緑の一族(1)
「ミナ―ゼか……」
メシャルに貰った地図と睨めっこしながら啓は切り株に座って昼食を食べている。
「えーと、ここがティッシで三時間ぐらい歩いたから、今この辺かな?ミナ―ゼは3つ先の町か。ふーん。大きいんだ。地球で言うラスベガスみたいな所なんだろうなぁ」
地図上に示された町はティッシの倍以上の大きさだった。
「まぁ、確かに村と町じゃ違うだろうね」
「やっぱそうだよねぇ。探すの大変そう」
―――誰?
啓は慌てて立ち上がった。化け物、という単語が脳内を支配する。
「どこ?」
「頑張って探してる所悪いけどねぇ、アンタが今まで座ってた切り株だよ」
「でも、口ないのに」
「無くても話せるんだよ」
馬鹿なことを言うな。口が無くて話せるなんて聞いたことが無い。
「…あたし、まだ疲れてるのかな」
「失礼な子だね」
啓はしゃがみこむと切り株をまじまじと見つめ、ぺチリ、と軽く叩いた。
「何すんのさ」
「信じられなくて……」
「どーでも良いけどね。信じてもらおうとそうでないと。ところでアンタ、ミナーゼに何しに行くんだい?」
「何って、人探しだけど」
「ふぅん。人探しって誰探してんの?」
「レヴィオス」
「知り合いかい?」
なんだ、この切り株。なんでこんなに知りたがるんだ?
「なんでそんなに、聞くの?」
「知りたいからさ。知り合いなのかい?そうでないのかい?」
明らかにアンタには関係無いだろう。だけど、もしかしたら知ってるかもしれない。いや、でもなんか嫌な感じが……。
「か、関係無いでしょ、切り株には」
「あーらそう、んじゃあ、切り株じゃなかったら良いってわけね」
―――はい?
啓は背後から羽交い絞めにされた。
「いきなりなんなのよっ!アタシってこんなのばっかり!ちょっと放してよ!!」
間に余計な言葉が入ったが啓は必死に抵抗した。しかし腕はびくともしない。そんな啓の目の前で切り株がひとりでにぐしゃりとへこんだ。
「…えっ」
驚きで一瞬言葉に詰まる。
メキメキと音を立て、あちことがボコボコと膨らんだりへこんでいる。やがて切り株の真ん中からにょっきりと人の腕が飛び出した。
「ぎ、ぎゃぁぁ!なっ何コレ?!信じられない!切り株の中から腕がっ!!」
「うーるさいわねぇ。」
バキバキと音が激しくなり、啓の目の前にもう片方の腕も現れる。そして、ズボッと女の顔が飛び出した。啓はもはや声も出ない。
その女性はひょいと切り株から飛び出した。すると彼女が手を放すのと同時に切り株は異常な速さで腐り、乾燥し、風に吹かれて跡形も無くなった。
「そんな、どうなってんの…あ、あんた誰よ。」
「あたし?アタシはトリジュ族で王族直属軍三軍隊長のイリド。」
訳のわからない啓だったが一つだけ知っていたことがあった。
―――トリジュ族。
確かメシャルもそうだったはずだ。彼と一緒に居たから違和感を感じなかったけど、この女の髪も葉が生えている。メシャルと違って肌の色は茶色っぽい。
イリドがぐっと啓の顎を持ち上げる。
「アンタ、ティッシから来たって言っていたわよね」
「それがなんだってのよ」
「…じゃー、アンタが他の世界から来た救世主だね?」
「!」
啓の心臓がドクン、と大きく打った。目を見開いてイリドという目の前の女を凝視する。
なんで、この人。
ぐるぐるとその考えだけが頭を駆け巡る。うろたえる啓を見てイリドはにんまりと笑った。
「そんなにすぐ顔に出しちゃあダメだよ、アンタ。この世界には悪さをする奴もいっぱい居るんだからさ」
「あ、アンタも悪さをする奴、なの?」
イリドが啓を見下ろす。啓の汗が額から流れ落ちた。
「…アタシがぁ?何言ってんだい。アタシは長の命令でお前を迎えに来ただけさ」
くつくつと笑いながらそう答えた。
啓の体中から力が抜ける。一気に脱力した。
「アタシ達の里にはお付きの空間師が居てね。ソイツがアンタのことを教えてくれたって訳よ」
「空間師が?」
啓が俯き気味だった顔を上げてイリドを見つめる。
「そうさ、名はザイザックっていう。直属軍の一軍隊長だよ。…アタシは好かないけどね。」
なんだ、レヴィオスじゃないのか…。
啓はあからさまにガッカリした。しかしすぐに気を取り直す。空間師ならレヴィオスを知ってるかもしれない。それにしても、トリジュ族の長が私に何の用があるのだろうか。
内心、啓は首をかしげる。
彼女はこれから自分が巻き込まれる事件のことなんて全く知る由も無かった。
□□□
「ここから入んのよ」
イリドが目の前の巨大な切り株を軽く指で示す。啓は興味をそそられて近づき、何重にも重ねられている年輪をしげしげと見つめた。
「そんなことしてると危ないよ」
イリドがそう呟いた。その声に特に慌てた様子も無かったので啓は思い切り油断していた。
「え?」
聞き返して啓がイリドへ視線を向けた時、ゴンッと鈍い音を立ててその切り株が啓の顔面にヒットした。
「い゛っ…!」
後は声にならない。
強打した鼻を右手で抑え、痛みを堪えるために左手で地面を激しく叩いた。
「だーから言ったでしょうに」
イリドが半分面白そうに、半分呆れたように言った。
―――何がどうなったの?
啓は痛みに顔をゆがめながら切り株を見る。そして、瞬時に事態を理解した。切り株の年輪の部分は蓋だったようだ。マンホールの蓋のような物だ。
下からトリジュ族の痩せた男の人が両手でバーベルでも持ち上げるかのようにして、その蓋を持ち上げている。その細い腕が傍目にわかるほどプルプルと震えていた。
しかし啓は今そんな彼に同情していられない。
―――勢い良すぎだろう。
啓は心の奥底からそう思った。
もっと優しく蓋を持ち上げてくれていれば私はこんなことにはならなかった。ふつふつと初対面の痩せ男に対して怒りが湧いてくる。
「久しぶりだな、ジョルジョ。大丈夫かい、震えているじゃないか。いつもの事だが」
「お久しぶりです、イリド様。この度は無事のご帰還と任務の遂行おめでとうございます」
いささか震える声でジョルジョと呼ばれた男は答えた。男にしては高い声が余計に啓の神経を逆撫でする。
「あっちに居るのが救世主だよ」
バチッとジョルジョと啓の目が合う。
「…なんと、若い方なのですな。…鼻を抑えておられるようですが怪我でもなさっているんですか」
「ちょっとね。…アンタ、そんな所で座ってないでこっちに来な。さっさと中に入るよ。ジョルジョが支えられてるうちにね」
啓はジョルジョを睨みつけながら近づき、穴の中を覗きこんだ。底の見えない闇が広がっている。階段も見当たらない。
「イリドさん、これどうやって行けば」
啓が言い終わらないうちにドン、と背中を押された。
「え、」
体が傾く。地震の時のことがフラッシュバックした。
あの時と同じように一瞬全身を浮遊感が支配し、次の瞬間にはまっ逆さまに落下していく。啓は全身を丸めて硬く目を瞑って迫り来る「その」時を待った。
―――良くて骨折…。
啓の全身に衝撃が走る。
「いったー!!」
反射的に口から漏れる言葉。しかし、その言葉は状況と噛み合っていなかった。
「く、ない。けど」
木の樹液だろうか、粘々の液が全身に絡み付いている。
「気持ち悪い…」
啓の体は穴の出口付近にクモの巣のように張り巡らされた伸縮する植物のツルによって受け止められたのだった。粘液はおそらく受け止めた後、反動で再び体が浮かび上がり天井に激突するのを防ぐためにあるのだろう。
啓に続いてイリドとジョルジョも落下してきた。その衝撃でツルが揺れる。
「うー…気持ち悪…」
啓は立ち上がろうともがいたが、状況を悪化させただけだった。
「あっ!救世主様、動かれてはダメです。じっとしていて下さい。勘違いされます!」
「勘違いって、何によ!」
ジョルジョの言葉に怒声で返す。
「アイーダにです。タランチュラです、喰われたくなければどうか落ち着きください」
『わらわは好かぬ、そのタランチュラという呼び方は。品が無くていけない』
女性の声がした。
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