第5話

「あー、もうお手上げ。雲を掴むようで、もはや何が何だか」

 黒のスウェット姿で座布団に胡座をかいていた真はラメが入った黒色が日に褪せた座卓に突っ伏せた。卓の上だけでなく、くすんだ六畳畳にも書類が所狭しと散乱している。

「来た早々弱音吐かないでよ。ほら、グルマンのボックスサンド差し入れ」

「サンキュ」

 昼の仕事休憩の間、真の家へ激励にやってきた姫香は箱に入った名店サンドイッチを真に手渡した。

「まるで台風一過ね。ほら、緑茶も」

 散らかった紙の間を踏みながら真の横に座って湯飲みを置いた。文字がびっしり書かれた書類から、古地図やら様々な種類の書き物が重なるように落ちていた。

 起き上がった真は何かの考えをまとめているようで卵サンドを頬張りながら茶をグイと飲んだ。

「わ、すっぱ」

 意外な酸味に一気に目を開けた真は置いた湯飲みの中を見た。真っ赤な液体が揺れている。

「美味しいでしょ。私好きなんだ、白井製茶さんの緑茶フレーバーティー。真のはハイビスカスとアップルシナモン入り。本当は透明な耐熱ガラス瓶があれば色が映えるんだけどね。ちなみに私のは柚子レモンジンジャー」

 別の座布団に座った姫香は黄色いお茶を見せてハム卵チキンサンドを囓った。

「で、何に行き詰まってるの」

「諸々さ。調べれば調べるほど暗礁に乗り上げる。差し当たって大社の歴史や地理から調査してみたんだが、何せ時代が時代で正確な資料が少ないし、証明するにしても推測でしかない」

「例えば」

 ふうふうとお茶を冷ましながら姫香は尋ねた。

「姫香、お前、南宮大社の参道ってどこから始まるか知ってるか」

「勿論、垂井の石鳥居からでしょ。新幹線の側の大鳥居は観光用に造られたものだもん」

「はい、よく出来ました」

 パチパチと拍手する真に、姫香は私を馬鹿にしてるでしょ、と口を尖らした。

「そうでもない。知らない地元民もいるからな。じゃあ例大祭に御旅神社に神輿担いでく訳は何だ」

「そりゃあ、垂井府中地区の御旅が南宮大社の元宮だったからだよ。里帰りってやつ」

「正解だ。じゃ、大社が府中から宮代に移った理由は?」

「そういえば朝日屋で話題に出てたね。訳は、知らない……あれ、考えてみれば何で引っ越したの」

 予想外な聞き質しに姫香は戸惑った。

「巷のある俗説だけど」と真は親指についた卵サラダを舐めて話し出した。

「大社の歴史を顧みると崇神天皇の名前が先ず出てくる。今の南宮大社の始まりだ。当時はまだ大社でもなく中山金山彦神社と呼ばれていた」

「スジン、ああ、確か案内板にあったね」

「実は第十代崇神天皇の御代、都は疫病に襲われた。そのせいで大勢の民が死んでいった。病の勢いは凄まじくこのままでは全滅するだろうとも思われた。月日が経っても何の進展もなく民衆の心は天皇から離れ始め、土地を捨て王権に背く者も現れた。崇神天皇最大の危機だ。畏れ多くも神霊に伺えば、災厄は宮中に天照大神と倭大国魂神やまとおおくにたまのかみの二柱を同時にお祀りしているのが原因だと神託に出た」

「え、意味分からないんだけど」

 簡単に説明するとだな、と真は自分の赤いお茶のカップと姫香の黄色いお茶のカップを側に並べた。

「崇神天皇までは人と神々が同じ土地で生活していた。それを同床共殿どうしょうきょうでんという。しかし不仲であった二柱の神を共に祀るのは怪しからんという結論になったのだろう。崇神天皇はその神の怒りに触れ、病が広がった、だからそれを鎮めるため神々を一旦皇居の外に祀ることとした。やがて病は治まった。それが崇神天皇六年、紀元前九十二年、いいか、姫香、この年を覚えておいてくれ」

「崇神天皇六年だね」

「さて、神威を畏れた崇神天皇は以来神と人を分けるよう決めた。これを神人分離という。倭大国魂神は奈良桜井市の神社へ、その後に大和神社へ。天照大神は奈良の笠縫邑かさぬいむらへ移した」

 と、真は色違いの二つのカップを遠ざけた。

「あれ、伊勢神宮って三重県だよ」

「今はな。昔は違った。天照大神は後に落ち着ける場所を求め、崇神天皇の皇女・豊鍬入姫命とよすきいりひめのみことと、第十一代垂仁天皇の皇女・倭姫命やまとひめのみこと依代よりしろに全てを託して各地を転々とさせた。その地が元伊勢とついているのはそのためだ。岐阜の瑞穂市の居倉の伊久河宮跡も元伊勢の一つ。四年間の鎮座は日本書紀にも載っている」

「岐阜にも!」

「話を戻すが、その神人分離が波及してか府中の金山彦神社も宮代に遷宮をしたらしい。その府中から南に社を移したがために『南宮』と呼ばれるようになった、というのが一つの説のようだ」

 ただ、と真は難しそうにうなじを掻いた。

「実は神人分離をしても病は治まっていなくて崇神天皇の夢枕に大物主神おおものぬしのかみが、この病は私がおこしている。子孫の意富多多泥古おおたたねこを連れてきて私を祀らせるなら国家は安らかになるだろう、と告げたんだ。崇神天皇はそれを実施し、次いで天神地祇てんしんちぎ、これは天の神と地上の神を指すんだが、その神社を定めた。そうしたら病は無くなったとされる」

「へえ」

「それから崇神天皇は将軍を地方に派遣して朝廷の勢力を広めた。その時、各地に神社という形が定まっていったという説もある。もしかしたら時は少しずれるけど大社の遷宮もそれに関係したのかもしれない。話も逸れるが、南宮という名も読み方によって捉え方が違う。日本の神社は大抵訓読み、寺院は訓読みが多い。南宮も『ナングウ』と呼べばそれは寺の名前、『ミナミノミヤ』となれば神社だ。出雲だって熱田だって訓読みだろ」

「あ、ホントだ」

「それに南宮名は方角でなく朝鮮のナムグンの姓から来ているとか、長野三重由来説とかも、かな」

 ボックスの卵サンドを食べきって真は解説を続けた。

「長野三重?」

「正確には信濃と伊賀な。平安時代の歌謡集・梁塵秘抄りょうじんひしょうに、『南宮なんぐの本山は、信濃国とぞ承る、さぞ申す、美濃の国には中の宮、伊賀の国には稚児の宮』と見える。南宮の本山は信濃諏訪大社、中の宮が美濃南宮大社、そして稚児の宮が伊賀の敢國あえくに神社」

「じゃあ諏訪大社の神様って金山彦なの」

「いや、諏訪大明神は水と風の龍神で農耕の神とされていた。主祭神の建御名方神たけみなかたのかみは軍神ともされている。だから武田信玄が信仰していたんだ。姫香は武田の旗見た事あるか」

「風林火山だよね」

「それ以外の軍旗がこれだ」

 真は「諏訪法性南宮上下大明神」と書類の空きスペースに文字を書いた。

「あ、南宮の字が入っている」

「風は製鉄に欠かせないファクターだ。そういう訳で信濃も鍛冶の集団が崇めていたのかもしれない。また伊賀の敢國神社は神体が南宮山で、美濃の南宮大社から金山姫命を勧請している。ここまた風の吹く製鉄の場所だった」

「ふうん、風が共通してるのは面白いね」

「共通というなら三社とも戦国時代に焼かれてるけどな」

「え」

「諏訪大社上社は甲斐攻めで織田軍に、敢國神社は天正伊賀の乱でこれまた織田軍に、そして南宮大社は毛利軍に焼かれている。もっとも三社ともしっかり再建されたが」

「不死鳥みたい」

「はは、火の中から甦ったからそうかもな。ところでさっきの大社の遷宮の話だが、この説にも矛盾が生じる。実は南宮大社は府中の元宮を出て速やかに現在の場所に遷宮した訳じゃない。一度南宮山の山上に祀られているんだ。それが崇神天皇五年十一月」

「え、え、崇神天皇の前じゃない」

「矛盾はそこだ。仮に勅令が出るにせよ、常識で図れば帝が神人分離を済ませてからだろう。南宮大社の方が先に遷宮を行ったのは今一腑に落ちない。まあ、病を治めるために先んじて中山神社も遷宮をと勧められたなら不思議じゃないし、大和朝廷に逸早く恭順の姿勢を見せたのかもしれない。が、何にせよ、山上からまた麓に下ろした事情も定かじゃないんだ。但しこれらは大社の社伝を基にした推察だから実際の遷宮はもっと後だったかもな」

「それが謎なの、真」

「残念ながら違う。こんなのは資料を漁れば誰でも見付けられる。だから今度は地理的な方面を調査してみた。姫香、これを見てくれ」

 真はスマホのグーグルマップで南宮大社を見せた。

「何か違和感ないか?」

「何」

方位磁石コンパスと大社の向きをよく見てみな」

「お、上から見るとちょっと建物斜めになってるね」

 マップは空から俯瞰で見えるため地上では東向きだと思っていた建物が傾斜していた。

「そう、東南に三十度傾いて建てられている。何故かというと大社の入口と逆方向に辿っていくとそこには……」

 マップを拡大して真の指が北西方向へ滑った先にとある山の名が見えた。

「伊吹山だ! 南宮大社のこの傾きって伊吹山を背にするため?」

「多分な。駐車場遠くから大社の後ろに見えるぞ、滋賀と岐阜にまたがる霊峰伊吹山。もし南宮大社がかつて伊吹山を神として崇めていたら、と仮定したらそうなる」

「待って。大社の主祭神は金山彦だよ」

「時代で祭神が変わるなんて珍しくない」

「でも……」

「仮定って言ったろ。遙か過去の歴史なんて実際は不明なんだ。神社の故事来歴が必ずしも正しい訳じゃない。古代は今のように神を祀るにも社なんてなかった。最初は信仰の対象は自然だった。それが岩だったり、巨木だったり、そして山だったり」

「だってそれは」

「いやいや、反論されても困る。古代の事は結局水掛け論に終始する。それに俺は専門家じゃない。飽くまでももしかしてという話にすぎない。俺の守備範囲は神や記紀(古事記と日本書紀の事)等にまつわる文化や建物の様式だ。神そのものは漠然としていて理解の外」

「それは、私だって神様って言われても真と同じだけど」

「そもそも日本の神社は自然崇拝だから教典がない。だから仏教伝来は日本人にとってセンセーショナルだった。目に見える仏像、そして人が守るべき釈迦の教えが満載だった。それに時の権力者が食い付いた。宗教で掟を作るのは人心を掌握して民を統制しやすかった。仏教はやがて神と融合した。それが神仏習合だ。大社も江戸末期までは天台宗との神仏習合だった」

「天台宗?」

「大社の西上に朝倉の真禅院があるだろ。あそこは天台宗、その名残」

「あ、そかそか」

「話を戻すが、古代製鉄を生業としていた部族が垂井に集まり、そこで金山彦を祀った。製鉄に必要なのは勿論原料の鉄だ。伊吹山の周辺は和鉄の産地だったし、また、ふいごが無かった時代は自然の風で製鉄を行っていたのだろう。伊吹山は伊吹おろしの強風が吹く。その風を部族は利用していたかもしれない。それならば伊吹山は自分達の生活を支える神のような存在だったに違いない。二宮の伊福岐神社の祭神は伊吹山の神、多多美彦命たたみひこのみこと。あそこもこれらに関わっている可能性は高い」

「大社でも風なんだね」

「とは言うものの、大社は関ヶ原合戦時に悉く烏有に帰している。合戦以前大社の姿や建てられていた方向も不明。再建されたのは江戸時代初期。いくら生存していた神職達が口添えしても大工は徳川の関係者だ。一応旧構のまま造営したとされるがどこまで元の形を取り戻したかは全て想像の域を出ない」

 真は浮かぬ顔で書類を手にして再び机に突っ伏せた。

 姫香は真が手にしていた南宮大社の境内図を見て尋ねた。

「ねえ、この七王子社って何で本殿の裏に建ててあるの」

 すると真はガバッと起き上がり、良いところに目を付けたなとニヤリ笑った。

「姫香は金山彦と金山姫の誕生の様子は知ってるだろ」

「それはまあ」

「なら火の神・迦具土之命はその後どうなった」

「そのままじゃないの」

「いや、母神・伊弉冉尊は火の子を出産したため火傷が元で死んでしまった。それに激怒した父神の伊弉諾尊が生まれた迦具土を剣でめった切りしてしまったんだ」

「えー、酷くない? 迦具土が悪い訳じゃないでしょ。八つ当たりで息子殺すなんてお父さん無茶苦茶」

 姫香は目に角を立てて真を責めた。

「これは神話だぞ。むきになるな。論点はそこじゃない」

 気色ばむ姫香をなだめて真は説明した。

「そのバラバラに切断された迦具土の体から新しい神々が八柱生まれた。大社の場合七柱となってる。それを祀るのが七王子社だ。そして頭から生まれたのが大山祇神おおやまつみのかみで、この神は山の神とされている。何故本殿の後ろに隠されるように建っているのか、俺はこの点に刮目して三つの仮説を立ててみた」

 真は指を三本立てた。

「一つはさっきの伊吹山を神体に見立てた場合、山神である大山祇神をリンクさせ祀ったという考え。そして製鉄には火と風が必要だ。伊吹颪が迦具土の七王子社の背後から当たり、それが前の本殿の金属神・金山彦を形成するという考え。そしてもう一つは南宮大社が過去二度火災に遭っている過去から……」

「は、大社って関ヶ原の時だけ燃えたんじゃないの」

 驚いて姫香は話を遮った。

「いいや、関ヶ原合戦を遡ることおよそ百年前、文亀元年、一五〇一年に大社は焼失している。この時は守護の土岐政房によって再建されたんだ。つまり二度の火難を経験した大社がかつては火の神であった迦具土を切断された神として封印し、七王子社として祀った。二度と大社が燃えないよう本殿の奥深くに鎮座させたと考察するのが妥当だろうな」

「そう、七王子社ってそんな役割があったんだね」

「俺個人の推測だけどな。補足するけど迦具土は今でも秋葉神社や愛宕神社の祭神として祀られているぞ。姫香は秋の大石祭の花火は見るか」

「うん、打ち上げとか立火とか。垂井人としては近くに寄れるから結構迫力ある」

「あれは秋葉神社の主祭神迦具土之命に奉納するものだ。まさに花の火」

「成程。で、詰まるところ、この説もお宝との繋がりは無し、と」

「先に言わないでくれ、虚しいだろ」

 期待外れを指摘された真はゴロリと大の字に寝転がって天井を見た。

 他の摂末社についても検証してみたがお宝や謎とは程遠いものだった。

 明治時代以前、大社には現在鎮座する摂末社以外に境内や境外を含めて数多の社が存在していた。

 例えば今は無き松下神社は八咫烏やたがらす社と呼ばれ、大社社伝の「金鵄きんし伝説」から由来する。神武天皇東征のみぎり、敵に苦戦していた神武の元に眩しく輝く金色のとびが飛来し相手の目をくらませ、その隙に神武は勝利した。その金鵄を飛ばしたのが大社の神だという。金鵄と八咫烏は同一視されその社が造られた。

 ちなみに嘗て功績のあった軍人に与えられた「金鵄勲章」はここから生み出された。

 また他に弁財天社の市杵島社、春日神社に八幡神社、熊野神社、富士神社、熱田神社、白山神社、日吉神社、八坂神社、住吉神社、諏訪神社、愛宕神社、多賀神社、三輪神社、鹿島神社、香取神社など全国のメジャーな神社が数多築かれていた。

(……あれ、箪笥の上に何か残っていたか)

 悩んで天井をあちこち眺めていると不意に真の視線の先に四角く飛び出た小さな影が映った。ここは亡き祖母の部屋故、遺品整理を真っ先に済ませていたのだが、背の高い和箪笥の上部は盲点だった。

 真は勢いよく起き上がると手を伸ばしその物体を掴んで畳に下ろした。

 それは長さが一メートル弱、一辺が十五センチ程の直方体の箱で、一見すると和紙の掛け軸箱にも思えるその蓋の上には「真へ。南宮暗号への道標」と書かれたシールが貼ってあった。

 思わず真と姫香はお互い顔を見合わせ「暗号!」と叫んだ。

「これ、ワカ婆ちゃんのお宝のヒントなの。思いっきり渡りに舟じゃない」

 開けて開けてと急かす姫香に「待て」と息を整えた真は蓋を静かに引き上げた。

 すると中にはネズミのイラスト絵馬が赤い紐で結わえられた、比較的新しい一本の破魔矢と、輪ゴムで止められたA四用紙がいくつか一つに丸められているだけであった。

 予想していたものと違って些か拍子抜けした真は、その用紙のゴムを外し中身を開けた。

「……何だこれ」

 そこには荒いモザイクのかかった上半身だけの人物らしき画像のカラーコピーと、これもまた拡大コピーされた色つき古地図の一部、そしてとある浮世絵、それは遠近で描かれた高い松の木々の間の街道を蓑や笠を着けた、雨に振りそぼった大名行列が向かってくる浮世絵、これもまたまたコピーなのだが、それが先程の古地図とホチキスで硬く綴じられていた。

 多分和佳が数年前にパソコン教室に通い出して、デスクトップPCとプリンターを買ったと自慢していたからそれを使ったのだろう。また画像編集ソフトであるフォトショップの入門書がパソコン棚に置いてある事から画像加工も勉強していたと思われる。

「真、そのモザイク画像は何。何か意味あるの」

 姫香も困却した顔でその用紙を見詰めた。輪郭から恐らく灰色か青色の半袖シャツを着た黒髪短髪の人間が空らしき方角を向いているのだけは判別できるが、性別も分からずそれ以上は全く推量出来ない。

「意味は何とも言えないけど、多分、婆ちゃんが元の画像にモザイクをかけたんだと思う。かなり有名な画像かもしれないし、または俺が画像検索出来ないように」

「じゃあ、それが重要なヒントになるかもしれないって事?」

「その可能性は高いな。何となく画像の構図に見覚えがある気がするんだが、ちょっと思い出せない」

 これがお宝への道しるべなのか、単に謎が増えただけじゃないか、と和佳のヒント集に眉を集めた真だったが、不意に姫香に肩を揺すられた。

「真、ちょっとちょっと、蓋の裏にも紙くっついてたよ。ほら、これ」

「裏に?」

 全く気付かなかった三枚のA四用紙は縦に折り畳まれていた。開けて見れば大社の再建の年表と、奈良公園の鹿の角切りの写真のコピー、そして動物の供を連れた桃太郎の「いらすとや」作イラストと、その桃太郎が手にした旗には『三九』の数字が書き込まれていた。

 一枚目は和佳の手書きで、一六〇〇年に大社が焼失してから仮社殿が一六一七年に建ち、一六四三年に三重塔を含む全ての建物が再建された内容が年表として記されていた。ただ、一六一七年諏訪大社上社本宮再建終了との記載に「どうしてここに諏訪大社が関係するんだ」と真は眉を顰めた。

 また奈良公園の写真は立派な角の牡鹿が数人がかりで抑えられ、ノコギリで角を落とされていたのだが、これも解せないものであった。

 そして最も難解なのが桃太郎のイラストである。旗の三九のフォントはいらすとやのタッチではないから和佳が合成で変えたものであろう。

 と、ここで姫香が突然パンと掌を叩いた。

「思い出した。そっちの浮世絵、歌川広重の『木曾街道六十九次 垂井』だ。中山道のお祭りで良く使われてたよ」

 確かに垂井の浮世絵だ、と真は確認したが、その三枚の絵には今のところ何の共通点も見当たらない。蓋裏の三枚のヒントも同じだ。

「ワカ婆ちゃん、もうこれじゃあ全然ヒントになってないよー」

 姫香は半泣き顔で破魔矢を取り出し様々な方向から眺めた。その時、

「あれ、真、真、これ、絵馬の裏に何か細々書いてある」

「何」

 またもや姫香に発見された真はその矢を受け取ると絵馬を観察した。

 計算式だろうか、数字がびっしりと細いマーカーで次のように書き込まれていた。

【壱+36758064 139598958+35688325 139754367+34964853 138467592+34956308 137158806 弐+35376097 140360483+353625 1387306+35360972 136525306+35430139 1351545+35402056 132685444 参+35688325 139754367+353625 1387306+35360972 136525306+35402056 132685444 肆+36758064 139598958+360821878 1380819410+35360972 136525306+350337902 1358505878+34995961 135768770】

「何これ何これ何これ。全部足すの? お宝の合計金額でも出るの」

 姫香は理解不能な数字を見ただけで軽くパニックに陥っていた。

「落ち着けよ。金なら端数過ぎるだろ。とくかくこれは一旦保留にしよう。でないと余計混乱する」

 真は箱に和佳のヒント集を戻して姫香にこれからの予定を知らせた。

「俺は今から垂井の観光地をバイクで回ってみるよ。婆ちゃんがそこにヒントが隠されてるってのを思い出した。お前もそろそろ昼休み終わるだろ」

「いけない」と腕時計で時間を確認し、部屋を出て行こうとした姫香だったが、言い忘れてたと急に忌々しそうに真へ検索した画面を見せつけた。

「信じられない、あのパグの飼い主、まだ性懲りもなく犬つれて南宮山に登ってるのよ」

 ツイッター画面には黒パグにキスをする男の横顔のアイコンで、フォロワー数は五百を少し越えたところであった。

(インフルエンサー気取ってた割にはたったの五百か)

 それもフォロワーの大部分は犬好きらしい。

 呆れ果てた真は姫香のスマホをそのまま手に取り呟きの内容を見た。

 パグ自慢なのは粗方予想していたが、共にウサギも飼っていてパグがウサギのペレット餌が好物で一緒に食べている写真が載せてあったりした。「ローズたんはこのペレットを食べるんだぜ、珍しかろ」と何故か誇らしげにペットフードメーカーの袋を見せびらかせていた。

 また南宮山に登っていくツイートは多く投稿されていたが、「境内で犬を放すのはマナー違反」とか「稲荷神社近くで犬を放すと神使のキツネに祟られますよ」とか注意や忠告が多々書き込まれていた。

 当然だろうな真は失笑したが男はてんで相手にしていないか、「祟りなんかある訳ないだろ、こいつバカ」と辛辣に返していた。

「自己中極まれりだな、あのおっさん」

「斎も手こずってるだろうねえ」

「最悪、迷惑行為で警察に通報だな。で、お前は大丈夫なのか、時間」

 姫香に返したスマホで時計を示すと「マズ」と急いで玄関を出ていったが、

「何か暗号解読進展あったら教えてね」

 との大声が響いていた。

「社会人になっても慌ただしいやつだ」

 真も半笑いでレーシングジャケットを羽織るとヘルメットを手に外へ出て行った。

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