヒナトリは緊張した面持ちで彼を見ている。

そして、


「いや驚いた。」


時間をかけてだが紳士はすべて飲み干して一言言った。


「私は緑茶は苦手なのだがこれは実に美味しかった。

緑茶はこんなに美味しいものだったのか。」


お世辞ではないようだ。


「大変失礼しました。

でもお気に召されたのでしょうか。お世辞ではありませんか。」


ヒナトリは聞く。


「お世辞ではないよ。美味しかったよ。

今まで私が飲んで来た緑茶は何だったのだろう。ありがとう。」


紳士はにこにこしながら帰っていった。


「ペリ、お前が淹れたのか?」


紳士が帰った後ヒナトリが聞いた。


「空木チャンだよ。ボクがコーヒーと言い忘れたから緑茶を入れてたんだ。

どうしようかと思ったけど飲んでみて驚いたヨ。」

「お前も上手い方だがあいつそんなにお茶を入れるのが上手いのか?」

「うん、緑茶に関しては名人だ。

他のものは加減が分からないと言っていたけど絶対にすぐに上手くなるヨ。」


ヒナトリは腕組みをして何かしら考え出した。




「空木、話がある。」


キッチンに向かうと空木はぼんやりと座っていた。


「あ、はい、」

「お前、先ほどのお客様に緑茶を出したな。」


ヒナトリは腕組みをしたまま見下ろすように言った。


「え、ええ、それぐらいしか上手に出せない気がして。」

「あのお客様は緑茶は苦手だった。いつもはコーヒーを出していたんだ。」


空木の顔色が変わる。


「あ、あの、ごめんなさい……。」

「まあ、ペリが言い忘れていたらしいから仕方ないが、気を付けるように。」

「……はい。」

「それでだな、」


ヒナトリはぞんざいな口ぶりで言った。


「お客様は大変美味しいお茶で驚いたとおっしゃっていた。

こんなおいしい緑茶は初めてだと。」

「え?」

「だからとりあえず今日からお前はここのお茶係だ。

日本茶はいいが他のものも早く覚えろ。

分かったな。」

「ち、ちょっと待って下さい。私は体が戻ったらいおりに帰ります。」

「戻るってお前、穂積師から聞いてないのか?」


ヒナトリが聞いた。


「穂積師はお前を街から出すなと言ったぞ。

離れるにしても短期間だと。」


空木は思い出した。


あの暗くて嫌な感じのする空間で意識を失う寸前

父が言った言葉を。


― お前はこの術の中心となったのだ

  この街から出れば術は徐々に消え去る

  長く離れてはいかん

  お前は街と一体となったのだ


彼女はぎくりとした。


すっかり忘れていた。


自分は囚われたのだ。

多分永遠に。


彼女の顔色が変わる。


それを見てヒナトリは穂積師がなぜ空木を自分の所に連れて来たのか

何となく理解した。


「空木。」


ヒナトリが彼女の隣に座る。

優しい声だ。


「俺は詳しい事は分からん。

ただ、穂積師がお前をここに連れて来た意味は何となく分かった。

多分お前を守れと言う事だと思う。

この街で一番安全な場所だからだ。」


彼は胸元から小さなケースを出した。

それを開くとあの契約の刀があった。


万年青おもとから送られたものだがどのような意図なのかは分からんが、

その鞘をお前が持っている。

お前はこの街から出られない、そして俺はそれを守る。

それがこの刀の契約なのかもしれん。

俺達はこの契約から逃れる事は出来ん。」


空木はちらりと刀を見て首から下げた紐を引っ張り出した。

そこには刀の鞘があった。


「これからどんな事が起きるのか俺にも分からんが

これがここにある以上は俺達は契約を結ぶしかない。

それはお前にも分かるな。」


空木は俯いたままうなずいた。


「今のこの契約が終われば刀はまた別れるだろう。

逆らうことはできない。

運命に身をゆだねよう。」


しばらく沈黙が続き、空木がゆっくりと無言で

鞘を持ちヒナトリが刀を差し込んだ。


彼らにとって運命を変える程の出来事は音もなく素早く済んだ。

一瞬だけ二人の手が重なる。


小さな空木の手と大きなヒナトリの手が微かに触れて、

お互いのぬくもりが二人に伝わる。


二人はそれぞれがまだどんな人間なのかも分からない。

ただ、伝わった温かみは柔らかかった。


刀は固く閉ざされ、二度と抜くことは出来なかった。

離れるのはヒナトリが言った通り、約束が成就した時なのだろう。


ヒナトリは刀をケースにしまう。

空木が大きくため息をついた。

ヒナトリもどうしていいのか分からなかったが、


「飯、飯だ。」


彼が立つ。


「お前、お茶が淹れられるなら飯も作れるな。

まずかったら追い出すぞ。」


空木があっけにとられたように見上げたが、

少しばかり泣きそうな顔になった。

だが、


「ご飯ぐらいつくれます。」


少しくぐもった声で答えた。


「じゃあ作れ、俺は大食いだぞ。」


空木の肩が震える。

それは笑っているのか泣いているのか分からなかった。



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