第4話

「大社に新しいお宝なんてないわよ、姫香ちゃん」

 翌朝二人して授与所の斎を訪れたら窓越しに開口一番きっぱり否定された。

 妙な話を切り出されて、朝っぱらから何をおかしな事口走ってるのとあからさまに不審感を浮かべた斎に姫香はペンで額を掻いて尋ねた。

「いやー、こう未発見の、徳川埋蔵金的な、大ニュースは無いかと」

「大社に?」

「そう、境内のどこかに。または南宮山のどこかに。ほら、家光ってこの大社再建に七千両もかけたんでしょ。当時だったら二十一億円。だったら密かに財宝埋めてるとか。ほら、帰雲城みたいな黄金伝説あるじゃない、岐阜県も」

「姫香ちゃん」と斎は柳眉を顰めて瞼を閉じた。

「白川の帰雲城は地震の地滑りでお城が埋没したんでしょ。戦で焼失した大社とは状況が違うのよ。それにいい、徳川幕府が過去何度も財政難に陥ったの日本史の授業で習ったでしょ。そんな財宝があればとっくに取りに来てるわよ。大体家光公も日光東照宮の造替で大社の三倍もの金銭を使ってるのよ。後の徳川家の懐事情は大変だったから、よって当社にそんな財宝なんてありません」

「小判一枚も?」

「一文銭もございません。大社のお宝を御希望でしたら土日に開ける宝物殿でどうぞ心ゆくまでご観覧下さい。初穂料は百円でございます。如何です、お得でしょう、八神様」

 斎の淡々とした皮肉に授与所の中からいくつもの忍び笑いが漏れてきた。

 アルバイト巫女の二人は別として、袴の色から、権宮司ごんぐうじ権禰宜ごんねぎ、禰宜の面々が姫香との遣り取りに笑いを抑え切れないでいた。

 中には前に斎を呼びに来た出仕の姿も見える。

(そりゃあ、そうだろうな。俺だって立場が逆なら抱腹絶倒だ)

 財宝財宝と祖母に急かしていた自分の子供時代と重ねた真は必死に食い下がる姫香を黙って見ていた。確かに家康が死んだ時、残された資産は六百万両という話もある。故に埋蔵金エトセトラと思い込みたい気もするが、斎の正言にぐうの音もでない。

 そもそも江戸から離れた美濃の山中に徳川の財宝を埋める道理もないのは子供でも分かる。

「じゃあ、神社らしく、こう、呪物的な何かとか」

「じゅぶつ?」

「ほら、今流行のこう禍々まがまがしさ一杯の」

「こら、ふざけるのもいい加減にしろ」

 真は姫香の後頭部をコツンと叩いた。

「何よ、真。私は真面目に聞き出しているのよ」

「アニメの見過ぎだ。両面宿儺りょうめんすくなを羨ましがるな。それに仮にそんな封印した物が大社に保管されていればそんなの一般人に見せる訳ないだろ」

「そりゃ、そうかもだけど」

「真君、姫香ちゃんの話だと全く要領を得ないわ。何の用向きなの。あなたから経緯を詳らかに説明してもらえると有り難いのだけれど」

 真面目な顔で斎は正座をより正した。

 真は昨晩の飲み屋での内容と、祖母の過去の言葉を事を語った。

 硬い顔を崩さず斎は静かに尋ね返した。

「和佳さんが、当社に秘宝が隠されてると仰ったの」

「ああ、子供の頃のぼんやりした記憶だから定かじゃないが」

「そう」と呟いて斎は暫く黙ってから両手を広げ口を開いた。

「二人とも後ろを見て。ほら、あなた達の前に広がっている建築物。これらは江戸初期から遷宮を繰り返しずっと守り続けられてきた社殿よ。今では国の重要文化財に指定されている。これが皆の目に見える私達のお宝」

 斎は次に拝殿を向いて参拝する一家族を見た。

 乳飲み子を抱いた若い母親とそれを気遣う夫、それにその両親の四人が本殿へ柏手を打って熱心に祈りを捧げている。

「真君、姫香ちゃん。あのご家族ね、毎月欠かさず当社に御参拝頂くの。何代も何代も前からね。私達はあの御姿をとても尊いと思うし、その信仰心はとても美しい。私達にとっての至宝とはこの大社にお見えになる全ての方々の真心なのよ。ただそれだけ。それ以上のお宝なんてありようがないの」

「まさに、道心ある人を名づけて国宝となす、だな」

 真は感服して言及した。斎は口元を緩めて即座に返した。

「伝教大師の『山家学生式さんげがくしょうしき』の一節ね。宝石が宝ではない。悟りを求める人こそが国の宝なのだ」

「さすが大野家の箱入り娘だ。恐れ入るよ」

「たまたま知っていただけよ。でも真君達の力になれなくてごめんなさい」

「俺たちこそ忙しいのに済まない。ただ、東京から久し振りに帰ってきたんだ。たまに境内を散策くらいしても構わないだろう」

「それは別に問題ないわ。私も時間があったら真君の向こうでの生活とか知りたいもの」

「ハハ、それはまたいずれ」

 ほのぼの微笑みあう二人の姿を見て姫香は膨れっ面で真の腕を強引に引っ張り、授与所から離れた所に連れて行き、

「何和んでるのよ。私は大社の宝を探しにきたのよ。綺麗に丸め込まれてどうするの」

 と小声で責め立てた。すると真も授与所に背を向けて囁いた。

「今日は分が無い。一旦撤退だ。別日に探る」

「……え?」

「斎は嘘をつくと瞬きの回数が少し増える。宝物は必ずどこかに隠れてる。信仰心が宝なんて婆ちゃんがそんな抽象的な道徳観念を小学生の俺に託すと思うか」

「じゃあ」

「婆ちゃんの名前を出した途端斎の表情が微かに変わった。宝は知られたら不都合なものかもしれない。だからこれからは隠密行動になる。それに乗りかかった船だし、協力すると決めた手前お前との約束は守る」

「真ー、だから好きよ」

 姫香は満面の笑みを浮かべたが、「は?」と真に怪訝な顔をされ、「いや、今のは、その、あの」と誤魔化して手を振った。

 と、折しも、足下から、

「バウギャウ」と犬の吠える声がした。

「わ、ビックリした」

 姫香は飛び上がって反射的に真の後ろに隠れた。

 見ると三十センチくらいの真っ黒いパグである。しわくちゃの顔に赤い丸目が妖しく光り、垂れた耳を振ってまだ真たちに吠え掛かっていた。小型犬とはいえ、首輪もしていない筋肉質のゴツイ体躯は犬が苦手な人間からすればちょっとした恐怖だろう。

 パグは元々中国が原産で、真は各都市で見てはいるが大抵は大人しい。ただ頑固な性質でもあるので、飼い主の躾が上手くいかない場合噛み癖が治らないケースも珍しくなく真は用心して後ずさった。

「ヒー、真、私こういうブルドック系苦手」

 姫香は真の両肩に抱き付いて青ざめていた。放し飼いのフレンチブルドッグに襲われかけた幼児体験を彷彿とさせたのだろう、真は「大丈夫だ、隠れてろ」と犬を睨み付けた。

 そんな時、南門から一人の中年の男が黒パグの姿を見付け、全速力で走り寄ってきた。

「こんな所に遊びに来ていたのかい、ローズたん、探したよー」

 細身で筋肉質の男は黒色の短いスポーツウェアの上下を着て、息を弾ませ、猫なで声で犬を抱き上げた。

 見ると被った白色の帽子の正面には山の稜線を走る人間のイラスト共に「トレラン倶楽部」との刺繍が施されていた。

 真は自と察した。

(トレイルランニング、何だ、この飼い主今まで南宮山を走っていたのか)

 しかしその飼い主は犬が真達に迷惑をかけたのを詫びることなく、パグを地面に置いて、スマホで「いいね」とか笑いながら写真を撮っていた。

「お客様、困ります。せめて境内ではリードかハーネスをつけて頂かないと」

 いつの間にか授与所から例の若い出仕が出てきて、その飼い主に注意した。

「何度も申し上げましたが、小型であろうが放されるペットにはリードをつけて頂かないと他の参拝者の方のご迷惑になります。当社はペット連れ禁止ではありませんが、苦情の電話も何件か入ってきています」

 するとその飼い主は怒りを剥き出しにして大声で怒鳴った。

「ぺットペットってうるせえんだよ。ウチのローズたんは家族の一員なんだ。そもそもリードだのハーネスだの、俺はそんなの付ける気はさらさらねえよ。お前、自分の子供にリード付けんのかよ。しねえだろうが」

 とんでもない逆ギレに呆然とする出仕へ男は細長い面を近付けて恫喝した。

「俺はな、山を走りに来てんだ、こんなクソ神社には用はねえんだよ。いいか、俺は某会社の重役だ。そしてフォロワー数が多い俺はインフルエンサーと同じ。俺が適当に有ること無いこと呟けば、こんな神社誰も来なくなる訳。潰れるかもしれないぜ。それじゃあお前等困るだろう」

 ここで限界まで我慢していた姫香が真の背中越しに怒鳴り返した。

「あなた、さっきから黙ってれば身勝手ばかり言ってるんじゃないわよ。大体私達吠えられたのよ。犬を飼うならしっかり躾ぐらいしたらどうなの」

「何だ、このクソ女。関係ないアマは引っ込んでろ。躾だ、そんなのは犬をペットって呼んでる馬鹿だけだ」

「何ですって」

「もういい、止めろ」と冷静に真は姫香を抑えた。

「何で止めるのよ、こっちは悪くないわよ」

「だから止めろと言ったんだ」

 真は次にポケットからスマホを取り出して剽軽ひょうきんな声で話し出した。

「ああ、垂井警察ですか。実は南宮大社の境内で今暴漢が暴れてましてね。そしてそこの職員さんを脅迫したんです。はいはい、証拠ですか、録音もしてありますよ。あ、今パトカーが向かった? それは助かります」

「おい、てめえ、通話してねえじゃねえか」

 男は今度は真に激憤を向けた。真は明るく開き直った。

「あはは、バレました」

「演技が下手なんだよ。よくも俺をおちょくってくれたな」

 喧嘩に自信でも持っているのか男は強く握った拳を振り上げた。

 真は左の掌を向けた。

「暴力なら止めた方がいいですよ。今のは通報予告です」

「何だと」

「さっきの脅迫は本当に録音しました」

 証拠だとばかり真はスマホを振って続けた。

「そしてあなたは気付いていないかもしれませんが、境内にはいくつもの防犯カメラが備え付けてある。授与所にいる職員達の証言も出る。更に暴力を加えたら脅迫・暴行罪で間違いなくあなたは逮捕され、めでたくも明日の新聞の地方欄に実名が載るでしょうね。会社、まだ働きたいでしょう。それとも刑事裁判になってこれをお望みで」

 ニコニコと真は首を切るジェスチャーをした。

「クッ、てめ」

 痛いところを突かれて男は何も言い返せなくなった。

「それとインフルエンサーどうのとは顔出しでツイッターかインスタですか。ただ、あまり堂々と大手の神社の悪口は呟かない方がいいですよ。もし関連会社のお偉方がここに祈祷や参拝に訪れてたらどうします。自分の信仰している神社を罵るあなたをどう評価するか」

「う」

 振り上げていた拳は今やダラリと落ち、忙しなくバタバタと腰の辺りで揺れていた。

 真は笑み顔をゆっくり真顔に変えて忠告した。

「これでも最大限に譲歩してるんですよ。お互い大人の対応をしましょう。黙ってここから立ち去ってもらえませんかね。でないと本当に」

 最後の言葉を切って真は緊急SOSの画面を示した。後は警察一一〇のボタンをタッチするだけのそれを悔しそうに眺めた男は「チッ」と舌打ちし、パグを抱きかかえ楼門から消えていった。

 辛うじて事なきを得た真は「ふう」と息を抜いて囁いた。

「『三十六計』、第二十計『混水摸魚こんすいぼぎょ』だ」

 相手の混乱に乗じて、その戦力の低下や指揮の乱れを利用する兵法に、今回は賭けながら上手く釘を刺せたと安堵した。録音していてもあんなものはとても脅迫罪には問えないし、自分は境内の防犯カメラの位置など知らない。

 腕力ある敵に真っ向から立ち向かってもこちらが損害を被るだけで一つも益はない。それならば予想外の虚を突いて怒りを攪乱し、弱くなった所を一気呵成に攻撃する。逮捕や、社会的地位の失墜などはお偉いさんが最も嫌うポイントだ。

 真は背中の姫香に終わったぞと声を掛けた。

 姫香は後ろからグッと真に抱き付いた。

「怖かった、怖かったよ」

 膝がガクガク震えていた。犬より男の暴力的な威嚇が恐ろしかったのだろう。幼い頃習っていた空手は途中で止めていたし、高校で弓道を習っていたとはいえ日常にこういう暴力的な状況は先ずあり得ない。

 真は正義感で立ち向かった姫香の頭を前を向いたままポンポン叩いた。

「姫香ちゃん、真君、大事ない?」

 授与所から草履を履いて斎が小走りで走ってきた。

「ごめんなさい、警察を呼ぶかどうかで迷っていて。本当は私達の案件なのに怖い思いをさせてしまって」

「俺たちは平気だ。一応大社を貶めるような噂を流したらどうなっても知らないぞと警告はしておいたけど」

「ありがとう、助かるわ」

「しかし、何だったんだ、あの非常識な自己中おっさん」

「実は似た場面は今まで何度もあったの。でもあの方は登山が目的で大社はどうでもいいみたい。当社としては一応出禁を伝えているけど、登山は関係ないと素っ気なく犬を登山道に放して自分だけ走りに行ってしまうのよ。稲荷神社にお参りしたい方も犬が怖くて行けないとクレームが来てるの、正直持て余してるわ」

「駐車場の防犯カメラで前もって入山を止めるのは難しいのか」

「ウチは無料駐車場だし、まして北駐車場には一台しかカメラがないの。それだって全方位が映る訳じゃない。登山用の駐車場はまた別だし。それにいつ来るか分からない人間一人のためにずっと職員の誰かが監視するなんて到底無理よ」

「そうか、神社も大変だな」

「ところで姫香ちゃん、あなたいつまで真君にひっついてるのかしら」

 斎はわざとコホンと咳払いした。

「境内は聖域だというのを忘れないで」

「ご、ごめん」と姫香は紅潮して慌てて真から離れた。

「斎、俺達今日は帰るわ。姫香は昼から役場の業務だし、俺は俺で家で用事あるから」

「そう、では見送るわ」

 斎は帰る二人の後からついてきた。

「あれ、真、そのバイクどうしたの。前まで自転車乗ってたのに」

 北駐車場でオレンジ色のハスラーに乗り込もうとしていた姫香は、バイクのメットホルダーの鍵を開けている真に首を向けた。

 真はフルフェイスのヘルメットを片手に持ち、真っ赤な小型の車体を自慢げに見せた。

「買った。垂井の道は狭いからな。お前みたいな軽自動車も選択肢に入れたけど東京で乗り慣れたバイクにして中古を探した。一昨日届いたんだ。一二五CCハンターカブ、オフロードもオンロードもいける優れもの。普段乗りには最適だ。値段はそこそこしたけど燃費が良い。掘り出し品だったんだぞ」

「これ二人乗り用なのね」

 斎が珍しそうに赤いタンデムシートに触れた。

「買った時からついてた。元の持ち主が改造したんだと思う。シートも低くしてあるから足がついて乗りやすい」

「そんなの買ったなら私も後ろに乗せてよ」

 姫香が羨ましそうに催促した。

「駄目だ、二人乗りは燃費が悪いだろ。ただでさえガソリンが高騰してるんだ。無駄遣いはしない」

「ケチ」

「倹約家と褒めてほしいね。大体、二人乗りはメットが要るんだぞ。お前持ってるのか」

「うう、持ってません」

「なら諦めろ」

 ヘルメットを被り、ペダルをキックしてエンジンをかけた真は斎に振り返った。

「じゃあな、斎、また来る」

「ええ、姫香ちゃんも気を付けて帰ってね」

 斎は笑顔で二人に小さく手を振った。


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