Ⅱ.

 私のような人間が、時々、この町には現れるのだという。


「深い霧の中から吐き出されるように現れる人、時々いるんだよね。みんな揃いも揃って何もかも忘れちゃってるから、元の場所に帰してあげたくてもどうにもできないの」


 みんなそんな人には慣れっこだよ、と少女は目玉焼きをつつきながら言った。


「だからね、そういう人は、最初に見つけた人がお世話をするの」


 曲線を描く部屋の中心に丸いテーブルが置かれていた。さらにその上には私と少女の朝食が置かれている。


「私はエディ」


 私がようやく目玉焼きを一口口に運んだ間に目玉焼きとトーストを平らげてたくさんの言葉を紡いだ少女は、己の名を告げた。


「マテリアスタをしてるの」


 不意に、私の中の何かが揺れた。今まで何を言われても右から左へ抜けていた言葉が、初めて霧に吸収されきらずに引っかかる。


 そのしこりのような感触を吐き出したくて、私はノロノロと唇を開いた。


「……マテリアスタ?」


 私から初めて出てきた問いがよっぽど嬉しかったのか、少女は目を輝かせて私の方へ身を乗り出してくる。


「マテリアスタ、マテリアリスト、唯物士、言霊遣い……言い方は違うけれど、みんな同じ職業だよ!」


 誇らしげに言った少女は首から下げたペンダントを私へ見せた。その先には少し赤みを帯びた水晶で作られたペンデュラムが揺れている。


「ここではね、この水晶と言葉の力を使って、不思議なことを引き起こせるの。その力を使って人を助ける仕事をしていると『マテリアスタ』って呼ばれるんだよ」


 見ててね、と続けた少女はペンデュラムを乗せた右手を横へ振り抜いた。その一瞬でペンデュラムは同じ色をした羽根ペンへ姿を変える。


 手の中に現れた羽根ペンを構えた少女は、得意げに宙へペン先を走らせた。


『深い海のような輝きを纏った蝶は、ヒラヒラと羽ばたいていきました』


 何もない空間に、少女が綴った文字だけがキラキラと輝く。羽根ペンと同じ夕日を溶かし込んだような色をした文字は、しばらく宙を漂うと端からサラサラと姿を崩していった。粒子状になった光は1ヶ所に凝り、瞬きをひとつした後には深い青色の羽で羽ばたく蝶に姿を変えている。


 しばらくその場に留まった蝶は、ふと何かを思い出したかのようにフワリと高く飛翔した。


「すごいマテリアスタになると、この力で世界を創ったり、人の心を癒したりもできるんだって」


 そうだ! と少女は目を輝かせた。パチンッという音に少女を見やれば、少女は椅子から飛び降りて何やらキッチンへ駆け寄っている。


「あなたも試しにやってみなよ!」


 再びキッチンから駆け戻ってきた少女の手には、水晶の原石のような、ゴツゴツ尖った小さな石が乗せられていた。


「『お客様』はね、なぜかみんなマテリアスタの適性があるんだよ。だから、あなたも試しに……」


 テーブルを回って私の隣に立った少女は、私の手を取ると水晶を私の掌に乗せようとする。


 その瞬間、水晶の姿に、何か別の姿が被ったような気がした。


「っ!?」


 悪寒と、吐き気と、バシッという音と。


 どれが最初で、どれが最後だったのだろう。


 気付いた時には私は少女の手ごと水晶をはたき落とし、目を見開いたまま体を硬直させ、それでいながら肩で大きく息をしていた。


「あ……」


 何が何だか分からない。こんな激しいものに出会ったのは、目が覚めてから初めてだ。


「ご、ごめんなさい! そんなに嫌がるとは思わなかったから……」


 震える吐息を零す私の前で、少女が膝をついて床に落とされた水晶を拾う。


「もし体調がいいなら、散歩に行っておいでよ」


 そんな少女は、膝をついたまま私を見上げてニコリと笑った。


「その朝ご飯、ゆっくり食べ終わった後でいいからさ」

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