これっぽっちかと聞いているんだ

 大型連休を翌日に控えたその日。

 俺はいつもと同じように家を出て、学校に向かって登校していた。

 ただ普段と違う点もある。それは、朝から雲ひとつないこの青空のように、心が澄み切っていることだ。

 明日からゴールデンウィークに突入する。その事実が、俺の心を大いに軽くしてくれている。


 ここ最近は色々あって、配信を見たりゲームをやれる時間も少なくなっていたこともあり、休み中はやりたいことに手を出し、好き勝手やるつもりだ。

 夜通しゲームをプレイするのもアリだし、適当に美味いものを注文しまくるのもいいだろう。

 ただ、ゲーム仲間のハルカゼさんが、なにやらゴールデンウィーク中はやることがあって忙しいらしく、一緒にクエストにいける時間があまり取れそうにないことが、唯一残念だった。

 まぁ向こうには向こうの都合があるし、それについては仕方ない。

 とにもかくにも、今回の黄金週間を遊びたおすと決めている。

 普段俺の素行について色々言ってくるアリサも、休み中に市内で行われるミニライブの準備やリハーサルで忙しくなるらしく、今日も雪菜と一緒に遅れての登校になると聞いている。

 どれだけ遊びほうけても、文句を言ってくるやつがいないことが確定してるのも、大いにプラス材料だ。

 最近新しく養ってくれると言ってくれたメイドさんもできて臨時収入も増えたし、とにもかくにも、今の俺は心身ともに絶好調であった。


「ふんふふふーん。明日はなにをしようかな~♪」


 軽快な鼻歌を歌いながら廊下を練り歩いていると、あっという間に教室まで到着する。

 気分がいいと、時間が早く感じるというが、まさにそれだろう。

 そんな上機嫌な状態のまま、俺は教室のドアを開け放った。


「今日もおっはようさーんっと」


 軽快に挨拶をすると、視線が集まったことを肌で感じた。

 視線を向けてくる相手の中には猫宮もいたが、猫宮は一瞬こちらを強く睨むと、すぐに視線を外し、近くにいた他の女子との会話を再開する。

 気のいい彼女には珍しい塩対応だ。どうやらこの前の一件で、猫宮にはひどく嫌われてしまったらしい。

 中学からの同級生からの辛辣な反応につい苦笑していると、こちらを見てきた何人かが反応し、手を上げてくる。


「おお、和真。おはよう!」


「和真さんチーッス!」


「いやあ今日もイケメンッスね!さっすが!最高にカッコイイッス!」


 なんとなく分かると思うが、挨拶を返してくれたのは、幼馴染達のコスプレ写真を渡した連中だ。

 中には、明確に媚びを売ってくるやつもいるが、華麗なまでに手のひらを返した彼らとは、以前より良好な関係を築いている最中だ。

 どうも写真の内容に満足してもらえたことと、他クラスから殺到したダメンズファンからの、俺にも写真を譲ってくれという催促を突っぱねたことが大きかったらしい。

 自分達だけが手に入れることが出来たレアアイテムの存在が、俺への態度を明らかに軟化させていた。


 ま、そこは正直狙い通りだ。

 他人が欲しがるものを自分が持っていることに優越感を覚えるのが、人間心理というものである。

 まして限定という言葉にめちゃくちゃ弱いのが、オタクという生き物のサガだ。

 そりゃあばら撒けば金にはなるが、俺が欲しいのはクラスでの安寧であり、それは金で買えるもんじゃない。

 目先の小金目当てに信用を損ない、印象を悪化させるなど、愚か者のすることだ。

 損して得取れ。金にはならずとも、自分達だけが持っているプレミア品という事実が結束を高め、俺を受け入れる土壌を作ってくれたのだった。


「よっ、師匠。遅かったじゃねぇか」


 そんなことを考えながら自分の席へ向かったのだが、そこには既に先客の姿がある。

 ソイツを見て、俺は思わず顔をしかめた。


「なんでいるんですか先輩。先輩のクラスは上でしょうに」


「そう固いこと言うなよ。俺とお前の仲じゃねぇか」


 俺の席から立ち上がり、強引に肩を組んでくるのは、チャラ男先輩こと、聖だった。

 初対面の時と変わらず馴れ馴れしい態度だったが、以前と違うのは俺への接し方である。

 俺の前に再び姿を現した彼は、何故か俺のことを師匠と呼び、敬愛してくるようになったのだ。

 曰く、お前の言葉で目が覚めた。俺も女に貢がせて、人生楽に暮らしたい。

 そのために、近くで色々勉強させてくれ。アイドルを落とし、貢がせているお前の手腕をぜひ知りたい、だとか。

 言われた当初は面食らい、突っぱねたものの、時折ふとこうして俺のところに現れては絡んでくるので、今は半ば諦めて対応している。

 別に被害を食らったわけでもないし、貢がせる方法を知るまでは当分女遊びは控えるという言質も取ってある。

 なにより、俺の知らないことを色々知ってそうだしな。向こうが俺から貢がせるための知識を吸収しようという腹積もりなら、こっちも聖からチャラ男の極意を学んでも、なにも問題ないだろう。


「なぁ、ゴールデンウィークどっか暇あるか?いいとこ知ってんだよ、遊びに行こうぜ。ついでにナンパでもして金持ち女引っ掛けるのもありだな」


「別にいいですけど、金と責任はそっちが持ってくださいね。適当に引っ掛けた相手が、地雷だったりしたら困りますから」


「お前、やっぱ俺よりクズだよな…」


 適当に聖の相手をしていると、ひとり、またひとりと、教室に入ってくるクラスメイトが増えてくる。

 快活な挨拶を交わす者もいれば、だるそうな顔をして大あくびしているやつもいる。

 ただ、いずれも表情自体はどこか明るく、明日からの休みを楽しみにしていることは伺い知れた。

 そのために、今日一日を乗り切ろう。口に出すことはなくても、共通の空気がクラスの中に生まれつつある。

 その気持ちは俺も同じ。刻一刻と迫るHRの時間が待ち遠しい。

 それもあって、未だ上級生なのにクラスに戻らず、隣にいる聖にそろそろ戻ったほうがいいのではと声をかけようとした瞬間、ソイツは来た。


「おはようございます」


 挨拶とともに、教室に踏み入れてくるのはド派手な金髪縦ロール。

 言うまでもなく伊集院だ。そういえば、今日はまだ姿を見ていなかったか。

 ここまで特徴的な髪型をしているやつでも、いないことに気付かなかったのだから、慣れってやつは恐ろしい。

 まだ転校してきて二週間そこらしか経ってないが、なんだかんだコイツがクラスにいることに順応してきているんだからな。

 だが、隣にいる聖は違うのだろう。俺の腕を肘でつつきながら、こっそりと耳打ちしてくる。


「おい。あの派手な子が噂の転校生か?伊集院とかいう」


「ええ、そうですよ。ちなみに、伊集院財閥の令嬢です」


「え!?あのデカイ会社のか!?ヤバくね?アイツ落としたら、一発で人生勝ち組じゃねぇか!?」


 ゴクリと唾を飲み込む聖。

 多分、頭の中で伊集院を手篭めにした場合の未来絵図でも描いているんだろうな。

 チャラ男先輩らしいっちゃらしいが、それはちとハードルが高いってもんだろう。

 友人のよしみで、ここは忠告してやることにしますかね。なにより、伊集院の後ろを歩く姫乃に手を出されたら困るのはこっちだ。


「やめておいた方がいいですよ。伊集院を狙うには、リスクがちょっと高すぎます。バックに色々ついてそうですし、下手に手を出して東京湾にコンクリ詰めなんてなったら馬鹿らしいじゃないですか。もっとランクを落とすのが賢明ですよ」


「む…それもそうだな。いい女だし惜しいが、師匠がそういうならパスするわ」


 耳打ちすると、聖はあっさり引き下がる。

 そのことに少し拍子抜けしながらに、俺は言葉を続けた。


「それがいいかと。あ、ちなみに伊集院の後ろにいる子にも手を出さないでくださいね」


「ん?どうしてだよ…まさか…」


「はい。あのメイドさん、俺のなんで。色々あって貢いでくれることになったから、ちょっかい出されると困るンすよね」


「マジかよ…やっぱ師匠すげぇな…!」


 チャラ男に似つかわしくない、少年のようなキラキラした憧れの眼差しを向けられる。

 最近クズ呼ばわりされてばかりだったせいか、こういう純粋な目で見られるのは悪くなかった。

 気分が高揚し、シニカルな笑みで答えようとしたのだが、


「ふっ、それほどでも…」


「なにを話しておりますの?」


 突然割って入る声。

 いつの間にか俺の席の前へと来ていた伊集院が、こちらに話しかけてきた。


「いや、別に大したことじゃない。男同士で、ちょっと情報共有してただけだ」


「そうですの。なら、丁度いいですわ。私、和真様に話がありますの。お時間を頂けませんでしょうか」


 優雅な仕草で頭を下げてくる伊集院。

 俺を毛嫌いしているはずのコイツが、用があるとは珍しいな…別に構わないが、今はタイミングが悪い。


「話?すぐ終わるなら構わないが、もうすぐHRが始まるぞ」


 言いながら時計の針を見ると、始業時刻である8時30分に差し掛かろうとしている。

 あと2、3分ほどで、校内に始業のチャイムが鳴り響くことだろう。

 ユキちゃんも来るし、話はSHRが終わった後の休み時間でも遅くはないのではないだろうか。

 そう提案したのだが、伊集院はゆっくりと首を横に振る。


「いいえ。今すぐに話したいことなのです。教諭が来たら、私から説明致しますわ」


「ふむ…」


 意固地だな。どうやら伊集院は席に戻らず、俺との会話を続けるつもりのようだ。

 どういうつもりだろう。気になった俺は、いつも通り伊集院の背後を陣取る姫乃に視線を向ける。

 俺の意図を察した彼女とすぐに目が合うも、姫乃は無表情な顔に困惑の色を混ぜながら、僅かな動作で首を振った。どうやら姫乃にも知らされていないらしい。

 気になることが増えたが、その疑問を解消するには直接本人に聞くのが一番手っ取り早いだろう。

 こちらの顔色を伺う伊集院に、俺は頷きを返す。


「わかった。そういうことなら話してくれ」


「ありがとうございます。では…」


 返事を聞くと、伊集院は手を叩いた。

 すると、すぐさま教室のドアがガラリと開けられる。

 現れたのは黒服の大男。以前見た、伊集院のボディガードだ。

 あの時呼び出された黒服は、後藤君の机を持って教室からでていったが、今は右手に黒いアタッシュケースを下げている。

 機敏な動きで机の間を縫うようにやってきたその男は、やがて伊集院の前で立ち止まると、


「お嬢様。お持ち致しました」


「ご苦労。では、この机の上に置いて頂戴。後は下がってもらって構わないわ」


「承知しました」


 黒服は仰々しく伊集院に頭を下げると、アタッシュケースを俺の机の上に置いて立ち去った。

 一分かかったかそうでないかくらいの、鮮やかな手並みに、クラス一同ポカンとしている中、伊集院が動いた。

 アタッシュケースのダイヤルを操作した後、留め具に指をかけると、パチン、パチンと、音を立てて外していく。


「伊集院…?」


「和真様。これを見てもらえますか」


 アタッシュケースの鍵を全て外した状態で、ケースの上部に手をかけた伊集院は、ゆっくりと上に引いていき、ケースの中身を見せてきた。


「っ……!」


 途端、俺は息を呑む。

 目の前で開かれたアタッシュケース。

 そこには、一万円札の札束がギッシリと敷き詰められていた。


「一億円を用意致しました。この全てを、和真様…貴方に差し上げます」


 頭の上から降ってくる伊集院の言葉が、どこか遠くに感じた。

 この瞬間、俺は目の前の現金に束に目を奪われていたからだ。

 それでも、確かに一億という単語は聞き取っていた。同時に、その額がどれほど途方もないものであるのかも。


「いち、おく…?」


「一億円!?マ、マジで!?」


「嘘だろ、おい…」


 伊集院の発した言葉の意味を、遅れて理解したのか。教室がざわつき始める。

 クラス全体に動揺が走り、俺の机に人が集まってくる気配を感じた。


「オ、オイ!師匠!すげぇぞこれ!一億だってよ!そんだけありゃ、遊んで暮らせるじゃねぇか!やったな、オイ!」


 聖が俺の肩に手を置き、興奮を顕に揺さぶってくるも、それすらどこか他人事のようだった。

 地に足がつかないといえばいいのだろうか。奇妙な浮遊感。現実にいるはずなのに、どこか別のところにいるような感覚だ。

 そんな俺に、またも伊集院は話しかけてくる。


「これは手切れ金です。和真様、どうかダメンズのお二人から離れてください。そうすれば、このお金は全て貴方のもの。どのようにお使い下さっても構いませんし、必要ならさらに追加しても構いません」


「…………」


 手切れ金…


「ただ、これだけは約束してください。あの二人を必ず解放すると。もう今後は必要以上にお二人に関わらず、別々の人生を歩むことを、この場で誓ってください。それが、一億をお渡しする条件です」


 そう締めくくった伊集院。

 浮ついていた俺とは正反対の、落ち着いた声だった。


「お嬢様、それは…!」


「姫乃は黙って。さぁ和真様。答えを!!!」


 姫乃をせき止め、答えを催促してくる伊集院。

 どこか自信が見え隠れする声は、まるで俺が頷くことを確信しているかのようだ。


「………………」


 頭が急速に冷えてくる。答えはすぐに出た。

 感情の赴くまま、ゆっくりと口を開く。


「………………か」


「!はい!よろしいのですね!ではすぐに…」


 喜色を浮かべる伊集院。

 だが違う。そうじゃない。

 何勘違いしてやがんだ。


「………………これだけか?」


「へ?」


「たった、これっぽっちかと言っているんだ」


 そう言い切った途端、伊集院は目を見開いた。

 

「な…!い、一億を、これっぽっちとは…!」


「違う」


 俺は即座に否定する。

 コイツの言ってることは、とんだ見当外れだからだ。

 どうやらトコトン舐められているらしい。それでも冷静に、俺は告げる。


「お前にとってダメンズの、あの二人の価値は、たったこれっぽっちなのかと聞いているんだ。伊集院」

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