第3話
「ぷはあ、みきちゃん、生中もう一杯」
勢いよく飲み干された中ジョッキを姫香は乱暴に空中へ掲げた。
「今晩は珍しく荒れてるねえ、姫ちゃん」
容姿が七福神の布袋に似た店主は一笑して新しく注がれたビールをテーブルに置いた。
「姫香、お前、大将を馴れ馴れしく名前で呼ぶなよ」
カウンター席の右隣でうなタレ唐揚げと鰻の白焼きを交互に口に運んで真は注意した。
再会してから一週間後の夕方、電話で「今から朝日屋でおごってあげるから来なさい、黙秘権も拒否権も無し、絶対来るのよ」と一方的に命じられてこうしてやってきたのだがまさか絡み酒に付き合わされるとは思っていなかった。
ただ折角奢りならと中ライスも注文していた。
「うるさいわね、私はここの常連だからいいの。それより何で真はお酒飲まないのよ。私の酒が飲めないって」
「それアルハラな」と制して真は付け合わせの漬物をパリパリ囓った。
「俺あまり飲めないんだよ。すいません、大将、今日姫香のヤツこんなんで」
「構いませんよ、坂城さん。姫ちゃんはウチのありがたい福の神ですしね。姫ちゃん来店すると不思議に店混んでくるんですよ。ほら」
主人の手で示された店内を見ると全てのテーブル席が満席になっていた。
(いや、それは福の神というより姫香目当てじゃないか)
席に陣取ってるのは全て男性客で、やたら姫香に視線が流れてきていた。
無理もないか、と真は幼馴染みの横顔を一瞥した。
和風美人の斎が注目の的なのは言うまでもないが、姫香もそれに劣らず容姿端麗で、またスポーツ万能で竹を割ったような性格のせいか異性だけでなく同性からも慕われていた。真が中学の時は、斎、姫香の二美人と幼馴染みというだけで羨望の的となり随分妬まれたりもしたが、姫香がいてくれたお陰で苛めの類にはあわなかった。
斎は許嫁がいたので、交際申込みを悉く一蹴し「かぐや姫」とあだ名されていたが、姫香も人気の割に告白されても何故か斎と同じように全員断っていた。
「フフフ、私は福の神なのだよ」と急に調子付く姫香は桜色のシャツを腕まくりして胸を張った。
「じゃあ、そんな福の神に今日は私から日頃の感謝のサービス、いや、お供えをしようかな」
大将は皿に載った五個のサイコロ状一口フライを姫香の前に差し出した。フライの横にはたっぷりとタルタルソースが添えてある。
「わあ、これフイッシュフライ? 私大好き」
魚のフライに目がない姫香の瞳が輝き、早速ソースをたっぷり付けて食べ始めていた。
「美味しい。みきちゃん、この魚、何」
「気に入ってもらえて何より。中身分かるかい、姫ちゃん」
「え、何だろ。今のトコ私の記憶にはないよ」
「食べたことあるかもしれないから後で答え合わせ。じゃあ坂城さんにはこちらの卵の煮付けをサービスです。今後またウチを利用してもらえるように」
大将は商売上手だ、と真は小鉢に出された明太子サイズの茶色く煮しめた魚卵の塊を受け取った。煮てプチプチと弾けた様子が細かい小花が咲いたようで、その上には針生姜が飾られている。
真は隣で必死に魚の正体を知ろうと真剣にうんうん悩んでいる姫香に教えた。
「それ
「え、一口も食べてないのに判ったの」
ライスを食べながら話す真に姫香は驚いた。
真は厨房の壁に下がっている「本日のオススメ」と書かれたホワイトボードを指さした。
「あそこにマヒマヒフライと真子花煮【カナヤマ】って書いてあるだろ。マヒマヒもカナヤマもシイラの別名だ。今は真子、つまり卵を持っている時期だからこうしてメニューにあげてるんだろう」
「シイラ……んー私、そんな魚初耳」
「この辺りのスーパーにはあまり出回らないから。ほら、これだ」
茶碗を置いて真はスマホで検索した魚の写真を見せた。画面には金色に輝く体に額がやけに出っ張った奇妙な顔をしている巨大魚が釣り人に持ち上げられていた。
「うわ、絵面怖っ」
「ははは、まあ見慣れないとそんな感じだろうな。ちなみにこれはオスのシイラ」
「おや、坂城さんは釣りをやられるんですか、お詳しいですね」
大将が二人の会話に入ってきた。
「いえ、そうでなく。実は昔一度シイラについて調べたんです。南宮大社絡みで」
「大社? 真、このデコ魚が関係してるの」
「ああ、十一月八日に大社で行われる祭りは知ってるだろ」
「えーと、ふいご祭りだったよね。高舞殿で火花散らして小刀叩くの」
「鍛練式な」
「そうそう、それ」
「大雑把だな。まあいい。大社で金山祭と呼ばれるふいご祭りは一般に
「へえ」
「へえって、姫香、お前、中学の部活で顧問から教わっただろ」
「そうだったかな、忘れちゃった、えへへ」
「観光に力を入れるなら詳しく勉強した方がいいぞ。ちなみに大社のふいご祭は、十一月九日、御旅から南宮山に遷宮した『鎮座祭』の神迎えの前夜祭の別面も持つという。簡単に言うと金山彦の引越祝いだな」
「ほー」
「で、魚の話だけど、そのふいご祭りの時に大社では神前へ飯、御湯漬、鰯、シイラ、そして鉄の神らしく金槌が供えられる」
「この揚げ物の元がお供えに」
姫香は一口フライを箸で持って聞き直した。
真は再びライスを食べて頷いた。
「大体、神への供え物、いわゆる神饌に選ばれる魚は鯛、鮭、
箸で指された壁には長良川鵜飼いの観光ポスターが貼ってあった。
「シイラが大社の神饌とされた本当の理由は分からない。そもそもいつの時代から供えられたかが不明だ。しかし推測は出来る。シイラは獲れる地域によって呼び方が違う。『カナヤマ』と呼んでいるのは長崎の五島だ。大漁で大金を生む理由から名付けられたらしい。他に山口では『秋よし』、和歌山では『
「そんなに」
「実際はもっと数多い。その中でも俺が注目したのは九万疋だ。疋は漢字の匹と同じ。江戸時代の文献にその名前が見える。よく群れを成し獲れていたから豊漁を意味し、地方によって、もしくは時代によっては鯛より高級で、献上品にも選ばれて他の神社の神饌にも上がっていた。今でもシイラを供えている神社は現存する。南宮大社だけじゃない」
「ほほう」と大将も料理の手を止めて真の話を聞き入っていた。
「古の資料にもあるけど、当時のシイラは塩漬けか、または干物として扱われていた。料理人の大将なら知っていると思うけどシイラは腐りやすい。いわゆる足が早いってやつだ。今でこそ物流の進歩でシイラも刺身で食べれるようになったけど昔は南宮大社に運んでくる前に腐ってしまう。海のない岐阜では海産物は届くのに長い時間がかかる。いくら祭が十一月とはいえ伊勢湾から宮代の隣地区の
「ふむふむ」とフライを平らげ、真の卵煮まで箸をつけて姫香は感心していた。残ってますようにと願いながら真は「更に」と付け加えた。
「シイラの語源は細い魚体から中身のない稲の籾である
「それはそうだね」
すると真は空になった茶碗を掌でひっくり返した。
「不作は忌み言葉でもあった。だからシイラは様々な縁起良い名で呼ばれるようになったんだ。例えば鎌倉時代から布の数え方の単位以外、銭の数え方の『疋』は一疋で十文になる。九万疋ならざっと四百十五両」
「四百十五両?」
「天保くらいの時代で一両は約三十万円。その割合で換算すると一億二千四百五十万円」
「ひぇー、大金」
「それは冗談にしろ、シイラはめでたい魚として認知された。そして共に供えられた鰯にも注目すると、これも腐りやすいから『ヨワシ』が『イワシ』に変化したと言われるが、鰯は海の米とされ、他の大型魚の餌となり、かつ人間にとっても大漁の象徴でもあった。鰯ももちろん干物で献上されただろう。そして共に豊かなシンボルとして南宮大社の神饌に上がった。シイラのオスの頭は金槌を連想するかもしれない。鰯は干しても銀色、シイラも上手な干物であれば腹に金色は残る。金と銀は鉱物だ。金山彦大神は鉱山の神ともされている。全ては飽くまで俺の推察だが、これらの諸般の事情が重なってシイラは大社の神饌になったと思われる。以上」
「こりゃあ面白い推理だ」
大将はご機嫌良く手を叩いた。対して真は謙遜して掌を振った。
「これは所詮私の当て推量です」
「ね、真、今の話、次号の広報たるいに載せて良いかな」
甘えるように姫香は許可を求めてきた。だが真に一発で突っ撥ねられた。
「ダメだ。大社の鍛練式の近世記録が見当たらない。つまり証拠がない。推論を記事にしたら信用を失うぞ。こういうのは事実の積み重ねが大事なんだ。何だったら宮司さんか斎の所に訪れて自分で調べてこい」
「えー、でも宮司の
「そうなのか。そりゃあ確かに意外だな。斎、存外歴史好きだと思ってたんだが」
「新人の巫女さんに心得とか所作とか教える方に力入れてるみたい」
「だったら斎は観光の戦力にならないか。こりゃ困ったぞ」
「でしょ。だから私なりにこの一週間、大社以外に観光になる素材を垂井中探して課長に提案したんだけどさ」
「もしかして駄目出しされて荒れてたのか、今日」
「そう、大当たり」
姫香はまた仏頂面に逆戻りして
「真、国道二十一号の『春王・安王の墓』あるじゃない。あれって『南総里見八犬伝』の最初の方の舞台なんだよ。分かる? 垂井町は八犬伝ゆかりの地なの。それなのに課長ったら『八神君、君は子供が処刑されるなんて暗い題材が受けると思うか』って嘲ら笑うのよ、信じられない」
課長の口真似をして姫香は文句を重ねた。
「だったら同じ岐阜の岩村城は何。武田とのロマンスはあったにしろ、艶の方は甥の信長に惨殺されているのよ。それでも観光として成り立ってる。どうやって観光化するのかなんてそれこそ私達行政の腕にかかってるんじゃないの。それなのに最初から否定してどうするのよ。八犬伝は大ベストセラーなんだから、どうせ課長読んでもないでしょ」
「まあまあ、落ち着けよ、姫香」
「これが落ち着いていられますか。他にも表佐にさ、谷崎潤一郎の小説『細雪』あるじゃない。あの話の中に蛍狩りのシーンが出てくるんだけど、表佐が舞台になってるのよ。実際、そこの名家の離れでその文豪は逗留してて、表佐で蛍見てヒントを得たのよ。今度こそ暗い話じゃないからどうだと自信満々に提案したら課長はまた『その離れは今
自棄になって姫香は残りの煮卵をさらえジョッキを傾けた。
「ああ、俺の煮卵が……」
「卵なんてどうでもいいでしょ。それより私を助けてよ、成果出さないとマジでやばいんだから」
「心底酷いヤツだな、お前。関ヶ原合戦関係はどうなんだよ」
「それは別の子が担当しているから不可。だから私にはもう南宮大社しか残ってないの。お願い、真、何とか凄いお宝ネタ探して。人がわんさか訪れるような」
「お宝ネタねえ」
ビール持った手で合掌された真は箸先を咥えて暫し考え込んだ。
と、その時、小学校の時の記憶が断片的に甦った。
「そういえば昔、南宮大社には凄いお宝が眠ってるって婆ちゃん教えてくれたな」
「え、ワカ婆ちゃんが」
「僅かに思い出したけど、確かビックリする秘宝だってよ」
「それよ。そのネタでいこう。ワカ婆ちゃんが語ったんなら間違いないよ。じゃあ今日は盛大に前祝いといこう、真。みきちゃん、生中もう一杯追加ね」
姫香はパッと明るさを取り戻し、真の背中をバンバン叩きまたビールを注文していた。
真は天井を向いて辟易した声で呟いた。
「
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