その言葉が聞きたかった
契約書等の記録に残る形ではないが、代わりにこの場にいるクラスメイト全員が、俺達の間にあったやり取りを、事実として証明してくれるに違いない。
まぁクラスメイト達からすれば、俺にダメンズと縁を切らせるための手切れ金というより、伊集院が俺からダメンズを買収するために一億を無理矢理押し付けたという印象のほうが強く残っただろうが、そこは仕方ないことだ。
「伊集院さん、雪菜ちゃん達をどうするつもりなの!?」
「俺達のダメンズをぶっ壊すつもりかよ!!??」
「そうなったら、絶対許さねぇからな!!!」
だからこうしてクラスメイト達に詰められ、責めれるのも仕方ないことなのだ。
クラスによる衆人環視の中での取引に加え、契約書も用意していなかったんだからな。俺のことを舐めきっていたんだろうが、伊集院の自業自得ってやつだろう。
俺がしたことは多少印象を操作して、伊集院へのヘイトを高めたくらいだ。
それだってそもそも、伊集院本人の動きが甘かったことに原因がある。
だからこうして、逆に追い詰められることになったんだ。極論、世の中は騙されるやつが悪いように出来ているのである。
気付かないほうが悪いし、気付いたとしても今更どうしようもない流れが、この場には既に出来上がっていた。
(要はもう、お前は詰んでるんだよ、伊集院)
俺がこの一億を受け取った瞬間が、伊集院にとってトドメとなる。
俺は手切れ金を無理矢理受け取らされた被害者に、伊集院はダメンズを金で買い取り、幼馴染から引き剥がして解散させる原因を作った元凶という、加害者としての立ち場が確立される。
大好きな『ディメンション・スターズ!』を、自らの手で壊した財閥令嬢。
その事実に、伊集院は耐えられないだろう。ダメンズの近くにいるために、わざわざ転校までしてきたやつだ。無理に決まってる。そんなことが、やつに出来るはずがない。
(チェックメイトだ、伊集院)
ゆっくり。ゆっくりと、見せつけるように手を伸ばす。
契約が交わされたら、伊集院は終わる。
ならどうする?伊集院に選択肢はもはやない。
そう、伊集院に出来ることは、たったひとつしかないのだ。
この場をひっくり返すには、そもそもの契約を、なかったことにするしかない。
だから、動け伊集院。
もう間に合わなくなるぞ?お前はそれでいいのか?いいはずがないだろ?
だってお前にとって、『ディメンション・スターズ!』は、運命の女神達なんだから。
あと数センチで、俺の指はアタッシュケースへと届く。
考える時間も、悩む時間も与えない。
三センチ。二センチ。一センチ。
あぁ、もう届く。時間が無限に引き伸ばされたような感覚。
俺にとっても、きっと今この瞬間が、人生の分岐点となるだろう。
そしてそれは、伊集院にとっても同じ。
俺と伊集院のターニングポイントが、重なり合い―――その時は来た。
「―――ふんぬっ!!!!!」
裂帛の掛け声を聞いた瞬間、アタッシュケースへと伸ばしていた右手が空振った。
遅れて耳にブンッと、なにかを放り投げたような音が届く。
机の前で腕を真上へと掲げた伊集院の姿があり、その上では黒いアタッシュケースと、札束が空を舞っている。
中には百万円を束ねていた帯が外れたものもあった。
ぶわっと一万円札が飛び散るという、ある種幻想的な瞬間を、俺の目はまるでスローモーションで動く映像を眺めるかのように捉えていた。
そして思う。
―――俺の勝ちだ、伊集院、と。
ドサササッ!
感覚が現実に追いつくと同時に、重いものが落ちる音が聞こえた。
「あんぎゃー!!!」
「いったーい!!!」
ついでに札束がクッションになったとはいえ、落下したアタッシュケースを真上から被った後藤くんと、吸い込まれたかのように大量の札束の直撃を受けたユキちゃんの姿が視界の端に見えたが、まぁ無事そうなのでヨシとしよう。
俺にとって重要なのは、目の前のお嬢様の動向だ。
こっそり回収したいくつかの百万円の束を机の中に押し込めつつ、改めて伊集院に相対すると、アタッシュケースをブン投げ息を荒げる彼女に、俺は聞いた。
「ハァッ、ハァッ…」
「なんのつもりだ、伊集院。俺は一億を受け取るつもりだったのに、どういうことだよ」
「あ、あれは、無効、無効ですわ。私が、間違って、いました…」
「間違い?なにがだ。別にお前の行動に間違いがあったとは、俺は思わないけどな」
とぼけたように言う。そんな俺に、己の過ちを後悔している伊集院は気付かない。
「間違い、だらけでしたわ…無理矢理貴方から、お二人を引き剥がそうとしたこと。『ディメンション・スターズ!』に値段を付けてしまったこと…その全てが、私にとっての過ちでした」
「へぇ…じゃあどうするんだ?過去は覆せないぜ。お前がアイツ等を買収しようとしていたことは事実なんだからな」
「分かっています。分かっていますわ…!過ちは、覆せないというのなら…!」
伊集院の強い意志を乗せた瞳が、俺を捉える。
「貴方からどうか、お二人を、説得していただけませんでしょうか…!」
「説得?一億の価値しかないふたりを、わざわざ?」
「いいえ。あのお二方に、値段など付けられるはずがありません!私はもう間違えない…お金も時間も、それこそ人生そのものを、『ディメンション・スターズ!』に捧げますわ!そうでなければ、私は私を許せません!そうすることで、この罪を償います!」
それを聞いて、緩みかける口元を必死で抑える。
もう伊集院がなにを言うのか、俺には手に取るように分かっていた。
「ふぅん…だが、口では何とでも言えるぜ?」
「えぇ。ですから、その証明をさせてください」
「証明?」
俺が聞き返すと、伊集院は一度目を閉じ、
「…養います」
「ん?」
「私が、あの方達に代わり、一生貴方を養いますわ!!!」
そう宣言した。
それを耳にして、俺はようやく笑う。
「伊集院…」
ああ、そうだ。
それでいいんだ、伊集院。
俺はその言葉が、聞きたかった。
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