緑の一族(2)
啓は全身を硬くした。
タランチュラってクモのことだよね?間違いないよね?
『ほう、ジョルジュとイリド様、それから、そこに居る小娘が例の救世主かい?』
「いかにも。アイーダ、我々を解放して欲しい」
ジョルジュの声が朗々と響いた。先程の震えていた声の面影は全く無かった。
『ふん、最近は餌に困っておらんし…』
少し考えるような間があいた。
『良かろう。わらわは此処に匿ってもらっておる身の上故、そなた達を傷つけられん。ちょっと待っておれ』
次の瞬間頭上から大量のクモが降り注いだ。堪えきれずに啓は叫んだ。
「アンタ、一匹も殺すんじゃないよ!」
「救世主様、じっとしていて下さい!しばらくの辛抱です!!」
イリドとジョルジョの声が重なる。
『救世主は活きが良い』
二人の怒鳴り声、そしてアイ―ダの呟きにさすがの啓も口を閉じる。しかし全身が総毛立った。体中をクモが這いまわり、丁寧に粘着物を取り去っていく。足や腕や腹ならともかく、顔までもゴソゴソと動きまわるのだ。
これで、叫ぶなという方がどうかしてる。
啓は必至に歯を食いしばった。
『これで動けるだろう。行くが良い』
アイーダの声を合図とするかのように小さなクモたちは一斉に上へと帰っていった。啓は恐る恐る手の指先を動かし、そして握った。
「早く立ちな」
イリドが急かす。
啓はふらふらと立ち上がり、蔓の上をジョルジョの案内にしたがった。
□□□
木の蔓に覆われた洞穴の中を手探りに進んでいる。
「あの小さいクモは何なんですか……?」
独り言のような啓の呟きに先頭を歩くジョルジョがわりと元気よく答えた。
「さっきのは自分達の糸で我々を絡めとる粘着物質を溶かしてくれていたのです。彼らの糸は強い酸性なので」
つまり私の体には今あのクモ達の糸が絡まっているというわけだな。
啓はその事実に嘆息をもらした。
「まさかとは思うけど人体に影響は…?」
ジョルジョが振り返ってげっそりと微笑んだ。やつれた頬も少し薄い髪も彼の今までの苦労を表しているかのようだ。微笑んでいても、「にっこり」とはとても形容できない。
「2時間以内に綺麗に洗い落とせばなんら影響はありません。ご心配なく」
「2時間以内に着くのか?」
イリドがからかうように尋ねた。啓としてはここでジョルジョに「ご心配なく」と言って欲しい所だった。そう言うに違いないと思っていた。しかし思いのほか彼の返事は遅く、口を開いたかと思うと微笑を失った生気の無い顔だ。
「…さて、どうでしょうか」
「どういうことよ?」
尋ねた啓にジョルジョは眉をハの字にして答える。
「バージュラスはどこから現れるかわからないものですからペースを落としてコソコソと行くしかないのです。この道は完全に安全というわけではありませんが比較的安全なので…」
曖昧。
「バージュラスって何?」
「バージュラスってのはね昆虫族のことさ。あいつ等の中には有毒の者も居る。その一団が辺りの木を病気にしていくもんだから私達が抵抗して今ちょっとピリピリしてるのさ。簡単に言えば戦争中」
イリドが肩を竦めた。
なにそれ。何でそんな所に私が行かないといけないのよ!自分から危険に飛び込んでいくようなものだ。
「帰る」
「なんだって?」
「帰る。さっきの場所に帰る。戦争のことは、聞いてなかった」
「ちょっと待ちな」
踵を返して歩き出した啓の腕をイリドが掴む。
「勝手なことしてもらっちゃ困る」
「それはこっちのセリフよ」
腕を振りほどいた。
「何でそんな危険な所に行かなきゃいけないわけ?そんなの御免よ。私にはやらなくちゃいけないことがいっぱいあるんだから」
啓は駆け出した。
「あっ!こら、ちょっと危ないよ!戻って来な!」
戻るもんか。勘弁してくれ。長が自分になんの用だか気になるけど、空間師が居るのも魅力だけど、自分の命を危険さらしてまでは望まない。
啓はがむしゃらに走った。
途中何度も蔓に足を取られ、転倒したが気にせず走って、今、アイーダの空間にまで戻ってきている。粘つく蔓から距離をおいたところに啓は立っていた。
『おや、救世主。何の用だい?』
面白そうな女性の声が天から降ってくる。
「地上に帰るの」
『ムリな相談だね。此処からは一方通行なんだ』
「どうして?!」
『先も言ったが、わらわは匿ってもらう身の上。地上から隔離されているこの空間が一番安全。救世主を助けることはできぬ。助けたいとも思わない』
「でもさっきジョルジョは此処から出てきた!」
『それはジョルジョの能力だ。わらわは何も協力しておらん。この空間を行き来できるのはアヤツの一族だけ』
「そんな…」
突然ガサッと啓の背後で物音がした。
「イリド、しつこい!私は帰るから!!絶対アンタ達の里になんか行かない!」
啓が振り返って叫ぶ。しかし目の前には誰も居なかった。
「あれ?」
ガサガサッと再び音がする。
「アイーダさん、小さいクモを動かしてるの?」
返事は無く、また無気味な音がした。
「ちょっと、誰よ?」
啓の握り締めた手が汗ばむ。彼女は服でゴシゴシと拭いた。そろりと腰に挿してある短剣の柄を握る。薄暗く、静かな空間が啓の恐怖心を煽った。
「出て来い!」
『では、お言葉に甘えて。』
啓の腹部に鋭い痛みが走った。
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