アイドルの登場
それは場の空気を変えるには、あまりにも十分な出来事だった。
まるで待ち望んでいたかのように、静まり返っていた教室内の時が、一気に動き出していく。
「お、おはよう、小鳥遊さん!」「助かったー!」「今日は遅かったね!やっぱり昨日ライブがあったから?」
雪菜の挨拶に応えるように、教室のあちこちから様々な返事が飛び交っていく。
そのどれもに安堵の色が混じっていたのは、決して俺の気のせいではないだろう。
ある意味救世主の到来したようなものだからな。
さっきまでの空気を吹き飛ばすが如く、明るい雰囲気に変えようと皆必死になっているのかもしれない。言葉に出すことはなくとも、クラスの意思が一致していたのは確かである。
「うん、昨日はホテルに泊まったから、今日はマネージャーさんに送ってもらったの。それでちょっと遅くなっちゃった」
返事を返しながら教室内を横切って歩いてくる雪菜だったが、それだけでも他者とは違う華があった。
幼い頃から大きく成長した彼女は、背も幾分と伸びており、髪もそれに合わせるかのように、背中まで届く長さを保っている。
スタイルも他の生徒とは一線を画しており、モデル顔負けだ。歩くだけで絵になるとはこのことだろう。女子の何人かはため息を漏らしているし、同性から見ても優れた存在であることは間違いない。
勿論容姿もアイドルをやっているだけあって並外れたものを持っており、顔のパーツが完全な左右対称の形で配置されていた。
まだ高校生ということもあって未だ未完成でありながら、まるで芸術品のような美を誇っており、そこらの女子とは比べ物にならない。いや、比べるほうが失礼と向こうから謙遜することだろう。
そんな誰もが憧れる高嶺の花とも言える存在の美少女に、俺は気軽に声をかけた。
「よっ、雪菜。おはよーさん」
「あ、カズくん!おはよう!」
俺の声に笑顔を浮かべ、雪菜が近づいてくる。
こうして意識してみると、改めて彫像のように整った容姿だと思う。
だけどその表情は柔らかで人間味があり、作り物のような冷たさを感じることはない。むしろ暖かく、見た者の目を奪っていく。
それが雪菜という存在だ。誰もが羨む、完璧な美少女を体現している。
まさに雪菜は、アイドルになるために生まれてきた少女だった。
間近でこの笑顔を見るためなら、金を払うというやつはごまんといるだろう。
それをタダで向けられているのは、幼馴染の役得ってやつだろうな。
まぁ互いにWin-WInの関係だから、釣り合いが取れてるっちゃ取れてるんだろうけど。
「あ、あばばばばば。な、な、なませつなしゃま!?本物!?う、うつくしすぎでは!?ぱ、ぱ、パーフェクトヒューマンがすぐそこに!!??」
ちなみに伊集院はなにやらバグったように何事が呟きながら口をパクパクさせていたが、俺はスルーすることを決め込んでいた。
ヤブヘビなんざ突いてもいいことなんざないからな。こういう時は、無視するに限るのである。
「昨日のライブ、良かったみたいじゃないか。ネットじゃ絶賛されてるぜ。最高のライブだったって大評判だ」
「ホント?えへへ、昨日は頑張ったから嬉しいなぁ」
俺が褒めると、雪菜は頬を赤らめ、はにかむように微笑んだ。
耐性がなかったら一発でやられそうな笑顔だ。幼馴染としての贔屓目抜きに、やはりコイツは可愛いと思う。
こんな子に、真正面から笑顔を向けられる俺は、きっと幸せ者なんだろう―そう、色んな意味でな。
「うむ、これからも精進したまえ。そうしてたくさん稼いでくるがいい。そうすりゃ人生勝ち組待ったなしだからな」
「カズくん、その言い方はちょっとひどいよー。ファンの人達は私のことを真剣に応援してくれてるんだから。私は、その期待にしっかりと応えないといけないの。そういうの抜きで、私はこれからも頑張るつもりだよ?だからそういうことは。いくらカズくんでも言っちゃダメなんだからね?」
めっと、俺を窘めてくる雪菜。
まるでいけないことをした子供を叱る母親のような態度だ。お母さんかなんかだろうか。
まぁ迫力が皆無なので、本気で叱るつもりはないんだろう。
というか、雪菜に怒られた記憶が俺の中には存在しない。
片割れのアリサになら、いくらでもあるんだがな。こっちの世話焼き幼馴染は、とことん俺に甘いのである。
「そうそう。その通りだよ小鳥遊さん。さっすが、いいこと言うなぁ…」
なにやら感激しているのか、隣で佐山がうんうんと頷いている。
そういやいたな。他の面子が濃すぎてすっかり忘れてたわ。朝からドタバタしまくりだったしな。
「なんという尊さ…素晴らしい…小鳥遊さんこそ、アイドルの鑑だ…」「これは推せる…」「天使かな?」「帰ったら曲落とさないと…」「私、女の子でも雪菜ちゃん相手ならイケると思う」
辺りを見渡すと、皆佐山と同じように尊敬の目を雪菜に向けているのが分かった。
どうやら雪菜のアイドルとして模範的な回答に、各地で好感度が急上昇してるらしい。教室のあちこちで感銘の声も上がっている。
「悪い悪い。茶化しちゃったか。雪菜は真剣にアイドルに取り組んでいるんだな」
俺は雪菜に謝りつつ、その様子を横目で確認し、内心ほくそ笑んでいた。
こんなことで好感度を稼げるならチョロいもんだ。
悪役になるなんて、俺にとっては造作もないことだからな。泥なんざ、いくらだって被ってやらぁ。
「ふふっ。そうだよ。分かってくれたらそれでいいの」
「おう。次からは気をつけるよ。それでさ、そろそろ本題に入るんだけど―」
なんせ、それは巡り巡って俺の利になるのだから。
なぜなら―――
「今月分の金、持ってきてくれた?」
「うん!さっき下ろしてきたから。はい、これ!今月分のお小遣いだよ!」
満面の笑みで差し出された封筒こそが、俺の求めていたものなのだから。
それを見て俺もまた、満面の笑みを浮かべるのだった。
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