第11話

 一週間後、真は自室の机で自分が描いた大社の蟇股図を渋い顔で睨んでた。

 結局の所、神農も張果老の謎も解けないままであった。

 高舞殿の十二支のように際立った特徴があればもっと解読も進むのだが、他の地域の蟇股と同様、さして目立ったポイントもなくひたすら頭を悩ませていた。

 楼門の東は横に囲碁、王子喬、張果老だ。囲碁には動物が彫られていないから全く脈絡がない。いや、碁は白と黒の石から別名烏鷺うろという。カラスとサギだ。しかしそれでも烏、鷺、鶴、鹿では一貫性が無い。鷺は蓮と並ぶことで「一路連科」と呼ばれ縁起を担がれているが、いかんせん烏は日本と同じ不吉の象徴でここでは特に意味を成さない。

 楼門の全体の蟇股を見渡して、背景を考慮すると神農・許由・囲碁・張果老が松、波は王子喬・張騫・呂洞賓・琴高、竹は巣父と孟宗と調べても関連性は皆無だ。

 では水に関係している物をピックアップしてみると、背景が波の蟇股以外に許由と巣父は山の水がエピソードの裏にある。南と北の四枚の蟇股はそれで共通するかもしれないが、琴高と王子喬は位置的に繋がりが見られない。

 生き物が彫られている蟇股は王子喬の鶴、琴高の鯉、巣父の牛、そして張果老の鹿である。

(鶴は中国じゃ仙人の寿星とのセットになってるな。確か尾形光琳に寿星と鶴・鹿が描かれている絵があったっけ。でも大抵は鶴だけなんだよな)

 自問自答を繰り返した真は机に頬杖をついて、次に牛を思念した。

 牽牛織女伝説は言うに及ばず、中国でも牛のイメージは善悪色々ある。

 真は「牛が角を借りる」という故事を思い出していた。

 喧嘩好きな牛が他の動物に何とか勝ちたいと、角のある馬に頼んで角を貸してもらった。角の威力は強く連戦連勝。馬は角を返せと談判するが牛は知らぬと惚けるばかり、そして角を返さず今に至るという。

 この話じゃ馬に角はあったんだよな、と真はスマホに入れた張果老の写真に目を据えた。

 鹿はルーと読み、ルー、つまり給料と連なり縁起物だ。日本でも建御雷たけみかづちの乗り物と尊ばれている。鯉も登龍門で有名であり、鯉魚はリーイーと言い、利益を意味する利余と発音が似ていて縁起に繋がる。

 だが生き物関連ではない。

 もはや完全に思考が絡まり合い堂々巡りしてしまっていた。

(そもそも婆ちゃんはこんな細かい故事知らないだろう。婆ちゃんの知識内で謎を解かないと意味無いな)

 真は和佳の部屋へ移動し、例のヒント集の箱を開けて再確認してみた。

「鹿の関係は張果老に繋がった。鯉も垂井の鯉のぼりだと解けた。しかし、桃太郎と絵馬の裏の数字は解読に到ってない。そもそも+のマークは何なんだ、婆ちゃん」

 真は和箪笥の向かいに置いてある本棚に目を移した。

 歴史好きな和佳だけあって、様々な時代の歴史書籍がずらりとならんでおり、中には徳川実記全巻のタイトルや、徳川三代や家光の専門書が見える。それに真に勧めた三国志ももちろん中国の昔話や世界幻獣図鑑などマニアックなものも揃っていた。

 真の母親からの話では和佳は当時としては珍しく歴史学者に憧れていたそうだ。

 確かに真が歴史学を専攻した時は物凄く喜んでいた。今思えば自分の夢を孫に託したのだろう。

 でもそんな婆ちゃんに専門家の俺は謎解きで追いついていないんだよな、と真は意気消沈した。

 そんな折、部屋に設置してあるインターホンからチャイム音が流れた。

 真は立ち上がり、「はい」と壁のスイッチを押した。

「真、私、私。開けて」

 見ると喜色を満面に浮かべた姫香がモニターに映っている。

「すみません、私私詐欺は間に合ってますので」

 冷静な声で真はスイッチを切った。すると時を移さずチャイムの嵐が果てしなく鳴り続いた。やがて閉口した真は諦めて玄関を開けた。

「何で切るのよ」

 出た途端、姫香は思い切り頬を膨らせていた。真は煩わしそうな目を向けた。

「上機嫌の姫香は経験上ろくな事考えてないからな」

「失敬な」

「だったらその手に持ってるゴーグルが付いたハーフヘルメットは何だ」

 真はジーンズ姿の姫香が右手に提げたピンク色のヘルメットに視線をやった。

 姫香は照れ笑いで項を撫でた。

「今日は有給取ったし天気も良いし。えへへ」

「さようなら(ザイジェン)」

 嫌な予感が的中した真は玄関の扉を閉めようとした。

「あのねえ、幼馴染みの来訪にその扱いは酷くない」

 姫香もノブを閉めさせまいと対抗し力尽くに引っ張った。そうして直ぐさま力比べに負けた真は結局扉を開放した。

「クソ、大学時代中国行くためにある程度身体を鍛えた俺が姫香に力で負けるとは」

「変な所で肩を落とさないでよ。ところで今日の目的は……」

「タンデムシートに乗ってツーリングしたいってか」

「当たり。だからヘルメットも奮発したんだ」

 真はすると喜んで受け答えする姫香の足下にある大きめの紙袋を指さした。

「ちなみにそれは」

「これ、折角だからお弁当詰めてきた。何と重箱三段。桜咲いてるからお花見弁当だよ。真それなりに食べるから大きめのお重にした。水筒にお茶も入れてきたし準備万端」

「そうか」

「あれ、嬉しくないの。お弁当だよ。それとももう昼前に何か食べちゃったとか」

 無反応な真に姫香は怪しんだ。真は淡々と指摘した。

「嬉しいとか、それ以前にお前、それどうやって二人乗りで持っていくんだ。俺のバイク、リアシートもボックスも無いし、新しく付けたサイドバッグにもそんなでかい重箱入らないぞ」

「あ」とだけ声を漏らした姫香は落ち度の表情を隠さなかった。真は思わず喜劇のようなそそっかしさに失笑した。

「笑うな」

 恥ずかしそうに小腹を立てる姫香へ真は「お前の愛車のハスラーは」と忍び笑いの口を止めて聞いた。

「……乗ってきたけど」

「もちろんお前が運転してくれるんだろ」

「え?」

「今日は花見、ハスラーで行こう。俺も良い気分転換になるしな。バイクはまた今度」

 姫香は俄然「うん」と明るい笑顔に戻った。


「ぎゃああああ」

 助手席に座った真は程無く後悔した。

 姫香が花見の前に行きたい所があるからと運転していった先が何故か垂井の北部にある明神湖みょうじんこ(正式名称は不破北部防災ダム)の入口であった。

 ここのダム湖は竹中半兵衛の菩提寺である禅幢寺から北に上っていった所にあり、周囲を長さ約二・六キロの、幅の狭い道が取り囲んでいるのだが、上空から見ればそれはちょっとしたサーキット場に似ている。

 つまり緩やかなカーブはもちろん、直線、ヘアピンカーブもある。

 もちろん、ここはレーシングコースではない。だが姫香は入口に着くなりエンジンをブンブンとふかしだし、心底楽しそうな笑みを浮かべた。

 真はまさかとおぞましい予感を覚えたがもう遅かった。猛スピードで疾駆する車に体を振られながら、中国の地上七十五メートルの崖に建てられた懸空寺の欄干から落ちそうになった時の方がマシだったと走馬燈が脳裏に過ぎった。

「あー、スッキリした。やっぱストレス解消にはこれが一番」

 一人ご機嫌で来た道を戻って行く姫香にぐったり疲れた真は、「お前の車には今後一切乗らない」と恨めしそうに宣言した。

 県道の片側一車線の制限速度は基本五十キロである。メーターが見えないから何とも言えないが姫香の運転は間違いなく法定速度を超えていた。

「私がスピード出すの明神湖のあのコースだけだって。他の道は安全運転を心掛けてる。これでも公務員だからね」

 姫香は偉そうに自慢したが、真は「私道でやれ、走り屋め」とすげなく返した。

「そんなにむくれないでよ。ほら、垂井一の花見場所見えてきたよ」

 真は気を取り直し、窓から相川両岸沿いのソメイヨシノの列を一望した。

 二百本の満開の桜、そしてそれを彩るカラフルな鯉のぼりの群れ。西を向けば雪化粧の伊吹山が青空に真っ白いコントラストをなしていた。

 平日にもかかわらず風光明媚な河原には大勢の観光客が芝生に陣取り各々花見に興じていた。

 姫香は河原の駐車場に車を停めると近くの空いている芝生のスペースに持参したレジャーシートを敷き、三段花見重の中身を勝ち誇ったように「じゃん」と見せつけた。

 一の重は具がたっぷりの巻き寿司、二の重は海老天と野菜の煮付け、そして三の重はトンカツと唐揚げというパワー弁当である。

「どう、すごいでしょ」

「そうだな、お前の荒い運転のせいでおかずが片側に寄っていなければ」

「無粋な事言わない。それより御馳走の感想は」

「茶色の割合が多いが美味そうだ。姫香が作ってくれたのか」

 すると姫香はチッチと人差し指を振った。

「巻き寿司は駅前のどんさん、海老天と煮付けはうえだやさん、トンカツと唐揚げはいっしょうさん」

「料理屋のテイクアウト詰めただけじゃねえか」

 真は胡座をかいて突っ込んだが姫香は甘いねと反論した。

「これもれっきとした観光係の所用。これをネットにアップして飲食店も盛り上げるんだ。写真写真」

 スマホで重箱弁当を映す姫香に真は声を掛けた。

「そういや、お前あれから料理の腕は上がったのか」

「ん?」

「昔調理実習で作ったからって俺にくれた殺人的に塩辛いカップケーキ、今でも覚えてるぞ。まさかリアルで塩と砂糖間違える奴がいるとは」

「うるさい、大体いつの話してんの。今は違うわよ」

 姫香は恥ずかしさに気色ばんで言い訳した。

「ほう、じゃ何か作れるのか」

「い、いいのよ、別に。今は出来合いもあるし、レトルトも冷食も充実している世の中なんだから。それよりさ……、その、今更だけど……」

 何故か姫香は急に言い淀んだ。

「何だ」と真は唐揚げを口一杯に噛みながら姫香を見た。質問をためらっているような様子に真は更に「何だよ」と問うた。

 姫香は視線を逸らせ、もどかしい小声を出した。

「うん、中学二年のバレンタインの時、真、斎から放課後何か貰ってなかった」

「見てたのか。貰ったよ」

 あっけらかんと真は打ち明けた。姫香は落ち着きなく尋ね返した。

「まさか、ち、チョコレート?」

「いいや」と真は巻き寿司にかぶりついた。

「金つばだったよ。大野家の関係者に配るからその前に毒味してほしいってさ。さすがに神社の巫女がチョコを皆に渡す訳にはいかないから和菓子をチョイスしたんだろう。親の指導で初めて作ったそうだから味に自信が無かったらしい」

「へえ、毒味ねえ」

「ああ」

「さぞ美味しかったでしょうね」

「美味かったよ。あいつは基本料理上手だから菓子も良い仕上がりだった」

「ふうん。あ、そう。良かったね」

「何だよ、さっきから妙に突っかかって」

「別に」と姫香は弁当のおかずを黙々と食べ始めた。

 何を御冠になったのか知らないがこうなった姫香は結局気分を和らげさせないといつまでもややこしい。真は水筒を持って、ほら、と姫香のコップにお茶を注いで、一つの漢詩を口ずさんだ。

「水を渡り、た水を渡り、花をた花を看る。春風しゅんぷう江上こうじょうみち、覚えず、君が家に到る」

「……何」

みんの詩人、高啓の詩だよ。何度も小川を渡って咲き誇る桃やスモモの花を見る。春の風にそよぐ堤の道を歩いていくと知らない内に君の家に着いてしまった、って意味。麗らかな春にぴったりな詩だろ」

「わ、素敵。ロマンチックだね。相手は彼女か何かなの」

「残念だが相手は『彼』だ。胡という世捨て人さ。だから題も『胡隠君を尋ぬ』という」

「何だ、恋の詩じゃないんだね」

 続きを期待した姫香はガッカリしてお茶を飲んだ。

「それでも和やかな光景が目に浮かぶよ。素晴らしい詩だ」

 と、真は頭上に音を立てて翻る鯉のぼりを見上げた。

「そうだね」

 姫香も穏やかな風に吹かれてふっと笑み顔で空を見た。

「そういえば、真、鯉のぼりってなんで上げているんだっけ。縁起物だってのは昔に習ったけど」

「鯉のぼりか」

 真は箸を置いて得意気に説明した。

「正に縁起物さ。登竜門って熟語は知ってるだろう」

「出世とかの狭き門みたいな感じだよね」

「そう、語源は中国。後漢書・李膺りよう伝に出てくる故事で、黄河の急流を登りきった鯉だけが竜になれるって伝説から縁起を担いで鯉のぼりをあげているんだ」

「へえ、鯉が竜に」

「あ、そうだ。婆ちゃんのヒントな、解けた一つがこの鯉のぼりだった」

「ワカ婆ちゃんの? だったら大社の蟇股に関係してるのかな」

「そうだな、鯉といえば琴高仙人で、あの黒い鯉も龍の子と言われて……」

 ここで真の脳の中でバチッと火花が散った気がした。

「……龍、あの鯉は龍を指すのか。いや、でも関連が」

 ブツブツと頭の中を整理する真に構わず姫香は次の質問を投げ掛けてきた。

「あ、真、もう一つ聞きたいんだけどこれ」

 とスマホで撮った画像を見せてきた。それは「南宮大社」と彫られた石柱であった。大社入口に建っている社号標である。

「それがどうかしたか」

「この石柱の横に彫られた名前なんだけど、この人って有名なの? 私なりに大社を調べようと思って気付いたんだけど」

 姫香は再び画像を示した。そこには「神社本廳ほんちょう統理 徳川宗敬謹書」と彫られていた。真は思い出して喋った。

「徳川宗敬むねよしだな。彼は最後の将軍慶喜の又甥またおい。ちなみに統理っていうのは神社本庁の象徴的なトップ。貴族院の副議長も務めていた事情から神社界に入ってから統理に選ばれたんだろう。しかし皮肉なもんだよ」

「皮肉、何が?」

「考えてもみろよ。明治政府は徳川が再建した神宮寺を神仏分離で切り離した。それから後にこの建てられた社号標は徳川の人間が書いた字で彫ってあるんだぜ。皮肉以外の何ものでもない。結局、いつまでも南宮大社は徳川の神社だって事さ」

「成程。でも大社ってそれ以外徳川の名残ってあるの」

「一ヶ所だけある。隼人社の右横の勅使殿ちょくしでん、あそこの屋根に徳川家の三つ葉葵の家紋が見える。あそこは明治時代前まで正面は護摩堂だったんだ。それで残されている」

「ふうん、気付かなかったな」

「あまり神社で上を見上げる人間は多くないだろうからな。例の蟇股が見つからなかったのもそれが理由さ。そうだ、姫香」

 突然真は持ってきていた研究ノートを広げて境内の蟇股図を見せた。

「日光の東照宮じゃ有名な話なんだが、徳川三代が蟇股で表現されていると知ってるか」

「知らない。どういう話」

「日光五重塔の東側の蟇股がそうなっている。初代家康の生まれ年は寅、二代秀忠は卯、三代家光が龍と丁度横並びになっているんだ。それは、ほら、この南宮大社の図を見てくれ。日光と同じだろ。楼門の先の高舞殿には徳川三代が横に三枚お出迎えだ。それからこうして門の右を真っ直ぐ通れば家康に……」

 真は高舞殿の寅・卯・龍の蟇股図を指で横に滑らせた。そして次は楼門右手から指を西に滑らせて寅の蟇股で止めたのだが、その指先の経路を見るやいきなり脳内に眩しい閃光が走った。

「緯武経文……、縦糸と横糸…、囲碁、神農、寅、家康……、まさか」

 急転して顔を興奮で真っ赤にした真は楼門の真ん中と左にも西へ向かって指を滑らせた。

「秀忠は、そうか。そういう流れだったのか。だけど家光は……」

 真は暫くの間腕を組んで図面を穴が開くほど睨んでいた。そして納得と疑問の呟きを繰り返し、やがて「ちくしょう、後二つパーツが不足してる」と苦慮した額を拳で叩いた。

「何か足りないの」

 状況から見て例の謎が解けかけているのは姫香も見て取れた。だから思索の邪魔をしないよう静かに話し掛けた。

 真は心底悔しそうに嘆いた。

えびか、鬼の蟇股さえあれば謎はほぼ解けるんだ。出来れば鷹も。しかし蝦の蟇股なんて大社にあればとっくに有名になっているだろうし」

 すると姫香が頭を傾けて何かを想起した。

「蝦じゃなく鬼なら私見たよ。真っ赤なの。蟇股かどうかは不確かだけど見た目怖かったから覚えてる」

「ど、どこで?」

 真は姫香の両肩を強く掴んで揺すった。もう周りの花見客が見ていようが真には関係なかった。姫香は鬼気迫る勢いに押されながら察した。

「落ち着いてよ、真。よかったら今からそこに案内するけど」

「頼む、一秒でも早く知りたい。おかずの残りは夜にでももらうよ」

 乱暴に弁当箱を片付ける真の様子に姫香は呆れつつも、研究者の真らしいと微笑んだ。


「ここは……」

 姫香が連れてきた場所に真は驚愕した。

 そこは南宮大社から北の坂を登った先にある真禅院であった。神仏分離令で南宮大社から移転してきた曰く有る寺院である。

 ハスラーを駐車場に停めると姫香は、こっち、と苔生した「朝倉山南神宮寺」の寺号標を横目に長い石段を先に上り始めた。

 そして間も無く立春大吉と札が貼られた小さな石門が見えた。

「お目当てのものはあそこだよ」

 門を潜ると姫香はその正面にある真っ赤な入母屋造りの堂宇を指さした。

「本地堂か」と呟いた真は思わず全力で走っていた。

 息を切らせ堂の屋根を見上げると、破風の中心を飾る、三つ葉葵紋がついた懸魚けぎょの下には虹梁こうりょうという横木があり、そこに件の「赤鬼」は懸かっていた。

 それは蟇股でなく、地上の参拝者と目が合うように若干俯いている鬼面であったのだが、黒い角に裂けた口に鋭い牙、そしてやたら張り出した大きな眉が恐ろしさを増していた。

「鬼はそれで良かったの」

 姫香は声を掛けたものの、探求熱に冒された真の耳に届いていないのか、次にお堂を飾る四面の蟇股を凄い勢いで一周グルリと観察し始めた。渡り廊下向こうが立入禁止となっているため、住職の許可を得た上だが、とにかく目を皿にして精察し尽くしていた。

 そうして全て調べ終わってから真は空へ向かって感慨無量のガッツポーズを作った。

「解けた、解けたぞ。蟇股が全て繋がった!」

「本当なの、真」

「ああ、南宮大社は本当に徳川家の神社だったんだ。全てが蟇股彫刻に暗号として隠されていた。桃太郎もこれを指していたんだ。凄い、婆ちゃんはこの想像を絶する謎を昔に解いていたのか。我が祖母ながらなんて人だ」

「どんな謎なの。ねえ」と姫香も興奮していたが、真は冷静さを取り戻した。

「一連の謎は解けたんだが、肝心の仕掛け人の正体が掴めていない」

「仕掛け人?」

「前に言ったけど大社の蟇股彫刻は裏に寓意を持たせた依頼者がいる。その依頼者こそ、この神秘の鍵を握っているんだ」

「家光じゃないの」

「将軍に建築知識があると思うか」

「じゃあ大工さん」

「確かに幕府の大工頭、木原義久は彫り師の監督もしていただろう。しかし、この蟇股の組み合わせは一種の術だと思う」

「術?」

「一旦家に帰って仮説を整理するよ。婆ちゃんの絵馬の数字も解けそうだし」

「そうなの。楽しみ」

 逸る気持ちを抑えきれず二人は踵を返し石門へと向かおうとした。

 すると通路の横に「朝倉山真禅院」と書かれた古い縁起案内板が見えた。真は立ち止まり、その内容を目で追った。

 それは創建から現在までの寺の歴史が綴られていた。開基は行基である事、平将門と安倍貞任追討の祈祷を行って寺領を授けられた事、豊臣秀吉より二百石の朱印を出してもらった事、そして関ヶ原の戦いで炎上した過去などが細々と記されていた。

 真は続きを読み上げていた。

「因って南宮権現執行利生院永純、本寺の東叡山寛永寺住職 (開基)慈眼大師……に再建を……」

 慈眼大師!

 この名前を目の当たりに瞬間、神経回路のスパークが連鎖的にバチバチと弾け、真の中で僅かに残っていたピースが一枚のパズルに組み上がった。

「……呪王だ」

 真は強く呟いて姫香を勇んだ笑みで直視した。意気揚々とした表情が太陽の光で一層輝きを増していた。姫香はまた何か判明したに違いないと感じながらも聞き慣れない言葉にその顔を見詰め返した。

「え、真、何?」

「あの張果老の鹿は馬鹿の鹿なんかじゃない。呪王の鹿だったんだ!」

「じゅ、おうって誰」

「それは全部固まってから教えてやる。ただ一つだけ明らかになった事実がある。南宮大社は途轍もなく重要な役割を持った神社だった。だからこれから斎に会いに行く」

「斎に?」

「それと姫香にはこれから謎解きと斎の件で色々協力してもらいたい。頼めるか」

 ミステリーを次々と解いた真からの願いである。姫香は快諾の親指を立てた。

「もちろん、どんな事でもやるよ」


「今、何と言ったの、真君」

 授与所から神輿舎の前まで引っ張り出した斎に真はこれまでの顛末てんまつを話した。

「だから蟇股の仕掛けを解いたんだよ。あの張果老が馬鹿の蟇股なんてのは大社の間違った伝承だ。あれは吉祥の印なのさ」

「吉祥?」

「あの鹿は家光の龍の一片だったんだよ。仕掛け人は慈眼大師だ」

「じげんたいし、それは誰。それに仕掛けとか何」

 突然現れて、蟇股の謎を解明したと打ち明けられ混乱する斎に構わず真は意外な問いをした。

「ところで上陽宮司はいつ大社に戻ってくる」

「え、あ……、確か四日後には」

 斎はスマホでスケジュールを確認した。

「了解、四日後だな。丁度良い。その前日に斎だけには謎の全てを話してやるよ。勅使殿のどこかの部屋が空いてないか。どうしても謎解きに必要なんだ。姫香も来るから」

「姫香ちゃんも」

「今回は助手みたいなものでな。大丈夫だろ」

「ええ、もちろん。ところでその姫香ちゃん本人はどうしたの」

「用があるからって帰って行ったよ。ま、期待しててくれ。今回の謎解きは凄いぞ。公表すれば南宮大社の名も一躍全国区だ。参拝者の数も鰻登りになるに違いない」

「私達は静かな神社で構わないのだけれど」

「おいおい、巫女長がそんな欲のない。大社が賑わえばそれが垂井町の発展にも関わるんだぞ。とにかく三日後の昼前に二人で来るからよろしく」

「分かったわ。真君の頼みじゃ断れないもの」

 と斎に肯んじさせた真はそのまま帰路についた。


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