一難去ってまた……




 復帰に向かって動き出してから数日。

 早朝のランニングと夕方の壁打ちがルーティン化し、何とも耐えがたい筋肉痛に襲われていたけど……それすら嬉しく思える自分が居た。


 それに1人で居る時間が増えたにも関わらず、思いの他姉妹2人の反応も肯定的だったのは意外だった。

 てっきりついて来られると思ったよ。


 なんて、安堵していたのも束の間。いつも通り帰宅し、夕食を食べた後に……それは起こった。


「さって、お風呂でも入るか」

「その前に空くん。ちょっといいかな?」

「ん? 美由?」


「美世もお兄ちゃんに話があります」

「えっ? 美世ちゃん?」


 立ち塞がる姉妹。その表情にはハッキリ言って嫌な予感しかしなかった。夕食中は、それこそいつも通り和気藹藹としたものだっただけに、恐らく2人してこのタイミングを謀っていたに違いない。


「さぁさぁ。とりあえず……」

「ソファ座ろっか?」

「えっ? ちょっと」


 2人に両手を抱えられ、ソファへと連行されると……徐に座らされる。そしてそのまま、


「「よいしょっと」」


 俺は2人に挟まれた。


 えっ? なんだよ。しかもなんか距離近くね? ベッドに乗り込んで来た時並みの近さだぞ。


「じゃあ最初は私からね?」


 そう呟く美由の吐息が耳へと当たる。そんな状況に、自然と俺は美由の方へ視線を向けていた。


「ねぇ? 空くん? 今日九条先輩と話してるの見たんだけどね?」

「九条先輩?」

「うん。テニスの話してたよね? それに、手伝える事があったら言って? って嬉しそうに先輩言ってた。それと、また散歩で会えると良いね。2匹も楽しみにしてるよ? とも言ってた」


 たっ、確かに今日先輩と話していた時、そんな事言っていた気はするけど……


「ねぇ? どうして九条先輩は空くんがテニス再開してるって知ってるのかな? 散歩で会えると良いね? ってどう言う事かな?」

「いっ、いや。それは……朝のランニングしてる時に偶然散歩中の先輩に会って……」

「つまり、早朝デートにテニスのサポートまでお願いしたって事ね? へぇ……」


 なっ……目が笑ってない!! そりゃ朝に先輩と会ったけど、そこまで美由に言う必要もないと思ってたから黙ってたんだけど!? 最後の含みが余計に怖いっ!


「そんな事あったんだねぇ。お兄ちゃん。じゃあ次は美世ね?」


 そう呟いた美世ちゃんの吐息が、左耳へと直撃する。そんな状況に、今度は反射的に美世ちゃんの方へと視線を向けた。


「ねぇ? お兄ちゃん? 今日ね、一華ちゃんからお兄ちゃんの話されたんだ」

「かっ、烏真さん?」


「うん。前にお兄ちゃんから借りたジャージ返したいけど、いつなら御在宅ですか? ってね。あれ? ちょっと変だよね? どうして一華ちゃんがお兄ちゃんのジャージ持ってるのかな?」

「そっ、それは……壁打ちしてる時に偶然烏真さんと会って、テニスの話になって……そしたらラリーの相手してくれるって言うから」

「つまり、テニスデートにジャージまで貸してあげたんだ。自分が着てたジャージを……へぇ」


 こっ、こっちも目が笑ってない!! いや、それだってわざわざ美世ちゃんに言う必要はなくないか? まじで最後の含みにただならぬ何かを感じるんですけど!?


「空くんはモテモテだね」

「本当にそうだよねぇ」

「なっ、何が言いたいんだ。何をしようってんだ!?」


「そんなぁ私達別に何かしようなんて思ってないよ? ねぇ美世?」

「うんうん。そうだよ? お兄ちゃん」


 いっ、いや。絶対嘘だろ? 絶対に……嘘じゃないかぁ!!






「すーすー」

「すやすや」


 ……結局こうなるんじゃないか! 


 両手はがっちり。

 足もがっちり。

 けど、今日は最悪な事に……2人ともなんか片方の手が限りなくあそこの近くに置かれてるんだけど!? 


 狙ってんのか? 共謀か?


「う……ん……」

「むにゃむにゃ」

「うっ!」


 こら、動かすなって!!

 やべぇ……流石にこれは……生理現象に抗えない。




 ★




 なんて魔の夜を乗り越えて、迎えた翌日。

 清々しい天気の下、俺はある場所へと足を向けている。


 ……あぁ、昨日も昨日だし、今日の朝もヤバかったな。


 昨夜のあんな状況から、なんとか寝る事に成功したのも束の間。朝起きると、2人の姿が消えていた。


 最初は不思議に思ったけど、相変わらずテントはがっちり張ったままだった俺は、ランニングの前にシャワーを浴びようとした。ランニング前にしてはいけなんだけど……テントも収めたかったし。


 色んな意味でサッパリし、リビングに入ると……そこにはバッチリ運動の格好に着替えた2人。

 あぁその通り。結局3人でランニングに行く事になった。救いと言えば、今日は先輩と会わなかった事だろう。


 とはいえ、


「朝からランニングは気持ち良かったぁ」


 隣でこう言っている辺り、毎日参加する予定らしい。


「別に無理しなくても良いんだぞ?」

「全然! むしろなんか調子いいもの」


 なんて微笑みながら話す美由。その言葉通りに、なぜかいつも以上に明るく見える。

 いや? この明るさは朝のランニングのおかげじゃないだろ。半分はそうだとして、もう半分は……日南先生の顔を見れるのが嬉しいんだろう。


 そう、今日は土曜。週に1度日南先生の元を訪れる予定の日だ。そして隣を歩く美由。

 中学のチア部は部活の応援。高校のチア部は前の日曜練習の代休になったらしく……


「それにしても、楽しみだなぁ。女医さん」


 こうして付いて来た訳だ。

 名目としては買い物らしいが、


『えっ? 空くん今日例の女医さんの所に行くの? 買い物ついでに一緒に付いて行こうかな?』

『いいなー美世も行きたいなぁ』

『美由? 空くんの邪魔はしちゃダメよ?』

『そっ、そうだよ』

『あぁ、その点なら大丈夫だと思うよ? 日南先生の事だし』


 父さんめ、余計な事を言いやがって。とにかくメインの目的は明らかだ。

 俺としても昨日の今日な訳で……強く断れなかったよ。


 まぁ何も無い診察の様子を見てもらえれば、問題はないだろう。


「さてと、着いたよ? このビル」

「へぇ~大きなビルだねぇ」


 そんなこんなでサン&ムーンへ到着した俺達。以前の俺と同じ反応の美由を横目に、早速2階へと向かおうとした時だった。階段上から現れた人物に声を掛けられる。


 ん?

 その人物は社長夫人の月城さんだった。


「あらっ! おはよう空くん」

「おはようございます! 月城さん!」


「えっと、隣のカワイ子ちゃんは……」

「あっ、初めまして! 天女目美由と言います」

「あぁ! 美耶さんに似て可愛いわね」


 ん? 美耶さん? なんで月城さんが名前を……


「えっ? 母さんを知ってるんですか?」

「もちろん! だって私のヨガ教室の生徒さんだもの」


「ヨガ教室ですか!?」

「えぇ。あっ、丁度良いわ。空くん? 日南先生から少し遅くなるって連絡があったのよ。だから……ヨガ教室ちょっと見学しない?」

「見学ですか!?」


「えぇ。上に居てもつまらないでしょ? あと、もしよかったら美由ちゃん。ヨガ体験してみない?」

「えっ!? 良いんですか? でもこの格好だと……」


「大丈夫よ。ヨガウェアあるから」

「本当ですか? ねぇ空くん?」


 ……そんなキラキラした目で見るなよ。まぁ日南先生がそんな状況じゃ、断る理由もないからな。


「じゃあ月城さん。少しお邪魔させていただいていいですか?」

「もっちろーん! じゃあ、ついて来て?」


 そう言われるがまま、月城さんの後について行く俺達。階段の横にある自動ドアから中に入ると、結構な広さの空間が目の前に広がる。

 ガラス張りとはいえ、外から見るのと実際に中に入るのとでは、結構な違いがある事に驚いた。


「じゃあ、奥に更衣室とシャワー室があるから……美由ちゃん、来てくれる?」

「はーい」


「あっ、空くんはカウンターの所で座っててもらえる?」

「了解です」


 こうして、ヨガスタジオに男1人が取り残される。なんともおかしな光景が出来上がった。


 ……それにしても、まさか美耶さんがここのヨガ教室に通っているとは思わなかったな。それにもちろん月城さんとも知り合い。


 あれ? それで父さんはここで働いてるんだよな? もしかして2人の出会いの場所って……


 ウィーン


「おはようございまーす」


 なんて事を考えていた時だった。自動ドアの開く音が聞こえて来たかと思うと、間髪入れずに挨拶が耳に入った。


 やっべ! 自動ドアの先に男1人とかヤバいだろ。とりあえず状況説明しないとっ!

 なんて焦りを覚えながら、そのヨガ教室の生徒さんと思われる人物の方へ視線を向けた時だった。


「あれ?」


 そんな声と共に、その人物と目が合った。


 ……あれ?

 どこか覚えのある声。帽子を被ってはいるものの、あまりにも目立つ金髪。

 その容姿は元より、その顔は忘れる訳がないほど特徴的だった。


「空っちじゃん!」

「えっ? 桐生院先輩」


 はい? なんで? なんで桐生院先輩がここに居るんですか?


 ……何でですかぁ!!



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