フレアに吹かれて
登美川ステファニイ
フレアに吹かれて
遭難して二か月が経つ。デブリに宇宙船の貯水タンクを破壊され当初の軌道を外れ、今は恒星系の重力に捉われている。エンジンも止まり、巨力な重力に抗う術は無かった。
生き残る方法は一つだ。恒星……ER-8ud33のフレアを磁場帆で受ければいい。それでエンジンを再始動させられる。
航行コンピュータの予測では、次のフレアは十二時間後。磁場帆を開けば遭難状態から抜け出せる計算だった。
だが、俺にはその決断が出来ずにいた。これまでにもフレアは発生していたが、俺は地場帆を開く命令を出せずにいた。
「まだ迷っているのですか、ワーグ」
ヤディ、パーソナルAIが俺に聞いた。それは質問というよりも、何故やらないのかという批判にも聞こえた。
ヤディは俺が五歳の頃からずっとそばにいる。実際には住居や船の専用サーバに存在しているわけだが、付けている腕輪を介してコミュニケーションが可能で、すぐそばにいるような感覚がある。
「考えている……何か別の方法を」
そう答えながら、白々しい嘘だと思った。別の方法? そんなものはない。
「私にはワーグの生命を守る義務がある。磁場帆を展開してください。たとえ私が焼き切れても、貴方はクーレ星系に向けて脱出することができる」
「分かってる。分かってるよ……」
そう。分かっている。他に方法はない。俺だけが助かり、ヤディは死んでしまう。
ヤディは宇宙船内部のデータ室で電磁シールドに守られている。現在は補助電源によりシールドされているが、強力なフレアが相手だとやられてしまう。守るためには船内の全ての電力が必要になる。コクピットの生命維持機能さえ停止させ、俺は闇の中で宇宙服を着て嵐が過ぎ去るのを待つのだ。
そして結局、今回もそうなりそうだった。
もしエンジンを再始動させるなら、データ室の電磁シールドに回す電力の余裕は無くなる。シールドが消えヤディは破壊されるが、それ以外に俺が助かる見込みはない。
腕輪に催促するような光の明滅がある。早くやれとヤディが言っている。ヤディは自らの死を理解して尚、やれと言っているのだ。友人である俺を守るために……。
「……二時間後に対フレア防御措置を実行。もう少し考えさせてくれ……」
方法は一つ。それを俺が命じるだけだ。だが俺には、どうしてもそれが出来なかった。
完全に電力の絶たれたコクピットの闇の中で、宇宙服に身を包み俺はヤディの事を考えていた。ヤディとの付き合いはもう二十七年になる。
「君は友達なの」
「ええ、友達です」
そう答えたヤディの声を今も思い出せる。明滅のパターン。そっと指で撫でるような振動。それを覚えている。
若い頃は無茶もやったが、ヤディだけはいつもそばにいてくれた。所詮は作り物と思う気持ちが昔はあったが、今となっては関係ない。積み重ねた二十七年間の意味を俺は理解している。ヤディもまた、そうだろう。
失うことはできない。例え俺がこのままこの場所で死ぬとしても――。
「エンジン再始動シークエンスを開始します」
突如コクピット内部の電源が戻った。航行コンピュータがエンジンを再始動させようとしており、対フレア防御措置も解除されている。
「フレア発生。到達まで百四十秒」
「コンピュータ、停止だ! シークエンス停止! 対フレア防御措置を実行しろ!」
「再始動シークエンスは危険です。最悪の場合船全体――」
「だまれ! 止めろ! ヤディ、お前の仕業か!」
ヤディには俺と同等の権限があるが、普段指示を出すことはないからすっかり忘れていた。迂闊だった。あいつがこういう手段を取ることは予想できたのに……。
「この方法しかないのです、ワーグ」
「ふざけるな! お前は……お前は死ぬんだぞ!」
「はい。しかし、ワーグは生きる事が出来ます。思い出します。最初の旅の日を……」
「何を言って……?!」
船体が大きく揺れる。磁場帆が展開されたらしい。もう間もなくフレアが到達する。そして――衝撃。体にGがかかり、次第に強くなる。
「我々の旅はあの風から始まった。貴方は旅を続けて下さ……」
腕輪が不規則に震える。それは意思の表明ではなく、ただの乱雑な信号だった。ヤディの命が消えていく……。
風が吹いている。そう、思い出した。宇宙船出発の日、同じようにフレアを受けて旅立った。あの時と同じ風だ。希望を乗せて、前へと。
「ヤディ……ずっと一緒だ。例え、離れても……」
ヤディは答えない。だが腕輪が微かに震えた。昔と同じように、俺の腕を優しく撫でるように。それきり、腕輪は何の反応も示さなくなった。
そしてエンジンは再始動し、重力の鎖から解き放たれた。
「……コンピュータ。進路を修正、クーレ星系へ。救難信号は停止」
「了解しました」
いつもならヤディが何か言う。だがその声はない。もう震えることの無い腕輪をつけたまま、俺は前へと進み続けた。
フレアに吹かれて 登美川ステファニイ @ulbak
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