第2話 絆

 あなたとはじめて言葉を交したのは私が高等女学校に通いはじめた頃でした。許嫁として紹介されたあなたに私は一目で恋をしました。私の理想をまるで絵に描いたような美青年が、優しい眼差しで微笑みかけるように私の前に現れたのです。胸の鼓動が一気に高鳴り、時が止まった瞬間でした。


 あなたが私の前に現れたのは、血の繋がった家族と一緒に暮らすことができなかった私への神様からのせめてもの贈り物かと……。はじめて本当の家族に出会えたような気がしたんです。養父母の顔色を伺いながらの窮屈な毎日に輝くような光が差し込んだ瞬間でした。


 あなたの胸に抱かれる日を夢見て、学生時代は過ぎてゆきました。薬学専門学校(学校教育法施行後の薬学部)に通っていた頃は勉学に励むより、映画鑑賞にうつつを抜かしながら、あなたへの思いを膨らませていきました。そして私達は約束を果たし、結ばれたのです。やがてあなたの子を身籠り、そしてすぐに運命の別れが……。あなたは軍医として私達家族とお国のためにと出かけて行ってしまったのです。


 昭和十六年、大平洋戦争が勃発してすぐにあなたにも召集令状が届きました。当時医院を営んでいた私の養家に婿養子として入り、医者を務めていたあなたは、軍医としてお国のために働くことを誇りに思っていました。私はただただ、意気揚々と思いを語るあなたの元気な帰りを祈ることしかできませんでした。戦争はまだはじまったばかりで、そのとき若かったあなたも私もその悲惨な実情を推し量る器量もなく、日本国全体を覆っていた「お国のために」という美辞麗句に賛同し、素直に従っていたのでした。やがてあなたの訃報を受け取るまでにはそれほど時間はかかりませんでした。あなたと私の絆である尊い命は私のお腹の中ですくすくとその命を育んでいました。


 昭和十七年、戦争が激しくなる中、私は出産の時を迎え、あなたによく似た色白の可愛い女の子を生みました。そしてその子を千代ちよと名付けました。あなたと私が結ばれた愛の結晶でもある赤子の世話をしながら、私はあなたが戦地から帰ってくる日を心待ちにするようになりました。


 私のささやかな願いとは裏腹に戦禍は激しくなる一方で私達の日々の生活は脅かされていきました。そしてついに、あなたはフィリピンのレイテ島の海洋沖で行方不明になったと所属部隊から悲しい訃報が届いたのです。銃撃戦に加えて砲射爆撃でアメリカ軍から攻撃された日本軍は壊滅的な被害を受け、生きていることは先ずないだろうとの報告でした。悲しい訃報を受け取った私は頭が真っ白になって、涙も出ずに呆然と立ち尽くしていたのでした。


——そんなわけはない……戦地から帰ってきたら家族として温かい家庭を築いていこうと約束したのに……。あなたが私達の娘を抱くこともなく、この世を去ってしまうなんて……そんなわけはない……。


 何度も何度もそんな言葉が脳裏を木霊し、私はあなたはきっと行方不明になっただけで、いつか私の元へと帰ってくると思い込んでしまったのです。否、そう思い込まなければ私は生まれたばかりの娘と一緒に生きていく勇気さえも失っていたかもしれません……。生まれてすぐに養子に出された私が昔から静かに思い描いていた願いは家族仲良く一緒に暮らすことでした。生まれたばかりの赤子の父親がもうすでにこの世にいないなんてことは考えたくはなかったのです。

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