おお、まともだ……
「失礼しまーす」
ガラガラと音を立てるドアを開け、俺と猫宮は保健室の中へと入った。
出迎えの声はなかったが、代わりにツンとした薬特有の匂いを感じ取る。
それもすぐに慣れて気に留まることはなくなるが、よくよく考えると不思議な話だ。
普段嗅ぎ慣れていないから違和感を感じるのに、ほんのわずかな時間で何も感じなくなる。
人の適応力が成せる技なのか、少しだけ興味を惹かれないことはないが、今の俺にはやることがある。
そんなことを考えながら辺りを見回すも、デスクに保険医の姿は見当たらない。
その代わり、意外な人物と目を合わせることになる。
「あれ、君は……?」
保健室の中央に設置されたソファーには、ひとりの女子が座っていた。
一目でそれが誰かと分かる真っ白な髪と整った顔立ち。
以前廊下で別れて以来、会話する機会のなかった『ダメンズ』のリーダー、春風真白だ。
「真白か、久しぶりだな。俺のことは覚えているよな? 葛原和真だ」
「……うん、覚えているよ。久しぶり、だね」
顔を合わせた以上、挨拶をするも真白の反応は芳しくなかった。
明らかに俺との会話を避けたがっているのが見て取れるし、ここで話をしてもあまり意味はないだろうな。
「あの、クズ原。この人ってもしかして」
「お察しの通りだ。この人は春風真白。猫宮にとってこれ以上の説明はいらないだろうが、真白のために説明するとこの猫宮はアリサたちの友達なんだ。な、猫宮?」
いいタイミングで猫宮が話しかけてきたので、俺は真白の相手を猫宮に投げることにした。
猫宮をクッションにして会話をすれば、真白も俺のことをそこまで邪険出来ないだろうと打算もあってのことだ。
「あ、うん。えっと、ウチはたまきって言います。真白さん、アリサたちがお世話になってます……で、合ってますよね? むしろお世話したりしてるって聞いてるんですけど」
「合ってるけど……え、なにその引っかかる言い方。あの子たち、私のことをなんて言ってるの!?」
「あー……聞きたいです? いや、悪いようには言ってなかったしそこは安心して欲しいというか、大丈夫なんで聞かなくてもいいんじゃないかなって」
「その言い方で気にするなって無理じゃない!? 凄く気になるよ!? 悪く言われてないってことが逆に直球の評価っぽくて怖いんだけど!?」
うわあ、取り繕う余裕もなく完全に素が出てるな……。
めちゃくちゃ慌ててる真白だったが、これはこれでこちらとしては都合がいい。
「真白、ちょっといいかな?」
「なに!? 悪いけど、今はちょっと邪魔しないで欲しいんだけど!? たまきちゃんとすごく大事な話をしてて……」
「気持ちは分かるが、俺たちはここに雑談をしに来たわけじゃないんだ。猫宮が試合で怪我をしたから手当をしに来たんだよ」
「へ? 手当?」
真白は目をパチクリさせると、俺と猫宮を交互に見る。
「クズ原の言ってることは本当です。ウチ、ちょっと試合でヘマしちゃって」
「あ、そ、そうなんだ。ゴメンねたまきちゃん。時間取らせるようなことしちゃって」
「謝らなくても大丈夫ですって。それより。保険の先生いませんか? そこまで痛みはないので軽くテーピングしてもらえれば動けると思うんですけど……」
「今先生はグラウンドのほうにいるよ。ドッジボールで鼻血が出て人が出たみたいで処置に行ってて……あ、そうだ!」
唐突にソファーから立ち上がる真白。
だが、急に立ち上がったことで立ちくらみを起こしたのか、身体が少しふらついていた。
「あっ……」
「おっと、あぶね」
俺はすぐさま立ち上がり、真白の身体を咄嗟に支えた。
怪我人を届けに保健室に来たのに、目の前でまた怪我するやつが増えるとか洒落にならん。
「あ、ありがとう……」
「別に礼はいいよ。それより怪我がなくて良かった。アイドルは身体が資本なんだから気を付けろよ」
出来るだけ優しい声色を意識して会話する。
そうしないと、俺の身体に当たっている真白の一部を意識してしまいそうだったのはここだけの秘密だ。
邪な感情を抱いてこれ以上真白に警戒されたくないからな。軽く真白の頭を撫でるなど、意識を極力そらすことを心掛ける。
「え、あ、ちょっ。なんで急に頭を撫でるの?」
「いや、なんとなく。強いていうなら、これが真白に対する罰みたいな? 俺がいたのに怪我されたら、雪菜やアリサに大目玉を食らいそうだからなぁ」
「うぅ、私の方がお姉さんなのに……」
真白は細かいことを意識しているようだったが、俺からすれば年が上とか下とかぶっちゃけどうでもいい。
俺にとっては、金を持っているかどうかが全てだ。
金さえあるなら、俺はどんな相手だろうが等しく優しい態度を取れる男なのである。
「まーたクズ原がクズなことしてる……」なんてぼやきに似た呆れ声だって軽く聞き流せるくらいには寛容な心も持ち合わせているのだ。
「てか、急に立ち上がってどうしたんだ? 真白も保健室にいるくらいだし、休む必要があったんだろ?」
「私は昨日遅くまで起きてたからちょっと寝不足で……って、そうだ! ゴメンたまきちゃん、ちょっと待ってて!」
俺の腕からするりと抜け出ると、真白はベッドのほうへ向かい、そしてすぐに戻ってくる。
その手には小さなハンドバッグが抱えられており、隙間から『ディメンション・スターズ!』のロゴが見える。どうやら真白の私物のようだ。
なにをするのだろうと見守っていると、真白はバッグを開き、そのまま猫宮の足元に跪いた。
「たまきちゃん、ちょっと靴を脱がせるよ。あと靴下も脱いでもらうけど、痛かったらすぐに言ってね?」
「あの、真白さん? なにを……」
「私が手当してあげるよ。本当はあまり良くないんだけど、テーピングに関しては慣れてるから多分大丈夫だと思う」
困惑する猫宮をよそに、テキパキと靴と靴下を脱がしていく真白。
そのまま患部を触り、猫宮の反応を確かめた後、丁寧な手つきで足首にテーピング処置を施していく。
「これで大丈夫だと思うけど、どう? 痛みはある?」
「えっと、まだ少し……でもさっきより大分マシになった感じです」
「そっか。最初に冷やすべきだったかなぁ。ちょっと処置の順番間違っちゃったかも。ゴメンね?」
「いえ、全然。ありがとうございます」
謝る真白にブンブンと首を振る猫宮。
借りてきた猫みたいになってるのは面白いが、それよりも真白のほうが気になった俺は彼女へと話しかける。
「すごいな。随分慣れた手つきだったけど、ああいうのを何度かやったことがあるのか?」
「あ、うん……私、あまり要領がいいほうじゃないから。レッスンに慣れなかった頃、よく捻挫したり捻って傷めたりしたんだよね」
「へぇ……」
「そのたびにトレーナーさんに処置をしてもらってたんだけど、その時にやり方を教えてもらってたりしたんだ。その癖で、今もこういう治療バッグを持ち歩いちゃってて……あはは、変だよね、ここ保健室なのに。こういうところが、やっぱり要領悪いんだろうなぁ」
自虐するように笑う真白だったが、それは違うと俺は思う。
「そんなことはない」
だから言う。口に出して、ハッキリと。
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