第二話  新界開発区

 新界開発区はとある県に設けられた産業特区だ。

 新界関連の技術の保護などを目的としており、開発区に入るには身分証明書の提示を始めとした検査を受ける必要がある。

 ――と、聞いていたのだが。


「……意外とスルー」


 運転免許証を見せるだけでさらっと新界開発区に入れた千早は拍子抜けする。事前に応募書類を出していたことが功を奏したのだろう。

 高速道路の料金所のような検問を抜けると森が続く。開発区内を移動する専用バスに乗り込んで、千早はパンフレットを開いた。


 新界開発区は東京二十三区に匹敵する面積を持っている。区内には各企業の支社、アクタノイドの工場や研究区画、アクタノイドを操作する技師であるアクターの居住地域などが点在している。

 千早が向かっているのは開発区の玄関口にして第一区と評される行政区。新界資源庁を始めとした政府系の庁舎があり、新界開発区の住民票なども管理している。


 引っ越すのだから住民票を移さないといけない。産業スパイを警戒して住民の管理は徹底されているのだ。

 森を抜けると新築の建物ばかりが並ぶ見るからに新しい町が姿を現した。どこか事務的な印象の飾り気がないコンクリートの建物が並ぶこの場所が、第一区だ。

 建物の入り口の両脇には警備員が操作するアクタノイドが駐機しており、どこか物々しさも感じる。


 停留所でバスを降りた千早はカエルの鳴き声に耳を傾けつつ市庁舎に入った。

 きょろきょろと見回していると、職員らしき青い制服を着た女性が声をかけてくる。


「ご案内しましょうか?」

「うっ……ダイジョブ、です」


 反射的に身を引いて、千早は震える指で案内板を指し示す。そして、住民票の管理を行う市政窓口へ逃げた。

 ばくばくしている心臓を押さえつつ、千早はプリントアウトしておいた書類をまとめて窓口に持っていき、帽子を目深にかぶりなおす。


「お、おねがい、します」

「はい、少々お待ちください」


 てきぱきとした仕事ぶりを発揮する窓口の職員にホッとして、千早はちらりと案内板を横目に見る。

 住民票の提出が終われば、今度は説明会だ。

 千早が応募し、合格したのはアクタノイドの操作業務、すなわちアクター枠だ。

 新界の開発を行う現場職であり、会社に所属しない個人職である。

 そのため、新界資源庁が主催する説明会や操作訓練が実施されており、千早もこれに参加する予定だった。


「――お待たせしました。こちら、新界開発区における身分証です。提示を求められることも多いので肌身離さず持っていてください」

「あ、はい、どうも、です」


 どもりながら震える手で身分証を受け取り、用は済んだとばかりに窓口から早足で逃げ出す。

 呼吸を整えながら、千早は説明会の会場へと足を運んだ。

 会場に並ぶ数十の椅子の最後列の端に座り、そっと椅子を横にずらして人との距離を取る。


 いつでも視線を逸らせるように上目遣いで会場の様子を窺う。千早と同じアクター志望だろう二十代の男女が三十人ほど、互いに距離を開けて座っている。すでにグループができているのか、何人かで固まっている場合もあるものの、ほとんどが会場入り口で配られる説明冊子を読んでいた。


 千早も彼らにならい、冊子を開く。

 新界の法的位置づけなどの仰々しい説明文が並んでいるが、事前に調べたことと内容は変わらない。ざっと目を通した千早はアクタノイドの項目を開いて手を止めた。


 アクタノイドは用途や特性に合わせて五つに分類されているらしい。

 様々な環境で扱うことができるラウンダー系、速さ特化のスプリンター系、通信電波の強度を増して周囲のアクタノイドとの通信を強化するランノイド系、アクタノイドの修理を新界で行うメディカロイド系、特注されたいわゆる専用機であるオーダー系。


 政府が貸し出してくれるのはラウンダー系に分類されるオールラウンダーらしい。

 説明会そのものは冊子の内容の内、重要な点を軽く説明するだけで終わった。特に質問もなく、問題もない。

 問題なのはここからだ。


「では、インストラクターの方と個別に操作訓練に移ります。名前を呼ばれた方から会場を出て、インストラクターと合流し、アクタールームへ移ってください」


 個別と聞いた瞬間、千早はおどおどし始める。

 逃げ出すわけにもいかず、猛獣を前にしたウサギのように縮こまっていた。


「兎吹千早さん、移動してください」

「はひ」


 席を立ち、猫背になりながら会場を出る。

 廊下には体重の九割が筋肉で出来ていそうな男性が立っていた。


「やぁ、君のインストラクターを務める岩筋猛だ。さあ、ついてきてくれ」


 大声を出しているわけではないのに廊下に響く聞き取りやすい明るい声。

 元気、陽気、気合の三点揃った人間が発することのできる場を支配する空気。

 岩筋のオーラに弾き飛ばされて、千早はよろめいた。


「大丈夫かい!?」


 岩筋が慌てて支えようとする手を、千早は両腕を突き出して拒否し、半笑いになりながら答える。


「ふへっ、大丈夫、っす」

「そうかい? 男性が苦手なら女性のインストラクターと代わることもできるよ?」


 良い人なのだろう。岩筋が廊下を振り返るのにつられて、千早も横目で他のインストラクターを見る。

 男女関係なく陽のオーラを纏っている。この廊下だけ明度が他に比べて三倍くらいになっている。


「どうする?」

「だいじょ、ぶ」


 膝が笑っている千早が言っても説得力はないだろうが、本人が言うのならと岩筋は心配そうな目をしつつアクタールームへ先導を始めた。


「アクタノイドの操作技師、つまりアクターはモーションキャプチャーを利用してアクタノイドを操作するんだ。アクターの身体の動きをそのままアクタノイドに反映するから感覚的に操作できる反面、アクターの運動能力の制約を受ける。例えば、僕はバク転ができるけど、君はどうかな?」

「できない、です」

「だとすると、君が操作するアクタノイドは性能に関係なくバク転を再現できないわけだ。だからこそ、アクターは体が資本。きっちり鍛えた方がいいよ。女性向けの会員制ジムも新界開発区にあるから、利用してみてね」

「へへっ」


 愛想笑いすら気持ち悪い千早に嫌な顔一つせず、岩筋は一つの扉の前で足を止めた。


「それじゃあ中に入るよ。カメラが設置されているからその点は安心してほしい」


 岩筋が扉を開けて、千早に中に入るよう促す。

 広々とした部屋だった。防音壁に囲まれ、いくつものモニターが壁に設置されている。壁掛けにはグローブなどの機材が置かれている。

 入り口横にはオールラウンダーの模型が安置されていた。

 岩筋が模型を指さす。


「実習で使うのはオールラウンダー。最初に開発されたアクタノイドでソフト面はぜい弱だけど、通信環境が多少悪くても動ける特性がある。ラウンダー系としては軽量で装甲も薄めだから軽ラウンダー系なんて呼ばれるね」


 重ラウンダー系もあるのかと質問が脳裏をよぎったが、千早は後で調べることにした。

 単純に質問が苦手なだけである。


「それでは、機材の装着から始めよう。足に関してはあちらの感圧式のマットレスを使って走らせたりもできるんだけど、今回は完全マニュアルでいく。あの専用靴を履いてね」


 岩筋の指示に従って機材を装着していく。言いなりになってしまった方が早く終わるのだと自分に言い聞かせて、素早く機材を装着し終えた千早に岩筋が拍手した。


「事前に調べてきたのかな? 手がかからなくて助かるよ。では、動かしてみよう!」


 岩筋がモニターの電源を入れる。


「アクタノイドは新界にあるからどうしてもタイムラグが発生するんだ。試しに、顔の前に持ってきて」


 言われた通りにすると、中央のモニターに機械の手がぬっとあらわれた。

 手を握ったり開いたりして見ると、モニターの向こうで機械の手が開閉する。

 少々の違和感がある。一秒にも満たないがタイムラグが発生していた。


「これくらいであれば徐々に慣れてくると思っているかな? だが、アクタノイドが新界の動物に襲われたとしたら、このタイムラグで致命的な判断の遅れが生じるんだ」


 日本から操作しているアクタノイドとは違い、新界の動物は現地でリアルタイムに情報を得て行動に移る。

 確かに不利な条件だった。


「だから、アクターは危険予測を常に行うことが大切だ。物陰から動物が飛び出してくるかもしれない。突然崖が崩れるかもしれない。アクタノイドが足を滑らせるかもしれない。常に先を予測して備えておくこと。分かったかい?」

「へ、へい」

「素晴らしい理解力だ。大変よろしい!」


 輝く笑顔で千早を褒め岩筋が中央モニターの横を指さす。


「各モニターがどの視界か、視野はどれくらいかを確認してみよう。手をゆっくり横に動かして欲しい」


 言われた通りに手を動かしていくと、モニターに手が写り込む。各モニターは中央のメインモニターがアクタノイドの頭部カメラによる正面を、左右のサブモニターはアクタノイドの肩についたサブカメラの視界で横を、さらにメインモニターの下は背中側首の付け根についたバックカメラをそれぞれ反映しているようだった。


「アクタノイドによっては赤外線カメラを搭載していたりもするから、新しい機体を操作するときにはマニュアルを確認してほしい。機体によって価格は様々だけど、オールラウンダーでも軽自動車くらいの価格はするから、壊さないようにね」


 岩筋の説明は分かりやすく実践的で、事前の説明通り二十分で終了した。

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