お前、ほんとにダメンズが好きなのか?

「価値ですって…いきなり、なにを…」


「これは手切れ金と言ったな伊集院。雪菜とアリサから縁を切る代わりに、この一億を俺に渡す。さっきお前は確かに、俺にそう言ったよな」


「え、ええ。確かに言いましたが、それが…?」


 困惑してる様子の伊集院を無視して、俺は教室を、一度ぐるりと見渡した。


「皆も聞いたな?伊集院の言ったことを、皆も確かに聞いたよな?」


 俺の問いかけに、クラスメイト達は曖昧ながらも頷きを返してくる。

 どうやら伊集院だけでなく、他の連中もピンときていないらしい。

 そのことを少し残念に思っていると、一日の始まりを告げるチャイムの音が教室に響く。

 同時に、ドアがガラリと開き、満面の笑みを浮かべたユキちゃんが姿を見せた。


「皆おはよー!今日でいよいよ最終日ね!明日からゴールデンウィークだし、先生ようやくこの胃が痛くなるクラスから解放されてしばらくゆっく、り…?え、なにこの空気。どうして皆座ってないの?え?え?」


 明るい担任教師の声色が、一気に困惑に変わっていくのを耳にしても、誰も席に座ろうとしない。

 それどころではないとばかりに、じっと俺達の動向を見守ってくる。

 上級生の聖はさすがに戻ったほうがいいんじゃないかと思うが、それに突っ込むのは今更野暮というものだろう。

 既に賽は投げられている。彼らの期待に応えるわけじゃないが、話を進めるべく口を開いた。


「さて、話しを戻すか。まずは、ここにある一億円についてだ。さすがに俺も現金でこんな札束を見たことはなかったから最初は圧倒されちまったが…ハッキリ言って、額としてあまりにも少なすぎる。話にならないレベルと言っていいな」


「…………この額に不満があると?」


「大アリだ。なぁユキちゃん、ユキちゃんは、成人男性の生涯年収がいくら知ってる?」


 俺はここで場の流れについていけず、未だ困惑しているユキちゃんに話を振った。


「えっ、なに。いきなり私に振るの?ていうか、もしかして、またなにか面倒なこと起こってるの?連休前の最終日くらい勘弁してよぉ」


「いいから知ってるなら答えてくれユキちゃん。こっちは急いでるんだ」


 泣き言を漏らすユキちゃんをせき立てる。

 あまり頼りにならない人だが、この中で唯一の大人だ。

 皆だって先生の口から聞いたほうが、納得できるだろうからな。教師ならつべこべ言わず、生徒の質問にしっかり答えていただきたい。


「うぅ、葛原くんってドSよね…そういう人、先生嫌いじゃないけど…えっとそうね。生涯年収かぁ。仮に大学を卒業して就職した場合だと、平均で約3億円くらいだったかな。私みたいに私立で先生してても、大体似たような年収になる推移だしね」


「ふむふむ、なるほど。俺も調べたことがあるけど、やっぱそれくらいなんだな」


「でもね、明らかに苦労と年収が釣り合っていないと思うのよ。特に私なんて、新卒でいきなりこんな大変なクラスの担任押し付けられちゃって、本当に大変なのっ!皆にもそれを分かってほし」


「よし、それじゃ話を戻すぞ。聞いた通り、一般的な生涯年収は3億だ。普通に生活するなら問題ない額だろうが、俺の目標である遊んで暮らすことを考えたら、最低でも、この倍以上は必要になるだろうな」


「ちょっ、先生のこと無視しないでぇっ!」


 生憎だがそれは無理な相談だ。

 大人の情けない愚痴に付き合ってやれるほど、俺達学生は暇じゃない。


「さて、ここで問題になるのが伊集院が用意した金額だ。一億円は一度に入る額としては大金も大金だが、生涯年収としてみれば三分の一だ。これじゃ遊んで暮らすどころか、働かざるを得ないじゃないか。さっきも言ったが、この程度じゃ話にならない、随分足元見てくれるな」


 一度話を区切り、睨みを効かせると、伊集院はバツが悪そうに目をそらす。


「それは…申し訳ありません。確かに、そう言われても仕方ないかと…」


「不満はまだ他にもある。伊集院、お前はこの一億を、雪菜とアリサの手切れ金と言ったな」


「は、はい。そう、ですが…」


「それはつまり、この額がふたり合わせての値段ってことだ。単純に半分に割ったら、ひとり当たり5千万円。それだけの価値しか、お前は雪菜とアリサに見出していないということになる」


「なっ…!?」


 吐き捨てるように言い切った俺の言葉に、愕然とする伊集院。

 一瞬固まったものの、すぐに憤りも顕に食い付いてくる。


「な、なにを言っているんですの!?そんなはずありません!!!『ディメンション・スターズ!』こそ我が運命!そう信じて、私は今こうしてここに…」


「なら、どうして俺に一億を渡して済まそうとした?その基準は?なんの根拠を持ってこの額に決めたのか。まずはそれを説明したらどうだ伊集院」


 金髪ドリルお嬢様を、俺は冷たく突き放す。

 俺の冷徹な態度に伊集院は肩を震わせたが、こっちが聞きたいのは建前じゃない。

 誠意とは言葉じゃなく金額なのだ。


「それは…この金額なら、納得してもらえると思いまして…学生の身であれば、十分な金額ですから…」


「つまり、根拠はないと?特に理由もなく、お前は一億が適正な金額だと判断した。そう受け取って構わないんだな?」


 俺が問いかけると、伊集院はぎこちなく頷く。

 ただでさえ白かったお嬢様の顔から血の気が引いて、さらに白くなっていたが、ここで追求をやめるほど、俺はお人好しじゃあない。


「ならやっぱり、俺が言ったことに間違いないじゃないか。お前は雪菜とアリサを俺から引き離すのに、一億で十分足りるのだと、無意識だろうがそう判断したんだ。それは言い換えれば、俺にとってあのふたりが、一億以下の存在であると判断したことにほかならない」


 手を緩めることなく、さらに彼女を糾弾していく。


「一億。いいや五千万で、あのふたりをそれぞれ買い叩けるとお前は踏んだわけか。今波に乗り始めたあいつらなら、数年も経たずにペイできるだろうな。女神どうこう言ってるが、財閥令嬢らしい先を見据えた買い物じゃないか。ファン以前に、随分リアリストなこった」


「っ!買い物だなんてそんなっ!あの方達を物扱いしないでください、私はただ…!」


「なんで否定する?事実だろ。お前、確かダメンズを世界一のアイドルユニットにしたいとか言ってよな?そのメンバー、それもダブルセンターやってるやつらの価値が、たった五千万か。どんな使い潰し方するつもりだ?この程度の価値しかないと内心で思ってたなら、わざわざ転校してくる意味なんてなかったんじゃないか?」


「だ、だから違いますっ!違うんですわ!ダメンズは、私の運命の女神なのです!あの方達を心からお慕いする気持ちが我慢できなかったからこそ、こうしてここにいるのですわ!ただ私は、あの方達を貴方から解放したくてっ!価値なんて測れませんわ!ダメンズこそが、私の全てなのです!!!」


 違うと連呼し、慌てて否定してくる伊集院だったが、彼女の揺れる縦ロールを見ながら、俺は鼻を鳴らした。


「へぇ。じゃあこれも聞くが。この一億、いったいいつ用意したんだ?姫乃は知ってたのか?」


「いえ、私はなにも…」


 俺の質問に、姫乃は困惑しながら首を振って否定する。


「だよな。知ってたら、お前は俺に言ってくれていたはずだ。てことは、短期間で用意したんじゃないか?伊集院、そこはどうなんだ?」


 俺が顔を向けると、伊集院は青い顔をしていた。

 既に理解しているのだろう。震える声で、区切るように言ってくる。


「昨日の夜、黒磯に命令して、準備させましたわ…」


「昨日の夜か。となると、一晩で用意したのか。一億を。さすが財閥令嬢だな。恐れ入るぜ」


 ここで俺は伊集院から視線を外し、佐山へと問いかけた。


「なぁ佐山、この前のライブ、アリーナ取ったって言ってたけど、そのために確かお前バイトしてたよな?」


「あ、あぁ。確かにそうだけど…」


「あと後藤くんもそうだよな。ダメンズのグッズ、たくさん買ってたんじゃなかったか?」


「うん。お小遣いじゃ足りないから、色々やりくりしてるけど、それが…?」


「いや、いいんだ。ただな…」


 俺は一度息をつく。そして伊集院に目を向ける。


「皆がこうして何ヶ月もダメンズを応援するためにバイトなり色々頑張ってるのに…伊集院はたった一晩で、あっさりと用意できる額で、ダメンズを買い取ろうとしたんだなって思って、さ」


 俺の言葉に、一際大きく目を見開く伊集院。


「別にかけた金額や時間が全てだって言うつもりはないが…それでも一晩か。伊集院の全てって、随分安っぽいんだな」


「ぁ……ぁ……」


 伊集院の瞳が揺れる。それを見て、ここが勝負どころだと確信する。



「なぁ、伊集院―――お前、ほんとにダメンズが好きなのか?」



 伊集院のダメンズへの崇拝。

 その根幹を揺らすべく、俺は静かに問いかけた。


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