旅立ち(2)
「なんですって?」
生きてる?私が。
―――そりゃ良かった。
確かにさっきから心臓がうるさいし、体温もある。死んだような気がしなかったのにも納得だ。でも、それ以外の話の意味がわからない。
パズルの話がどうして私に繋がっているんだ。そもそもパズルってなんなんだ。異世界に飛ばされた?ファンタジー小説じゃあるまいし。
ミランダは首を傾げる啓の前で考え込み、しばらくして思い出したように顔を輝かせた。ぽん、という音を立てて彼の持っていた木の枝が杖に変わる。
「え、今の何?」
啓の問いかけは無視され、ミランダは地面に円を書いて中に何か色々と描き込み、その円の中に杖を突き立てた。
何か怖い。啓はその場に留まるか逃走するかの二択に迫られた。
しかし、結論を出す前に杖の先から何か光が噴出した。CG?
しばらく見ていると奥のほうから何かが歩いてきた。啓は目を凝らした。そして目を疑った。
「棒人間」
奥からこちらへ向かってやって来たのは見紛うことなき棒人間だった。あのひょろひょろとした棒と丸だけで構成されている、棒人間だ。更によく見ると口と鼻があった。
「これが俺。で、コイツが居るのがパズルな」
一つ理解した。パズルってのは場所の名前なのね。
棒人間はてくてくとパズル内を歩き回る。その足元だけが不自然に明るい。何かを探しているようだ。きょろきょろとせわしなく首を巡らしている。
「そろそろだぞ」
何が?と、啓が問い返そうとした時、突然もう一人棒人間が現れた。頭にシルクハットをかぶっている。
「あれが裏切り者。ヴェノス・ニックタールだ」
ミランダは苦虫を噛み潰したような顔をして呟いた。そんな彼をちらりと見やって映像に視線を戻す。
二人の棒人間は取っ組み合いをはじめた。どんなに転がってもシルクハットが頭から落ちないのが啓は不思議だった。接着剤でくっつけているのだろうか。
そしてヴェノスという棒人間がミランダの上に馬乗りになる。棒人間の数少ない顔のパーツである口が笑みを浮かべた。そしてミランダの棒のような、いや、まさしく棒の腕を掴んで地面の「何か」を剥ぎ取らせたのだ。
小さな何かが飛び散った。そしてヴェノスはミランダの弁慶の泣き所と思われる部分を細腕で殴りつけ、どこかに駆けていく。しかしミランダは追いかけるどころかあんぐりと口を開けて呆然と辺りを見つめていた。その視線の先の物体ががアップで映し出される。
「ピース……?」
驚いたことにミランダたちが戦っていたのはパズルの上だったのだ。それも異常な大きさの。そうとしか考えられない。アップで映し出されたのは啓も良く知っているジグソーパズルのピースだった。一つとして同じ物は無く、出っ張ったり凹んでいたりするあの『ピース』。
そのパズルのピースが棒人間のミランダの足元に散らばっていた。
本当に名前が書き込んである。人名パズルなんて難しすぎるだろうに……。
つまずいて穴が空いたことに、なぜミランダがあれほど嘆いていたのか理由が理解できた。彼のやっていたパズルは完成させることがとても難しいようだ。死ぬまでかかるんじゃないか?それを破壊されたなんて。ミランダは芸術家か何かなのだろうか。アーティストとか呼ばれている人たちは啓には理解不能なことに熱意を燃やし、執着し、集中し、時間を割き、自らを捧げている。
棒人間が立ち上がった。一瞬、棒人間の前に立っている人物が見えた。
「あれは、何者なの?」
「穴を見とけ」
質問にぐらい答えてくれたっていいじゃないか。
啓は不貞腐れながらも穴を見ていた。するとピースがカタカタと揺れ始めた。どうやら地震が起こっているようである。少しずつ少しずつピースは穴の方へ近づいていく。そして吸い込まれるように飲み込まれていく。
「……え?」
啓は目を擦った。そしてもう一度今にも飲み込まれそうなピースを見つめる。
―――そんな馬鹿な。
そんな馬鹿なことってあるか。
私はまだコイツに名乗ってない。
何故。
どくんどくんと心臓の音が耳につく。鳥肌が立った。
「ねぇ、なんで私の名前が書いてあるのよ」
そのピースも他のと同様にカタカタと動く。
「止めてよ、ねぇ、なんでボーっと見てるのよ!!」
拾え、拾え!手で掬い取れば良いじゃないか。穴に手を入れて掴み出せば良い。
映像が途切れた。
□□□
『違う空間に飛ばされた。』
そんなことありえない。そんなファンタジーなことありえない。
啓は自分の頬をつねった。
―――痛くない、痛くない、痛くない。
念じてみたがダメだった。体は素直だ。痛いものは痛い。
夢ではない。足もある。心臓も動いている。ならば、今この木の杖が映し出した映像も現実なのだ。だが、その映像の内容が現実にあったこととは限らない。
「嘘よ」
ミランダはチラリと啓を見下ろしたが何も言わなかった。
「ウソよね。今のはあなたの作り出した映像よね。現実にはこんなこと起きてない。だってそうじゃない。なんとでも説明できるわよ。名前だって、探偵でも雇って調べたんじゃないの?そうでなくてもどうとでも知る方法はあるわよね。ここだって異世界って言う証拠は?普通の浜辺じゃない!……こんな意味わかんない映像見せて、なんなのよ、あんた。私に何の用なのよ」
「……まだ、続きがある」
杖がまた光を出した。
「見たくない!」
啓は顔を背ける。
「そうか、それでも俺は見るぞ」
ミランダは無情にもそう言い捨てた。残されたのは沈黙。杖から音は流れてこない。
啓は杖と逆を向き、辺りを見渡した。視線を上げると少し離れた道を歩く中睦まじい一組のカップル。
足元の小石を蹴飛ばした。予想外に勢い良く飛んでいった石は派手な音をたてた。カップルの男性が振り向く。啓と目が合った。
「……!」
叫び声すら出せず凍りついた。足が震える。目が、離せない。
「人間じゃない」
ぼそりと呟いた。自分の声が遠くから聞こえる。
金髪。太陽に照らされてとても綺麗だと思った。きっとかっこいい男なんだろうなと無意識に一瞬考えていた。だから余計に衝撃だった。彼の肌はうろこに覆われて太陽の光をきらきらと反射していた。だが、二足歩行で、顔には目と鼻と耳と口があり、そこだけなんとか人っぽさを取り留めていた。目の色は青一色。
動けない啓をよそに、カップルは腕を絡ませ、おそらく、痒くなるようなラブトークをしながら歩いていく。
カップルとすれ違った老人、この人は頭の上に壷が載っていた。見たところ、髭が異常に長いことを除けば普通の人だ。さっきのはやはり見間違いだったか、と啓がほっと息を吐き、都合の良い結論を出した時、その頭の壷からぬるりと蛇が姿を現した。その大きさはとても壷に収まっていたとは思えない。そして次の瞬間、老人を丸呑みにしてしまったのである。
蛇の体が不自然に変形する。老人が蛇の腹の中で抵抗しているのが見ていてわかる。啓は吐き気を堪えた。
「今の何……?」
蛇は頭に壷を乗せて地面を滑っていく。
―――もしかして、本当に異世界?
今みたいなことが日常的に道端で行われている所なんて地球上にあるのだろうか?と言うか、まず、鱗に覆われたあんな生物がいない。さっきの蛇の大きさも尋常じゃない。自分は本当におかしな所に居る。地球なのか、そうでないのかはともかく、普通ではない所に居ることだけは確かだった。
事態を少し飲み込み、啓はふらふらと数歩進んでしゃがみこんだ。頭を抱える。
何が、どうなってるんだか……。
視界の端に見たことも無い美しい花が咲いていた。啓はなんとなく立ち上がりふらり、とその花に近づく。
「やめとけ。それは肉食花だぞ」
啓は立ち止まる。ゆっくりと振り返るとミランダの背が見えた。背中に眼でもついているのか、あの男は。
□□□
「今からお前の映像が始まるぞ。見なくて良いのか」
ミランダが啓に問い掛ける。
―――無知ほど恐ろしいものはない。
ここは、どうやら本当に異世界なのだ。私の居た世界とは違うらしい。よくわからないが、ミランダの言っていた事からして今すぐ元の世界に帰るというのは不可能なのだろう。自分がここに居るのにはあの『パズル』と自分の名が書かれていた『ピース』が関わっている。そして、それを元に戻せばきっと地球に帰れる。直せるならばとっくに直しているはず。できないから自分が今ここに居るのだ。
そして、目の前のミランダと言う男はどういう事情で啓がここに居るのかを知っている。元に戻る方法も知っている。彼の手助けがいる。だから今は彼の言うことに従うのが賢明だ。
「見る」
啓は再び杖に向き直った。奥のほうに何か固まりが見える。
―――あれが、私なんだな。
棒人間の啓はしゃがみこんで机を握り締めている。どういうカメラアングルなのか、周りの生徒は映っていない。啓が一人机の下にもぐりこんで縦に横に揺さぶられている。やがて棒人間は机の下から這い出した。大きく伸びをすると首を回す。そして窓際に寄って、背後を振り返り、ガクンと体が後方に傾いた。
棒人間が窓から投げ出されるとカメラアングルが切り替わって少し離れた所から落下していく棒人間を映し出す。
「……えっ」
啓はそれを見て思わず声を出した。棒人間の彼女は投げ出されるように校舎の窓から飛び出して落下していく。しかし、学校の校舎自体は「傾いていなかった」のだ。その光景は啓が想像していた物とは違っていた。
「私、もっと学校がぐらぐらしていると思ってたのに……」
だからその反動で自分が窓から放り出されたのだと思っていた。
「違ったんだ」
落下していく棒人間は身を縮めている。そして、地面に叩きつけられることなく飲み込まれていった。
「ブラックホールに引き寄せられたんだろうな」
横でミランダが呟いた。
映像の中では棒人間が海に揉まれている。薄っぺらいその体は今にも千切れてしまいそうで啓はハラハラした。
やがて、波が穏やかになり棒人間は海辺に打ち上げられた。ぐったりと死んだように動かない。
そして、再び映像が途切れた。
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