伊集院麗華の憂鬱
写真撮影から数日が経った四月の終わり。
ゴールデンウィークが目前に迫り、学園に通う生徒の多くは早くも浮き足立っていた。
友人と談笑しながら休みの間になにをするのか話し合う者もいれば、想い人とのデートの約束を取り付けることに成功し、高揚する者もいる。
考え方は人それぞれではあるが、休日を嬉しく思わない人間はそうはいないだろう。
部活動のある生徒にとっては授業に囚われることなく、部活に専念出来る時間を待ち遠しく思う者もいる。
特に予定のない者であっても、学校に来る必要のない長期休暇は単純に嬉しいものだ。
人の想いは千差万別。考えもそれぞれ違いがある。
学校というコミュニティに所属こそしていても、向いている方向が一様に同じわけではない。それは当たり前のことであるし、同時に正しいことでもあった。
だが、私立鳴上学園の生徒に、ゴールデンウィークにおいて、もっとも待ち望んでいるイベントはなにかと聞いたならば、多くの生徒はこう答えることだろう。
―――ダメンズのミニライブ
1stアルバムの発売に合わせ、学園近くのショッピングモールにある広場で、リリイべが開催されることが既に告知されている。
当然それは学生たちの耳にも入っており、当日は参戦すると意気込んでいる者は多かった。
特に、ダメンズのダブルセンターである小鳥遊雪菜と月城アリサの在籍する2年D組では、クラスのほとんどが現地で応援することを表明している。
クラスの連絡網には夜になるとひっきりなしに誰かしらによるメッセージが書き込まれていることからも、その士気の高さがうかがい知れるというものだ。
その原因となった雪菜とアリサのコスプレ写真を机の上に広げながら、彼女―伊集院麗華は、頭を抱えて項垂れているところだった。
「どうしてこうなったんですの…」
その呟きには、嘆きが込められていた。
彼女がいる場所は、都内にある伊集院家の自室である。
帰宅早々部屋に引きこもったため、現在この場にいるのは伊集院ひとりだ。
豪奢なインテリアを皮切りに、有名職人に手がけられた家具や小物が配置された、まさに豪華絢爛な一室であり、本来ならクラシック音楽をBGMにし、ティーカップセを片手に優雅に過ごすことが似合しい空間に、アイドルソングが大音量で流れていた。
さらに壁一面には『ディメンション・スターズ!』のポスターがところ狭しと貼られており、調和を完全にぶち壊していたりするが、部屋の主はそのことをまるで気にする風でもない。なにより、今の彼女はそれどころではなかった。
「私の『ディメンション・スターズ!』が…私の運命の女神達が、こんな最高…いえ、破廉恥な写真を撮ることを、あの男に許しているなんて…!」
メイド服やウェイトレス、さらにはチャイナドレスにチアガール。ミニスカサンタに巫女服といった、様々なコスプレ衣装を着た、ふたりのアイドル。
机の上にずらりと並べた写真の中で、彼女達は様々な表情を浮かべており、それらは全て彼女のクラスメイト達がリクエストした通りのシチュエーションに基づいたものだ。
貰った当初は伊集院も他のクラスメイト同様、大いに喜んだものだが、写真の中の彼女達の表情を見て気付いてしまったのだ。
それはダメンズのグッズを全て収集している彼女だからこそ気付けた違和感。
壁一面に貼られているポスターと、これらの写真では、撮影者に向けられている感情が違うのだと。
「確かにどれも素晴らしい写真ですが、この表情が葛原和真に向けられていたと思うと、私の脳が破壊されそうですわ…」
それだけでも頭が痛いことだったが、伊集院にとって頭痛の種となっていることは他にもある。
「しかもあの男、まさか姫乃まで手篭めにするなんて…!」
あの日、撮影から帰ってきた姫乃の様子が、明確におかしかった。
まるで熱に浮かされたかのようにポーッとしていて、こちらの話も上の空。
どんなに問いただしても要領を得ず、ようやく姫乃の口から出てきたのが、「運命のご主人様と出会いました」だ。
最初は冗談かと思ったが、普段無表情な彼女が顔を赤らめていたことで、その言葉が本気であることを、伊集院はすぐに悟ってしまった。
幼い頃からともに育った、親友のような間柄であると思っていた自身のメイドにそんなことを言われた時の感情は、まさに筆舌に尽くしがたいものがある。
「あの男、いったいどんな手を使って、あの子を…!本当に、なんでこんなことになってしまったんですのぉ…」
あの男がダメンズのふたりに手を出すのではないかという不安から、姫乃を見張り役として差し向けたが、それは失敗だったと認めざるを得ない。
こんなことなら、自分で行くべきだったと後悔してももう遅かった。後の祭りとはこのことだろう。
「私はただ、あのお方達のそばにいたかっただけなのに…」
自身の敬愛する女神達のコスプレ姿を間近で見たら理性を保てる自信がなかったという理由があったにせよ、取り返しのつかない事態になってしまった事実を覆えすことはもう出来ないのだから。
伊集院は歯噛みしながら、仇敵の名前を吐き出していた。
「許すまじ、葛原和真ァ…!」
葛原和真。あの男は女神だけでなく、自分の親友にまで手を出そうとしている最低中の最低男。クズの中のクズだ。
例え天が許しても、自分だけは決してあのクズ野郎を許さない。
そう誓うも、ならばどうすれば良いのだろうか。
「黒磯に頼んであの男を排除…いえ、ダメですわ。葛原和真のことですもの。きっとセツナ様達に泣きつくに違いありません。そうしたら、私の心象も今以上悪くなってしまう…」
それは良くない。今でさえ、自分の言葉は彼女達に届いていないのだ。
転校以来、あの男がいかに最低なことをしているかを折を見ては説いているものの、効果はまるで実感できていない。
それどころか、自分を見る目に呆れが混じりつつあることを、伊集院は実感していた。
(積み重ねてきた年月の差というものでしょうか。幼馴染ということには調べがついていますが…くっ、本当に、どこまでも厄介な男…!)
悔しさから思わず歯噛みしてしまう。
財閥令嬢として帝王学を嗜む彼女は、信用というものがいかに大きく、また重要なものであるかを理解こそしていたものの、実際に信用を勝ち取っている者を相手取った経験はなかった。
自身がまだ高校生であり経験が不足していることは認めざるを得ないが、どうやってふたりからあの男を切り離すことが出来るのか。
その手段に皆目見当がつかないことは紛れもない事実であり、そのことが彼女を大いに悩ませている原因だ。
(あの調子だと、姫乃に助言を頼んでも、きっと無意味でしょうね…)
いつもなら真っ先に相談する姫乃も、既に葛原和真によって篭絡されている。
あの男関連のことを相談しても、おそらく無意味だろう。最悪、裏で情報を渡しかねない。
そんなことはないと否定したくても、万が一のことを考えると踏み切れないのが心情だった。
「ああもう!本当にどうしたら!」
本当は、こんなはずではなかった。
『ディメンション・スターズ!』との出会いこそが、自分の運命だと信じて疑わなかった。
あまりに感情が昂ぶりすぎて、彼女達の近くにいたくなり、転校までしてきたのだ。
これから先の未来が、自身にとって最良のものになるはずだと信じて疑わなかっただけに、ショックの大きさはとても言い表せるものではない。
ガラガラと思い描いていた未来が崩れていくを感じながら、伊集院はひとつの結論を出す。
やはりあの男、葛原和真だけは、排除しなければならない。
あの男は、自身と『ディメンション・スターズ!』の未来を潰しかねない癌細胞だ。
あのクズは、決して女神達のそばにいていい存在ではない。
そう決意こそ新たにするも、ではどうすればよいのか。
「なにかいい解決策があれば…くっ、お金で解決できるなら、いっそ手っ取り早いものを…」
そこまで言いかけて、伊集院はハッとする。
―――一生俺のことを楽させて、そして養ってくれよ?俺のことを働かせるような事態になったら、いくら幼馴染だからって承知しないからな?
こんなことを転校初日に、葛原和真はセツナに言っていたはずだ。
思い返してみてもドクズ極まりない台詞だが、アリサにも同様のことを話していた記憶がある。
「養う…つまり、あの男は、お金を必要としているということですわよね?」
なら、あるのではないか。手っ取り早い解決法が。
「あの男に過不足ないお金を渡し、それを手切れ金とすれば…セツナ様とアリサ様を救えるのでは…?」
可能性はある。
金による解決。大人の世界では常套手段であり、実際伊集院家もそういう手を使い、表沙汰にすることなく事態を収めたことは過去に幾度となくある。
まだ若い彼女はそれを汚い手段と嫌悪したこともあり、使う機会は訪れることはないと考えていたのだが…もしそれで、女神達からあの男を引き剥がせるのだとしたら、安いものだろう。
自身のプライドと、ダメンズの未来。
その両方を天秤にかけるも、彼女は一切迷うことはなかった。
「背に腹は、変えられませんわ…」
そうだ。金による解決。
並の高校生には、到底不可能な方法だ。思い付いても実行に移せるものではない。
高校生が動かせる額など、タガが知れているからだ。普通なら、即却下せざるを得ないだろう。
だが、自分なら、この伊集院麗華ならそれが可能だ。
いや、財閥令嬢として生まれ育ち、動かせる金が多くある、自分にしか出来ないに違いない。
ならばやるしかない。自分なら、彼女達を救うことが出来るのだから。
「待っていなさい、葛原和真。『ディメンション・スターズ!』は、この私が守ります…!」
例えこの手が汚れることになろうとも、大切な宝物だけは守ると心に決めた。
決意をこめて立ち上がり、手を叩くと、すぐに部屋がノックされる。
「お嬢様、お呼びですか?」
「ええ、黒磯。用意してほしいものがあるの。現金で…そうね、一億。一億を用意して頂戴」
「一億、ですか」
「理由は聞かないで。急を要するわ。明日までに準備して。姫乃にも内緒で事を進めて頂戴。いいわね?」
「はっ、かしこまりました」
一礼すると、黒服の男はやがて部屋から出ていった。
それを見て、伊集院は椅子へと座り直す。
高校生の身で1億は、破格の大金だ。
この額を目の前に突き出されたら、大抵の人間は目が眩む。二つ返事で一億を選ぶに違いないと、伊集院は踏んでいた。
まして、あの俗物の権化のような男なら尚更だ。
「ふぅー…」
一息ついて、机の上に置かれた写真に目を向ける。
あまりの尊さに笑いかけると、彼女達も自分に向かって微笑んでくれている気がした。
「必ず、私が救ってみせますからね…」
全ては運命の女神達のために。
強い決意のもと、その日の夜は更けていった。
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