始動と師道
ピピピ ピピピ
聞き慣れたアラーム音が耳に入り、俺は重い瞼を何とかこじ開ける。
部屋はまだ薄暗い。窓へと向かいカーテンを開けても、外は薄っすらと朝日が見えるかどうかだ。
いつもより1時間も前に起きると、また違った風景だな。
なんて事を考えながら、俺はゆっくりと着替えを済ませ……
「よっし。行くか」
外へと駆け出した。
★
「はぁ……はぁ……」
朝のランニングなんていつ振りだろうか。
中学? いや、その頃は部活だけで結構な運動量だったよな? 思い出せない程に久しぶりだ。
その久しぶりのランニングをなぜしているのか。理由は簡単だ。単純に体力の衰えを感じたから。
いやぁ。再開後の初壁打ちだけでも結構キツかった。でも、決定的だったのは烏真さんとのラリーだよ。
烏真さんの想定外の腕前で、壁打ちよりも更に縦横への移動を強いられた訳だけど……マジで彼女がミスってくれなかったら、先に俺の足に限界が来てたかもしれない。
タオルとか渡して誤魔化してたけどさ。けど一方の烏真さんは汗こそ結構出てたけど、体力には余裕が見えた。ピンピンしてたしね?
こうして、約2年のブランクをまざまざと見せつけられた訳だ。
流石に2年間もぐうたら生活してたら、体力も下半身の筋力も衰えるよな。
……けど、朝から無理して、今度は足でも怪我したら元もこうもない。まずは、全身を運動に慣れさせる事。それには朝のランニングが最適だ。
さてと、ここから遊歩道に入って……ランニング開始。とりあえず、今日はこの先にある
「はぁ……はぁ……」
そこからしばらく、俺は徐々に姿を現す朝日を浴びながら……ゆっくりと走り続けた。するとどうだろう。朝とはいえ意外にも俺と同じくランニングする人は結構多い事に気が付く。
老若男女。そのスピードも様々。
思いがけない街の姿を見れた様な気がして、それはそれで結構新鮮な気持ちになった。
……っと、あと少しだな。
最初は小さかった大成橋があっと言う間に大きく見え、折り返し地点である休憩所が目に入った。
時計を見ると時間にすればそこそこ掛かってはいたけど、体感的にそこまでは感じない。ただ、油断は禁物。最初はこのペースで十分だと言い聞かせる。
とりあえず、少し休憩かな?
なんて事を考えながら、休憩所へと視線を向けると……そこに誰かの姿を見つけた。
近付くにつれて、徐々にハッキリとする姿。肩ほどの髪の毛に、どこか見覚えのある褐色日焼け肌。
ん? もしかして……
頭の中に浮かんだ予感は、その人がこちらに気付いた途端……確信に変わった。
「そっ、空!?」
「九条先輩!?」
そこにいたのは、紛れもなく九条先輩だった。
いつものテニス仕様の格好とは違うものの、Tシャツに短パン姿はある意味見慣れた物だ。
「どうしたの? こんな朝早くに!」
「先輩こそ……」
そう言い掛けた瞬間、手に持つ紐とそれに繋がれた2匹の犬が視線に入る。
「って、散歩ですか?」
「そうだよぉ」
リードで繋がれた、2匹のミニチュアダックスフンド。先輩が犬を飼っているのは知っていたけど、実際に会うのは初めてだった。けど幸い、
「「ハッハッハッ」」
嫌われては居ない様で安心する。
いや、むしろ尻尾が取れそうな位ブンブン動いてるんですけど!?
「めちゃくちゃ可愛いですね。触っても良いですか?」
「もちろん! こっちの茶色の子がフォアで、黒い子がバックって名前だよ?」
座っている2匹の、まずはノド辺りを両手で撫で撫で。するとどうだろう、たちまち横たわると、もっと撫でてと言わんばかりにお腹を見せる。
かっ……可愛いっ!!!
「よしよし! フォア。バック」
「ははっ。この子達、人慣れし過ぎなんだよねぇ」
「俺にとっては至福ですよ。あれ? もしかして、名前の由来ってテニスの?」
「正解。フォアハンドとバックハンドからね?」
「先輩らしいですね」
「やっぱり?」
それにしても、モフモフでめちゃくちゃ可愛い! 家でもペット飼いたいって話は出るけど、父さんに止められてたんだよな。
なんでも、父さんも子どもの頃犬を飼っていたけど、やっぱりお別れの時は来る訳で……ペットロスがかなり響いたらしいからな。
できればそんな経験させたくないらしい。俺も父さんも犬猫、動物は大好きなんだけど……そういう気持ちも分からなくはないから、そこまで強くお願いはした事無い。けど、やっぱり……
ペロ
可愛過ぎるっ!!
「そういえば空はなんで? ランニング?」
「そうですね」
「そっか。日課とかかな?」
「そうじゃないんですけど……」
「うん?」
「その、もう1度テニス始めようかと思って」
「えっ……?」
「怪我と向きあいながらテニスを……」
「本当?」
「はい。もう1回チャレンジしたいと思って……」
何気ない話をしながら、中腰で2匹の癒しの塊達を一心不乱にナデナデしていた時だった。
「うぷっ!!」
突然視界が真っ暗になる。それと同時に、柔らかい感触が顔面を覆い尽くした。
「やったっ」
さっきより、より一層近くで聞こえる先輩の声。柔らかい感触に、後頭部付近に感じる腕の感覚。次第に感じる爽やかなフルーツの様な匂い
あれ? これって……
なんて理解する間もなく、視界は一瞬で明るくなる。そして目に入ったのは、満面の笑みを浮かべる先輩だった。
「せっ、先輩?」
「嬉しいよ空。もう1度テニスを始めてくれて」
状況は良く分からない。けど、目の前の先輩の表情だけでも……とりあえず俺の選択を喜んでくれている事だけは理解できる。
最初は必死に引き止めて。
次第に様子を見ながら。
最近は冗談を言う感じで、テニスの事を聞いてくれてた先輩。
その度に断って、笑顔で応えてはくれていたけど……一瞬だけ寂しそうな表情をしていたのは分かっていた。
そんな先輩が見せた、本当の笑顔。
それだけで、自分が一歩踏み出せたのだと確信する。
「けどまだ、強豪京南高校テニス部にはいけませんよ? 今の俺は中……いや、小学校レベルまで腕が落ちてますから」
「何言ってんの? 中2で全中ベスト8の腕がそんなにすぐに錆つく訳無いでしょ」
全中ベスト8……か。あの時は、とにかく上を目指したかった。
でも、今の俺にとってはただの過去の話に過ぎない。
それに今思えば……全中なんか出なかった方が良かったとさえ思う。
都大会から違和感はあった。けど、1位になりたくて……上を目指したくて誤魔化した。
そしてベスト4を賭けた戦い。皆には内緒にしていたけど、フルセットまでもつれたあの試合で痛みは限界を越えた。
「そんなの過去の栄光ですよ。今の俺には必要な事じゃないです。むしろここからですよ?」
「ったく、空らしい考えだわ」
「そうですか?」
「ふふっ。とりあえず、またテニスを始めてくれて本当に嬉しかった。復帰出来るまで楽しみに待ってるから」
「先輩が卒業するまでに腕が戻ればいいですけどね」
「その点は心配してないよ? それに協力できる事があれば何でも言ってね? 自主練、フォーム確認、ストレッチ何でも任せて。あっ、アッチのお世話は要相談ね? ふふっ」
……あっち? あっちとは……まっ、あんまり気にしない方が良いな。それにしても先輩が協力してるなら大分心強い。
「先輩も自分の事がありますし、逆に無理しないで下さいね?」
「了解了解。あっ、じゃあそろそろ行こうかな?」
「あっ、すいません散歩の途中で」
「全然! じゃあまた学校でね? ほらフォア? バック? 空に挨拶しなさい?」
「「キャンキャン」」
「ははっ。じゃあね? フォアとバック。それじゃあ先輩、また学校で」
「はいよっ! じゃあ、残りの散歩ちょっと早めに行くよ? ゴーッ!」
颯爽と走って行ったなぁ。ここもしかして散歩コースなのかな? じゃあまた触れる機会があるかもしれない。
それと、久しぶりに先輩のあの笑顔見た気がする。
ゆっくりだけど、出来れば先輩が在学中にテニス部に復帰出来たらいいな。
…………あっ、そう言えばさっきのアレって、やっぱあの感触だよな? て事は抱き締められた? いくら先輩でも今まで無かったぞ? 流石に反則だろ。
「って、何朝から考えてんだよ。とにかく気合入れて、俺も朝のランニング再開しますかっ!」
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