第10話

(斎のやつ、まだ何か隠してるな)

 家のベッドに寝ころんで大月餅にガブリと食らい付いた真は昼間の話し合いを忌々しく思い出していた。上手く事が運ばない時は甘い菓子でも食べないとやっていられない。

 確かに馬鹿の蟇股は大社にとってダメージが甚大だろう。しかし、それは飽くまでも斎が語った「彫り師が間違えた」という打ち明け話を真に受けた場合による。

 中国・史記の秦始皇本紀にも「指鹿為馬しかをさしてうまとなす」という説話がある。これは圧力により無理強いさせる故事なのだが、それが生まれた過程はこうだ。

 秦の野心家の趙高ちょうこうが帝の前に馬を連れてきましたと鹿を献上した。周りの家臣の一部は、それは鹿だと声を上げたが、趙高の権力を恐れた者は皆馬だと趙高に媚びへつらった。鹿と口にした者は後に捕らえられ処刑された。

 これが馬鹿の語源の一つになったというがそれは違う。中国語の馬鹿はマールーと発音され、鹿の一種「赤鹿」を指す。日本語の罵り言葉の馬鹿を表すなら「フェンダァン」で、馬鹿の語源は僧侶が使っていたサンスクリット語のMOHA (莫迦)の当て字ではないかというのが一般的だ。

 とにかく真は彫り師が鹿と馬を間違えたという件に非常な不服を唱えていた。

 それはまた斎が、真は敢えて反論を避けたが、山羊と羊を彫り違えたという愚かな証を出した事にも同じ感情を抱いていた。

 有り体に言えば「ちゃんちゃら可笑しい」のである。

 何故なら江戸初期には現代に見られる綿羊は飼われておらず、それは古代中国も変わらない。そして山羊も沖縄や九州の一部を除いて明治時代まで一般的でなく想像上の生物と見なされていたため羊と山羊は一層混同され、絵入りの百科事典である『和漢三才図絵』や『訓蒙図彙きんもうずい』にも羊は山羊の形で描かれているのは周知の事実であり、同時代の寺社の羊の蟇股はほぼ山羊の形をとっていて、山羊が彫り間違いと言い立てるのは短慮としか言いようがない。

 姫香にも話したが工事には必ず確認検査が入る。それが途中であろうが終了後であろうが失敗は認められない。何と言っても南宮大社は徳川家の肝煎りで再建したから楼門を彩る蟇股彫刻が「過ち」では到底済まされない。

 大社の再建の最高責任者は美濃郡代の岡田将監善政よしまさであるが、大工頭は幕府の木原杢助もくすけ義久だ。彼は日光東照宮の建築にも関わっている。その義久がこんな重大な過失を見逃す訳はない。もしミスが発覚したら蟇股彫刻なら容易くやり直すことが出来る。それが成されていないのは別の理由があるからだ。

 それにこの時代には疾うに「瓢箪から駒」の言葉は知られており、大社が再建される前の一六三八年の俳諧・毛吹草には「へうたん(瓢箪)の駒も出べき春野哉」と詠まれていて、また、伊達政宗の言行録にも大坂の陣の折、この諺を利用して瓢箪に馬を付けて家来に贈っている旨が記されている。

 詰まるところ、これだけ流布している諺をそもそも彫り師が知らない訳はないのである。

「あの鹿が婆ちゃんの言っていた宝であるのは誤りじゃないんだと思う。大社の彫り師は拙いどころかそこそこ優秀だ」

 大きな月餅をあっという間に平らげた真は金色のブタの絵がプリントされた枕に頭を沈めこませて独りごちた。

 山羊の無知は仕方ないにしても大社の蟇股彫刻は実に巧く彫られていて、呂洞賓蟇股にも或る工夫が見受けられる。

 実は波の上を剣に乗る構図は中国の「八仙過海はっせんかかい」の物語に由来する。八人の仙人が海を渡る際に自分の持っている宝物を海に投げ入れてそれに乗るという。「八仙過海、各顕神通」(八仙海を過ぐるに、おのおの神通を顕す)の言葉通り、呂洞賓は剣に乗っている。対して鍾離権は芭蕉扇に乗ってる。しかし日本のその時代、呂洞賓と師匠である鍾離権が混ざってしまい、波乗りの蟇股は日光東照宮では笠を持つ鍾離権と認知されてしまった。

 その混同を避けるために大社の彫り師は、呂洞賓の手を中国の敬礼である拱手の形にした。つまり敬礼を向けているのは師の鍾離権であり、その彫刻は即ち呂洞賓という証になる。

 その拱手を描いた絵も山西省に実在する。それが『呂洞賓に指示する鍾離権』だ。

 但し、斎の呂洞賓の乗り物は剣でなく木の棒に見えるという指摘には反論できなかった。大社の蟇股間違いなく呂洞賓だ。しかし八仙過海図は様々なバリエーションがあり、宝物でなく雲に乗っていたり、呂洞賓も素足で波に乗っている場合もある。

 日本に伝来して変わった図も多い。ロバに乗る張果老の持ち物は瓢箪でなく楽器の一種である魚鼓ぎょこである。宝暦の結構書という資料に記載されている日光の笠を持って剣に乗る鍾離権(聖)でさえ、中国の過海図では呂洞賓になっている。第一、元の鍾離権の容姿は大抵がでっぷり太っている。どこでどう間違って伝えられたのかよく分からない。

 それはともかく、大社では呂洞賓の剣を敢えて、地衣類が生えた木の棒に差し替えた。

 真はそれにも何らかの別意があると考えていた。

 そんな時、スマホの着信音が鳴った。音から察するに剣吾である。

「はい、お前に騙された坂城ですが」

「何だよ、出るなりご挨拶だな」

「お前な、俺に姫香を会わせてから全然連絡なかっただろうが。何でラインにも反応ないんだ」

「悪い悪い、実はスマホ海に落としてしまってよ。新しいの届くまで時間掛かったんだ」

「怪しいな。お前の話は信じられなくなったぞ」

「そう勘繰るなよ。それはそうと、俺、嫁さんと今日ユタの所で視てもらってたんだ」

 ユタは沖縄の霊媒師である。鼻息を鳴らして真は言った。

「剣吾、相変わらずお前そういうの好きだな。中学の時から全然変わってない」

「それは俺の自由だ。ところで家族の健康とか仕事の今後とかの伺いを立ててもらおうとしてたんだけど、それがちょっと思わぬ展開になって」

「何だ。離婚するとか占われたのか」

「不吉な事さらっと言うな。違うよ。実はワカ婆ちゃんの霊が伺いの途中から急に出てきたんだ。お前に伝えてほしいって」

「は、婆ちゃんが。何でそんな胡散臭い所で」

 半信半疑どころか完全に疑った口調で真は尋ねた。真がリアリストだと知り尽くしている剣吾は意に介せず続けた。

「別に信じてくれなくていい。ただ、ユタのお告げをそのまま伝えるぞ。『真、一方だけ見ちゃいけない。大切なのはイブ、ケイ、ブンだよ』って」

「……待て、剣吾。最後何て言った」

「イブ、ケイブンだ。外国人の名前なのか」

 すると真は唖然として反射的に通話を切った。緯武経文は和佳が真に子供の頃教えてくれた、文武両道を重んじてそれを政治の主軸とする中国由来の用語である。

 本当に婆ちゃんがユタの口を通じてあの世から語ってきたのか。剣吾にはあの時の様子は全く喋っていないし、婆ちゃんとの秘密を守って謎を誰にも話していない。

 真は心霊の類はまるで信じていなかった。目に見える証拠を積み上げ理論を構築するのが学者の仕事である。そこにスピリチュアルを持ち込むと混乱をきたすのだ。しかし、あの「緯武経文」は和佳と真しか知らない暗号のようなものであり、仮にそれが和佳のメッセージであっても真には用語の真意が掴めないでいた。

(婆ちゃん、蟇股に文武両道は関係あるのかい。俺にはもう分からないよ。それにもう例の蟇股は発見したんだ。なら謎は解き終えてるんじゃないか)

 考え疲れた真は投げ遣りに腕を伸ばした。

 するとベッドの上に置いていた置物が右手の甲に当たってから真の顔にゴツンと思い切り落下してきた。

「イテテ」

 直撃した鼻を押さえて見ればそれは中国土産に購入した、掌大の金色の孔子像である。そしてその台座には「今女畫(今、汝は画れり)」と彫られてあった。

 これは論語の一節である。

 弟子の冉求ぜんきゅうが孔子に私には力不足で先生の教えについていけないと泣き言を漏らした。すると孔子は彼に「それは力不足ではない。今 自分で出来ないと決め付けているだけだよ」と音を上げそうになった弟子を励ました。

 「孔夫子」と真は呟き、その像を硬く握った。まるで尊敬する哲学者に叱られたような気がした真は孔子像を手にガバッと起きて、「ウォージンリーアールウェイ(頑張ります)」と誓った。


 それから二日後、真は厚手のゴム手袋をはめて大社の登山道にいた。

 解けていない蟇股ミステリーの調査を継続しつつ、前から心の片隅に引っ掛かっている事案を調べにやってきたのだ。

(あれから雨が降っていないのが幸いだな。しかし、時間が経ってるから果たして見つかるか)

 百連鳥居の近くの草むらにしゃがみこんで真は地面にと或る物を探していた。

 悪戯者の猿、カラス、そしてパグに、野生の鹿。

 それらは倒れては元に戻るという全て似た症状を呈していた。

 神への祈りを否定する訳ではない。しかし、この一連の変事には同じ糸で結ばれている何かが介在している気がしてならない。邪推で済めばそれに越したことはないが、もし自分の予想が当たっているならば、と想像すると真は気が重くなった。

(それでも念のため一応捜索はしておかないと)

 登山道で一人屈んで怪しげに道端を見渡しているなど誰かに目撃されれば本来通報ものである。

 しかし今日は平日で登山道に人気もなく、僅かに声がしているのが南門の近くに建てられている大社の弓道場で、関係者が試合を見に来ているだけであった。

(そういえば姫香が今その試合に出てるんだっけ)

 大社にやってきた時、ちらりと弓道衣姿の姫香が目に入っていた。声を掛けるのも憚ったので姫香は真が大社を訪れているのを知らないだろう。

 蟇股の謎を公表できないと無理矢理了察した姫香の落胆ぶりはなかった。

 結局あの晩は鳥遊とりゆうの小あがりテーブルの対面でやけ酒に付き合った。秘密の内容を話せないためか、鬱屈した不満が爆発してジョッキのハイボールを飲みながら愚痴るわ喚くわ、真はその相手を宥めなければいけない分素面でいなければならなかった。

 もちろん発見を封印された無念さもあったのだが、姫香は役場の繰り言でなく、真の昔のプライベートを細々聞いてきた。大学の人間関係とか、バイト先での女性従業員との間柄とか、真は何故そんなどうでもいい質問をしてくるのか不思議でならなかったし、酒で絡んでくる会話としては正直疎ましかった。

 真は話題を転じようとしたが、完全に泥酔した姫香は突然ネギマの串を向けてきた。

「ねえ、真ってさ、今でも斎が好きなんでしょ」

 串で人を指すな、と真は姫香の腕を外に押した。

「くどい。前に話したろ。あいつはもうすぐ結婚するんだ」

「そんなの今更。私が知りたいのは真の本心」

「ふう、そろそろ酒を止めろ。明日の仕事に差し支えるぞ」

 馬鹿馬鹿しそうに真は地鶏麺の透き通ったスープをレンゲですすった。

「私なら大丈夫よ。そう、もしよ。もしも斎が婚約解消して真と結婚したいって言い出したらどうするのよ。受け入れるの」

 辟易した真は「頭を冷やせ、アホ」と冷えたおしぼりを姫香の額に押し付けた。

「あの斎がそんな真似する訳ないだろ。いつも伝統と格式を重んじる大野の家が先決、自分は二の次。斎は娘である自分の立場をよく理解してる。今更、生き方を変えるなんて無茶はしない。あいつには巫女が最も相応しいんだ」

「バカ、分かってないのは真だよ」

 姫香はおしぼりの手を払いのけた。酔眼には少なからず憤りの色があった。

「私も斎も一緒だよ。そんな理屈とか要領で生きてるんじゃない。好きだって感情で動いてる。物分かりが良いだなんて色々諦めた言い訳だよ。私達そんなつまらない大人になったつもりはない。真知らないでしょ。あの子ね、中学の時、家の事情で大社の巫女になるってクラスで話したら周りが凄く羨ましがって。でもその時の斎の哀しそうな顔を私は忘れない。本当は家なんかに縛られずに自由に生きたかったんだよ」

「……」

「何不自由ないお金持ちの暮らし、巫女への憧れ、みんな勝手言わないでよ。箱入り娘の虚しさと辛さなんてちっとも知らないクセに」

 自棄っ腹の姫香はジョッキを飲みきった。

「ああそうか、だから姫香は斎といつも一緒にいたのか」

 真は悟った面持ちでレンゲを振った。

「え」

「お前はそういう奴だもんな。いじめられていた後輩を度々助けてたし。困っている人間見ると放っておけないというか。義侠心に溢れるというか。俺と剣吾は姫香のそういう所を評価してたからな」

「べ、別に私はそういうつもりじゃ……」

 話の流れが急激に変わった姫香はうろたえた。

「お前が運動部の誘い断って、斎と同じ地元研究部に入った理由これで了解した」

「あ、いや」

「バスケだのバレーだの陸上だの、メチャクチャ勧誘されてたのに。そうかそうか、斎のためだったのか。お前やっぱり良い奴だよな」

 満面の笑みで称えてきた真に姫香は急に囁くような小声になった。

「それは別に理由があったというか」

「何、ボソボソと聞こえない」

「聞こえなくていい。それより今度弓道の試合、大社であるからよかったら見に来てよ」

 姫香はグラスの水を揺らして頼んできた。

「時間が出来たらな」

 真は丼に残った麺を平らげた。解せない口を尖らせて姫香は問い返した。

「もう暇になったのに用事あるの」

「まだ、個人的な大社の研究は終わってない」

「え、でもあれって切り上げたんじゃ」

「俺は納得してない。耳を貸せ」

 真は姫香に近付き、小声で斎に対する矛盾点を列挙し、更に剣吾からのユタの託宣も伝えた。姫香は驚いた。

「ワカ婆ちゃんがそんなお告げを」

「スピリチュアルな部分は省いても婆ちゃんが残したヒントは未だいくつか手つかずのままだ。だから何かもっと大きな謎があると思う。それに……」

「それに?」

「いや、何でもない。それよりもう帰ろう。お前のお母さんも心配するだろ」

 十一時を示した掛け時計を見た真は会計を済ませ姫香をタクシーに乗せ家まで送り届けた。


 そういった経緯で真は大社の登山道にいるのだが、中々捜索物の進展が捗らないままで少々苛立っていた。

(無駄足なら無駄足で別にいいんだが)

 真は雑草を手袋でかき分けて目を凝らした。そうすると視線の先に俵形をした米粒大の固形物が三粒転がっていた。

 あった、と真は更に周辺を隈無く探し、その内御霊社の横まで移動していた。

(風で飛んできたのか。でもまあ二十粒もあれば量としては充分だ)

 屈んでいた真は嬉々として持参してきた小さなジップロックにその固形物を入れ、手袋を外した。

 その時である。

「真、伏せて!」

 ゆるやかな坂の東下から大声が響いた。

 見るとこちらに向けて弓を引いている姫香の姿があった。真は反射的に地面に這いつくばった。それと同時に頭上でカンという何かが弾けた高音がした。

 真は驚いて空に視線を向けた。

 何とそこにはフルフェイスのヘルメットを被った中背の男が右手に握った掌大の石を振りあげていた。

 真が捜し物に集中していたためか、男の忍び足のせいか、背後には全く気配が感じられなかった。

 また、ミラータイプのヘルメットシールドなので景色が反射して表情は読めないが自分を標的にしているのは間違いない。真は自身が探っているのが襲撃されるまでの重大な秘密なのかと瞬時に思いを巡らせ、犯人を睨み付けた。

 ただ、件のヘルメット男は、姫香から前頭部に矢を当てられ仰天し動きを止めていた。

「今のはわざと外したからね。今度は胴に当てる。痛いくらいじゃ済まないよ」

 迫力ある二の矢の番えに男は石を投げ捨て、西へ脱兎の如く走り去った。

 最初から逃走経路を確保していたのだろう、あっという間にそのまま右の抜け道へ姿を消していった。

「ああ、悔しい。袴じゃなかったら追いついて捕まえられたのに」

 姫香は真の側に走ってきて逃げられた無念を滲ませゆがけを外した。

 真は半笑いで膝を立てた。

「姫香、お前、矢で人を射るなんて一番のタブーを。何かあったら過剰防衛で訴えられてたぞ。誰も見てなかったからよかったものの」

「何余裕見せてんのよ、真、殺されそうになっ……」

「助かった」

 起き上がった真は姫香の言葉を遮り、強く抱きしめた。

 意想外の抱擁に姫香は混乱した。

「いや、その……真、これは」

「本当にありがとう」

 真は直ぐに体を離して姫香に丁重に頭を下げた。

 姫香は面映ゆそうに弓を振った。

「わ、私は真が無事ならそれでいいよ」

 ここで真は湧き上がった疑問点を尋ねた。

「ところで姫香はどうして道場の外で弓矢なんて持っていたんだ」

「それは、ほら、この前、真が私の弓は何製だって知りたがっていたから一通り見せてあげようと思って。真、大社に来てたの見えてたけどどこにいるか探してたら今の現場に居合わせて……」

 矢を拾った姫香は急に我に返って問い詰めた。

「それはそうと何で真狙われてたの」

「あ」

 真は一瞬返事に詰まったが命を救ってくれた姫香にもはや隠し事は出来ない。以前のバイクのブレーキの細工の件も兼ねて全てを話した。

「バカ、何で隠してたの、そんな大事な話!」

 姫香は青筋を立てて怒声をあげたが、

「危ないからお前だけは巻き込みたくなかったんだよ」

 と、返されて顔が赤くなったのを誤魔化した。

「そ、それより、真。一緒に垂井署に行こう。これ相手暴行罪か何かでしょ。さすがにほっとく訳にはいかないよ」

「待ってくれ、警察は駄目だ」

 真は勇んで歩いていこうとする姫香の腕を掴んだ。姫香は当惑した。

「どうして止めるの」

「話が大きくなると犯人に逃げられる。バイクの奴とさっきのは多分同一犯だろう。単独犯か複数犯かは知らんが絶対俺が捕まえてやる。だから今はまだ泳がせておく」

「そんな悠長言って何かあったらどうするのよ」

「大丈夫だ。今のところ犯行は大社に限定されている。もしそれ以外で何かされたら必ず警察に通報する。約束する」

「ホントだね」

「ああ。ただ斎だけには伝えておいた方がいいな。社内で起きた事件だから」

 それから真と姫香は授与所に出向いて斎だけを外に呼び出して先程起こった状況のあらましを話した。

「……」

 斎はそれを聞いた矢先顔から血の気が一気に引き、足下が覚束なくなりそのまま倒れそうになった。姫香が危うく斎の体を支えたからよかったものの、卒倒する寸前であった。

「だ、大丈夫なの、真君。怪我とかは」

 蒼白顔の斎は真に手を伸ばし、震える声で尋ねてきた。

 逆に真は陽気に返答した。

「ご覧の通り姫香のお陰で無傷だよ。すまんな、お前に心配をかけさせるつもりじゃなかったんだが、大社で起きたから報告だけ」

「警察には連絡したの」

「いや、ここにも迷惑がかかるし。俺個人への恨みかもしれないから」

「そう、分かったわ。私達も不審者がいたら警戒しておく。真君も重々注意してね」

「気を付けるよ。じゃ、今日はもう帰る。用事もあるしな」

 未だ案じ顔の斎を後にして真は石輪橋の側に停めてあったバイクに跨った。

「ねえ、そういえば真は何しに登山道なんかにいたの。何か探してたみたいだけど」

 思い出したように問い掛けた姫香に真はヘルメットを被りながら口元を緩めた。

「もう一つの謎への手掛かりさ」

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