第2話

「ふふふ、真君が名探偵なのは今に始まった事ではないでしょう、姫香ちゃん」

 混雑が終わりつつあった授与所から社務所の和室へ案内された二人に白川茶を淹れた大野斎は奥床しく笑った。精巧な椿をかたどった水引と、赤い袋状の髪留めで一本に束ねられた長い後ろ髪が柔らかく揺れている。

 白い巴紋が散りばめられた特殊な緋袴で凛と正座した斎と対照的に、対面で足を崩して座布団に座った姫香は頬を膨らませていた。

「だってさ、説明されたら説明されたで、何で私も推理出来ないのって悔しくて。考えてみれば一々当たり前なのに」

 広く古びた坐卓の前で胡座をかいた真は隣の姫香にどうして混み合ったのかを簡単に説いていた。

 先ず、大型バスに「東海一之宮御朱印弾丸ツアー」とラベルがしてあった。その乗客が皆朱印帳を持っており、また性急な様子からマナー違反を覚悟でお目当ての御朱印をもらいに参拝より先に授与所に向かっただろう。第二に黒服で正装した団体は、どこかの企業で恐らく祈祷に来たから、そうなればその申込みで授与所は更に混み、最後の乗用車から降りてきた人間が持っていたのは包みの形状から察するにお供え用の一升瓶で、それは重いので先に授与所の職員に渡しに行くだろう、故に授与所は大混雑するだろう、と。

「その当たり前を普通は見抜けないのよ。思い出して、姫香ちゃん。中学の時、教頭先生の車に石をぶつけた犯人はカラスが空から落としたって言い当てたのも真君だったし、運動靴隠した生徒と隠し場所を見付けたのも真君。みんなびっくりしてたわ」

「懐かしい話を持ち出すな、斎は。あんなのは状況証拠と単なる消去法だ」

 ひどく賞賛された過去を思い返して真は軽く笑った。

「でも昔から授業中、先生が誰を指名するかほぼ的中させてたでしょ。テストのヤマだって。あれって人の癖をよく観察してるから出来た結果でしょう。それでも素で学力は高かったけれども」

「ホント、真は運動音痴なくせに頭は良いから余計癪に障る」

「……大概失敬な奴だな、お前も」

 真は茶を啜る姫香の横顔を細目で睨んだ。それから思い付いたように、

「そうだ。斎。言いそびれてたけど去年は婆ちゃんの葬儀にわざわざ参列してくれてありがとう」

 と恭しく頭を下げた。

 斎は緩やかで大きな目を僅かに閉じてしのんだ。

「いいえ。しかし、和佳さん、もう一年になるのかしら。時が経つのは早いわね。まさかあんな健康な方が心不全で亡くなるとは想像もしてなかったわ」

「ワカ婆ちゃん、そっか、もう亡くなって一年か。私は丁度出張だったから参列出来なかったけど。一周忌は済ませたの、真」

「身内だけで簡素にな。爺ちゃんはとっくの昔に往生して、家族葬も婆ちゃんの生前の希望だったし。死んでから無駄なお金使う必要なしってさ」

「あはは、陽気なあの人らしい」

 姫香は和佳の人となりを想起して笑った。

「俺が高校に入って勉強に忙しくなったから婆ちゃんともあまり話さなくなったけど、もっと長生きしてほしかったな。今の大学への進路も、前に婆ちゃんが買ってくれた三国志にはまったからだし。でもそろそろ遺品の整理も少しずつやってかなきゃいけない」

 しみじみと懐かしむ真に向かって姫香は明るく語った。

「改めて愉快な人だったね、ワカ婆ちゃん。中学の地元研究部の課題とかで私達もよく協力してもらったっけ。歴史に凄く詳しかったから助かった」

「そうね、二年生の文化祭の発表を何にしようと部の皆が悩んでいた時、和佳さんが『関ヶ原合戦時焼き討ちにあった町内寺社の考察』を勧めてくれたのは有り難かったわ。布陣図と西軍・東軍の進路図を重ねた結果、焼失した寺社に対して多様な考察が出来たもの」

「あったねー。そうそう、何で西軍に関係ない伊福岐神社まで焼き討ちにあったか、は考えさせられた。あ、それに長宗我部軍が南宮大社にあった北条政子寄進の鉄塔をかまど代わりにして煮炊きしたってのも、無知でそういう観念が雑兵に薄かっただろうってワカ婆ちゃん笑ってたもん。ただ者じゃなかった」

 二人の思い出話に真も加わった。

「戦いに兵火はつきもんだ。祟りが怖くて天下統一が出来るかって代表格が織田信長だった。王城鎮護の叡山を焼いたのもその表れ。まあ、細川政元も信長以前に叡山を焼いているけどな」

 全くねと斎は頷いたが姫香は「オウジョウチゴ?」と首を傾げた。

 斎は意味を教えた。

「王城は都である京都。鎮護は兵乱や災禍から守る事よ。姫香ちゃんも比叡山は知ってるでしょ。伝教大師最澄が開いた天台宗の総本山。古くから京の都を守護しているのが比叡山延暦寺。丁度都からすれば鬼門の方角に当たるからそう言われているわね」

「それくらいは日本史で習ったよ、斎」

 やや不機嫌に返す姫香に「じゃあこれは知ってるか」と真は二人へ問い掛けた。

「鴨川の水、双六のさい、山法師。これぞ我が心にはかなはぬもの」

「白河院ね」

「さすが斎」

 即答に拍手する真へ姫香はすねた。

「成績上位者の会話は止めてよ。ただでさえ、私一人だけ高校違ったんだから」

「別に自慢してる訳じゃない。話の流れだ。斎、教示してやってくれ」

「ふふ、こういうのは史学博士の分野じゃないのかしら。私はただの巫女長よ」

 涼しい笑顔で拒否した斎に仕方ない顔で真は解説した。

「さっきの三つは『天下三不如意』といって人が容易にコントロール出来ないものの例えだ。京都の鴨川はよく氾濫していた。すごろくのサイコロはインチキしない限り願う目が出せない。そして最後の山法師は延暦寺の僧徒」

「僧徒?」

「平安当時延暦寺は侵すことが出来ない神聖な山だったし広大な寺領を持っていた。だからそこに住む僧達は力を持ち、やがて武装するようになった。京都を守護するはずが、利益を守ろうと武家や公家と対立し、神罰仏罰を楯に強訴ごうそといって日吉社(後の日吉大社)の神輿を担いで天皇の御所に押し掛けた」

「え、守護する立場なのに」

「その叡山も円仁派と円珍派に別れ、別院であった円珍派の園城寺おんじょうじと長らく争い、十四回も焼き討ちにしている。そんな叡山を殊更嫌ったのが信長だ。学問を修めるべき僧侶のくせに酒を飲み、魚鳥を食い、女を山に入れ、力ある者に取り入り利権を貪る山法師達に鉄槌を下した。現代のように僧侶らしい生活になったのは徳川が天下を取って金地院崇伝が起草した諸寺院諸法度を制定してからだ」

「こんちいん、あれ、どこかで覚えがあるような」

「徳川幕府宗教部門ブレーンの臨済宗の僧侶だよ。別名、黒衣の宰相。まあ、その名で呼ばれているのはもう一人別に居るんだが。崇伝は豊臣家滅亡の発端となった方広寺鐘名事件の黒幕とも言われている」

「ああ、家康の名前をぶった切った、あの鐘の」

「ぶった切ったって……まあ、そうなんだけど。あ、それより斎、正式な婚約おめでとう。今日はそのお祝いに来たんだ」

「ええっ、斎、結婚するの!」

 今日一番の喚声に真は耳を塞いだ。

「何だよ、今更。斎に許嫁いるの小学生の頃から知ってるはずだ」

「だ、だってあんなの親同士が勝手に決めた縁談で、とっくに解消されていると思っていたから」

「あのな、大野家は名家で昔から南宮巫女の特別な家系だってお前だって聞いてるだろう。斎の家は神に仕える特殊な家なんだからそういうしきたりが残っていてもおかしくない」

 真はぬるくなったお茶を飲みながら淡々と語った。

 斎が生まれた大野家の始祖は平安時代にまで遡るという。そして江戸時代には薬の調合・販売を手掛けそれが元で財を成した経歴を持つ。また時代は不明だが特に女系は加持祈祷の力を有するといい、金山神社の巫女を務め始め、それが現在にも続いていて宮代の山の一角に広大な日本家屋を有している。

 斎は、自分にはそんな力は無いと否定しているが、祖母の世代までは様々な方面に頼られていたようで、岐阜県の財界、経済界の重鎮が出入りしているという噂も、大野家ならあり得ると地元民でさえ納得していた。

「でもでも」

 前時代的でしょと、まるで自分事のように姫香は必死になって斎に詰め寄った。

 すると斎は淑やかな笑みを軽く浮かべた。

「良いご縁だと思ってるわ。相手の方は滋賀の名の馳せた神社の次代宮司さんよ。私にはもったいないくらい」

「もったいなんて。斎は美人で清楚でスタイルも良くて頭も良くて、それでいて性格も良くて中学から引く手あまただったじゃない。今だってきっと求婚したい人間なんて数え切れないくらいいるでしょう。ほら、真だって斎を好きだったんならこんな理不尽な結婚何とか阻止しなさいよ」

 真はブッとお茶を吐き出した。

「お、お前、いきなり何を」

「私が気付いてないとでも思ってたの。それ程鈍感じゃないわよ。真、小学校の頃から斎ばかり見てたじゃない」

「あら、姫香ちゃんはそんな真君をよく見てるじゃない」

「うっ」

 今度は姫香が斎から冷静に逆襲された。

「真君、あなた知ってたかしら。姫香ちゃんが子供の頃空手を始めたきっかけ。姫香ちゃんは運動が苦手な誰かさんを守ろうと……」

「斎、何言ってんの! 何言ってんの! 何言ってんの!」

 話を打ち消すように大声で姫香は座卓の上に置いていたファイルをバタバタ振った。

「と、とにかく、真は斎の婚約を破談にさせる! 惚れてた男の義務でしょ」

 ビシッと指を指して命令された真は心底呆れた目で姫香を見返した。

「お前、無茶苦茶だな。確かに俺は子供の頃、斎にそういう感情を抱いていたけど、婆ちゃんから大野の嬢ちゃんには許嫁がいる、と告げられて直ぐ諦めたよ。大体斎は納得して嫁入りするんだぞ。似た家柄同士の結婚が幸せなケースだってある。祝福こそすれ何でぶち壊さないといけないんだ。悪趣味が過ぎる」

「まあ、二十年越しの告白は嬉しいわ。もっと早く聞かせてくれれば私の苗字も坂城になってたかもしれないのに」

 斎は真にわざと妖艶な笑みを浮かべた。

「からかうのはやめてくれ」と半分照れた真だったが姫香はまた食い付いた。

「嘘、じゃあ何で斎と同じ高校に行ったの。好きだったからじゃないの」

「断じて違う。俺は進学する大学を初めから決めてたんだ。レベルが高いから高校もそれなりの所を選んだだけ。他意はない」

「それは本当よ、姫香ちゃん。校内でも真君は剣吾君といつも一緒にいたから。私とはそれほど接点がなかったもの」

「分かったわよ……」

 二人の食い違いのない力説に不承不承に姫香は冷め切ったお茶に口を付けた。そして突然思い出したように斎にへ手を合わせた。

「そうだ、斎。丁度良いから相談に乗ってほしいんだけど」

「何かしら」

「実は私、この春から垂井町の町おこしプロジェクト観光部門の責任者に任命されてさ」

 姫香はファイルからプロジェクトの概要が書かれた書類を取り出して見せた。

 斎はそれをパラパラとめくった。内容からして本格的な計画案がびっしり並んでいた。

「凄いじゃない。大抜擢ね。おめでとう」

「それが一向にめでたくないのよ。新しい町長さんがやる気満々なのは結構なんだけど来町者数を一年で倍になんて目標定めるから。そんな数字、全国から来て貰わないと到底無理だよ」

「何ともそれはお気の毒様」

 斎は弱気に落ち込む姫香を見て同情の声を漏らした。余程目を引く内容でないとそれが叶わないのは誰の目にも明らかであった。

 人口およそ二万七千人の垂井町はそもそも目立たない岐阜県美濃地方の中でも更に田舎で、今まで工業に力を入れてきた地域のためか観光に関しては発展途上といっても過言ではない。国道を走るバスは疾うに廃線となり駅の時刻表の数も疎らだ。

 また西隣が関ヶ原町というネームバリューが轟いている町で、大垣市とその関ヶ原に挟まれた「垂井」ってどこと尋ねられて困る町でもある。

 何しろこの南宮大社でさえ、やれ関ヶ原町だ、やれ大垣市だと、酷い場合は堂々と住所が滋賀県になっている資料さえ存在するのだ。

「お気の毒様じゃないよ。力貸してよ。真は剣吾通じて協力してくれるようになったけど、真だけじゃ心細くて」

「おい、姫香、誰がいつ協力するって」

 いつの間にか決定事項に組み込まれていた真は冗談じゃないと拒んだ。しかし、姫香は、

「ほう、幼馴染みを数年ほったらかしておいてまさか断れるとでも」

 有無を言わせず青筋を立てた笑みで握った指を鳴らした。

「真君、私あなたの神葬式は見たくないわ」

 斎まで何食わぬ顔で助けてやれと勧めてきた。真は暫し考えてから諦め気味に承認した。

「ああ、分かったよ、協力すればいいんだろ。でも門外漢の俺にあまり期待するなよ」

「うん、取り敢えず側でアドバイスしてくれるだけでいいよ」

 調子よくカラリと笑んだ姫香に真と斎はまた笑った。

 そんな時、襖が僅かに開いて、

「斎お嬢様、ご来客中失礼致します。県庁の方がお会いしたいとお見えになってますが」と松葉色袴を着た小柄な若者が小さく声を掛けてきた。

 年齢と袴の色からすると出仕(神職見習い)のようだ。

 斎は柔和な表情を即座に厳しくして出仕に向き声を抑えて咎めた。

「直ぐに参ります。ただ、ここで『お嬢様』は止めて下さいと度々伝えてるはずですよ」

「も、申し訳ございません、巫女長」

 彼は若干怯えたように謝罪して姿を消した。

 斎は立ち上がって再び笑顔を戻した。

「ごめんなさい、私行かないと。姫香ちゃん、真君、用事があるならまた気兼ねなく声をかけてね」

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