千山万水の国

旅立ち(1)

「地震だ!!」

 誰かの声が教室に響き渡り、皆、混乱しながらも机の下に潜り込む。

 どんっ、という衝撃音。そして全身が上へと突き上げられた。そして、右に左に激しく揺さぶられる。

 花瓶の割れる音がした。

 あーあ、朝せっかく水替えたのに。

 宮島啓は脳内で舌打ちをする。

 他の教室の女子生徒の叫び声や、逃げる足音が廊下からひっきりなしに聞こえる。にもかかわらず、彼女の居る教室だけは異様に静かだ。皆、一様に身を縮め、必死で机にしがみ付いていた。

 ―――長い。

 今までの啓の人生でこんなに長い地震は初めてだった。少しぐらり、とするくらいは慣れっこだ。でもこれは違う。本能的にわかっていた。今までの地震とは種類が違う。

 歯を食いしばって、しっかりと目を瞑って、ひたすらに耐えた。これほどに自分の足元が不安定な物だったとは。窓ガラスにヒビが入ったところを見た。本棚が倒れた音がした。教師の怒鳴り声がする。

 こんなに、日常が、こんなにもろい均衡で保たれていたとは。

 先ほど机にぶつけた額がズキズキと痛んだ。

 血が出てるんじゃないか?いやだ、顔に傷。でも、上手くいけば保健室で授業サボる口実になるかも。


 「みんな、大丈夫ですか?」


 揺れが収まった頃、教室に担任の声が響いた。それを合図に生徒は次々と机の下から這い出てくる。皆、恐怖やら興奮がない交ぜになっているようだ。そわそわと落ち着きが無い。啓も 目を開いて眩暈を懸命に堪えながら立ち上がった。大きく伸びをする。首をぐるりと一回転させて緊張をほぐそうと試み、ふと気づいた。

 すぐ横の窓には一際大きな亀裂が入っていた。それを上から下まで眺め、啓はそろりと近寄った。うっすらと自分の姿が映っている。そっと手をなぞらせた。


 「……え?」


 ちらりと見えた窓ガラスの「向こう側」。

 自分の背後に背の高い、

 「男の人?」

 慌てて後ろを振り返る。それと同時に再び地面から突き上げられた。軽く足が浮き上がる。

 「ウソでしょ…!」

 派手な音をたてて背後の窓ガラスが砕け散った。校舎が大き傾ぎ、啓はバランスを崩して窓の外に放り出された。

 「ちょっ、待って待って、ウソっ落ちる!」

 景色がスローモーションで克明に流れていく。いくつもの画面が脳に浮かんでは消える。どんどん教室の窓が離れていく。


 ―――もうダメだ。もうダメなんだ。死ぬんだなぁ。

 スローモーションで周りは流れているのだが、人生を振り返って一々後悔する暇は与えられずに地面が迫ってきた。啓は、当然目を瞑った。


 しかし次の瞬間、バチーンと激しく痛々しい音を立てて頭から水に飲み込まれたのだ。荒波に揉まれながらぐるぐると体が回る。弄ばれているようだ。右に行くのかと思えば左へ、そうでなければ上、下、と。


 □□□


 ざざん、と海の音が聞こえた。

 母なる海、とかいうもんね。生き物は海から誕生し、海に帰るんだわ。納得。

 天国はきっとあるのだろうし、自分はさしたる悪行もつんでいないのだから、当然天国行きだし、もしやこれは三途の川の水音なのかしらね。などと啓は倒れ伏したまま考える。

 でもできることなら生き返りたいもんだわ。

 三途の川を渡っている最中に舟から飛び降りたら生き返ることができる、なんて話を聞いたことがあるけど、本当だろうか。だとしたら自分はこのまま横にころころと転がっていき、水の中をずんずんと進んでいくだけで生き返れたりするのだろうか。まさかそんな、でも、まさかまさか。どうせもう死んでいるのだから何事も挑戦、なんて。

 「私の根性なしー。」

 ごろんと、体を転がすと、いきなり視界に男の顔が飛び込んできた。

 「!」

 啓は硬直し、そろりと視線を男の頭上に移動させる。輪っかが見えたら大当たりなのだが、

 「あるはずないわよね。」

 「……何が?」

 「そもそも、こんなにこんがり肌の天使なんて。南国の天使?笑える。」

 「お前、真顔だけど。」

 男は首を傾げた。啓も首を傾げた。

 「誰よ、あなた。天国からの使いには見えないし。」

 「俺は空間師。ミランダ・ジュノバール。」

 にっこり笑って啓の手を掴むと無理やりに立ち上がらせる。

 空間師?

 「聞いたことないけど。国家資格かなんか?」

 「……あー、知らねーの。本当に?」

 深く頷いた啓を見て、ミランダと名乗った男は半笑いを浮かべた。そして困ったように片手で頭を掻く。

 「それより手、放してよね」

 「あ、悪いな」

 と言いながらも視線は宙を泳ぎ、まったく手を放す気配は無い。

 なんなの、この人。

 啓は慣れない事態に焦りやら不安やらで手から汗が噴きだした。

 「あれ、緊張してる?こんなに汗かいちゃってら。……それより、空間師の説明から入るな。お前なにも知らないと厳しいだろ、さすがにこれからさ」

 パッと手を放すと落ちていた枝を掴み、しゃがみこんで砂浜に正方形を描いた。その中を突っつきながら啓を見上げる。

 「空間ってのはさー、こういう物のこと。わかるだろ?空間師ってのはそれを自由に飛びまわれる奴らのことを言うんだよ」

 先ほどの正方形の横にもう一つ同じ物を描く。そしてそれを矢印で繋ぐ。「行き、来。行き、来」と言いながら何度もその矢印をなぞった。そしてニヤリと笑う。

 「俺、何気に説明うまいし」

 「いや、別に?」

 男は啓の指摘をまったく気にせずに話を先に進める。困った男だ。しかし、することもなく、当てもなく、死んでしまっている自分には時間の余裕もある。身の危険も何も、死んでいるんでした。

 「空間を移動するにはいったんパズルに行かなきゃならねーんだけどさ、そこ薄暗いのね」

 早口に捲くし立てる。なんだ、パズルって。

 「俺、裏切り者を追いかけてる所だったんだけど、取っ組み合いになってその途中で腕をつかまれて無理やりピースを剥がさせられたんだ、困ったことに。本当悪い事したと思うんだけどそれでピースが散らばったわけ」

 それは可哀想に。

 1000ピースパズルをやっていてもうすぐ完成という所で、まだ幼かった弟に初めの状態にまで戻されてしまった時の苦い思い出が頭をよぎった。トイレに行った短い間にあの小僧めは私の芸術品を破壊したのだ。

 目の前の男も似たようなことが起こったのだろう。家族か友達か、とにかく取っ組み合いの喧嘩をして頑張って作り上げた芸術品を、無理やりとはいえ、自分自身の手で破壊させられるなんて哀れなことこの上ない。

 「で、ビッグバンが起きて」

 そんなに衝撃的だったのか。変わった比喩表現を使う男だ。

 「まずいことに新しいブラックホールができた」

 パズルに穴が空いたということだな。

 「そこに散らばったピースが吸い込まれてったんだ」

 なるほど。あんたはパズルを元通りに戻したわけだ。めでたし、めでたし。

 「そのピースに書き込まれてた名前の人物で世界を元に戻せそうなのは俺が調べた限りではお前だけなんだ」

 ピースに書き込まれてた名前?人名パズルか何かかな?珍しい。……世界を元に戻す?さすがにぶっ飛びすぎで理解の範疇をあっという間に通り過ぎたぞ。

 「なんで?おかしくない?あんたの言葉を借りると結局ブラックホールにピースが吸い込まれてった訳でしょう?それで元通りじゃないの」

 ミランダは眉根を寄せて啓を見つめる。

 「お前、真面目に話し聞いてたか?」

 「私は大真面目」

 「ブラックホールに飲み込まれたピースは違う空間に飛ばされる。お前の場合はこの海だ。分かるか?」

 「いや、まったくわかんない。だって私、死んでるんだし。パズルと私の関係も」

 ミランダはがっくりと肩を落とした。

 「……生きてるよ、普通に活き活きと生きてる。心拍は確認したか?血も流れてるな?体温もあるだろ?」

 言われてハッと気付いた。心臓がドキドキと脈打ち出す。

 そうだ、なんで私こんなにドキドキしてるのよ。なに、まさか本当に生きてるわけ?

 「じゃあ、ここはどこなのよ……?私は学校に居たのよ?」


 「だーかーら、さっきから言ってるだろ?飛ばされたんだ、異世界に。もう、お前の居た世界は遠くなんだよ」

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