私と誘導

 あの大きな魔物が暴れている足元。

 逃げようとしているのにその場を行ったり来たりする人、転んでしまったのか動けなくなってるお爺さん、泣いてしまって一歩も動けない小さな子。

 騎士団の人が大きな声を張り上げて避難を呼びかけているけれど、その声が届いてる気配はありません。


「これは……予想以上に皆混乱してるな」


 ルフスさんの独り言が聞こえてきます。

 見るからにひどい状況で、私たちにできることがあるのかなんて考えてしまいます。

 だからこそ、私たちが頑張らないといけません。


「私が一番近くまで行きますから、ルフスさんは誘導をお願いします!」


 袖を折って短く纏めて、私の目にはもう向かうべき場所しか映りません。

 地面を蹴って走る。

 大きい瓦礫を避けて、小さな礫を叩き落す。

 何をすべきかは女の子から聞いています。

 まず一つ目に触手に近い人から順番に助ける事。

 目の前に見える瓦礫に足を潰された女の人がその一人目です。

 瓦礫と地面との隙間に指を滑りこませて、全力で押し上げました。


「ちょっとあなた、何してるの!?私なんて放って早く逃げてちょうだい!」


 女の人の声は聞かなかったふりをして、瓦礫を持ち上げます。

 拍子抜けしてしまうほど簡単に動かせてしまって、少しだけ勢いが付きすぎました。


「そっちこそ早く逃げてください!」


 私が叫ぶと、女の人は体を引きずって瓦礫の下から這い出てきます。

 足を庇っているけれど、なんとか歩けるくらいの怪我だったようです。

 瓦礫を下ろして次の倒れている人の所に走る。

 倒れている人を助け起こして、歩けそうにない人を背負って。

 不思議と重さは感じなかった、それどころかいつもより体が軽いと思えました。


「お嬢ちゃん、こんなおいぼれは見捨てて……」


「絶対に見捨てませんからね、少しだけ我慢してください」


 背負ったお爺さんに返事をしながら走る。

 向かう先には大きな旗が振られているのが見える。

 青い生地とそこに大きく書かれた黄色い文字、煙の中でもそれが良く目立つ。

 来る途中にルフスさんが言っていた誘導に使える物ってあれだったのかと、私は一人で納得しました。


「あれはわしの船の大漁旗……いったい誰が持ち出したんだ?」


 お爺さんの呟きに思わず笑ってしまいそうになりました。

 ルフスさんはきっと後で怒られるだろうな、なんてそんなことを考えてしまいます。

 お爺さんを他の人たちと同じ場所まで連れてくると、騎士団の人が駆け寄ってきました。


「君!君も早く避難しなさい、救助は騎士団に任せるんだ!」


 後ろを見れば、魔物はぐらりと揺れてこちらに倒れてきているように見えます。

 お爺さんを背中から降ろして、私は騎士団の人を見つめました。

 他の騎士団の人は皆、多少の差はあれど何かしら焦りが感じられるのだけど、この人はとても落ち着いている。

 息切れも無く、目はしっかりと私を見つめて、倒れ掛かる魔物のことなど気にしていないみたいです。


「この状況でも落ち着いていられる人、それは四つ柱所属の方ですよ」


 女の子……じゃなくて怪物さんの言っていたことが頭をよぎって、笑いだしそうになってしまう。

 まさしくその通りでした。

 差し伸べられた手を見ながらその場に立ち止まる。

 倒れ掛かってきていた魔物は途中で反対側、海の方へと向きを変えて倒れていきます。

 大きな水飛沫が上がって、落ちずにどこかへと消えていくのが見えます。

 これは想定外だったのか、目の前の四つ柱の人も口を開けてその光景を見るばかりでした。


「ねぇ、どうして私たちが救助活動をしていたんだと思いますか?」


 私がそう問い掛けたことで、四つ柱の人の意識がこちらへと戻ってきます。

 けれど質問の意味がよくわかっていないみたいでした。


「どうして私がこの場所から逃げなかったんだと思いますか?」


 別の質問をぶつけてみます。

 頭の中は風の無い日の水面みたいに何事も無く平和になっています。

 どんな答えが来ても怒らない自信がありました。


「君は……なんなんだ一体、質問の意図が全く分からない」


 四つ柱の人は少しだけ目を細めて、言葉だけは優し気にして私を見下ろします。

 分からないなんて言っているけれど、私の質問の意図はすっかりお見通しのようでした。

 彼の無表情に私は笑顔を返します。


「私たちはあなたたちがやった事を全部知ってます、って事ですよ」


 私がそう伝えると四つ柱の人は表情を変えずに剣に手を掛ける。

 けれどその時、海の方から奇妙な音が聞こえてきました。

 泣き声のような悲鳴のような悲しくなる音。

 その場にいた全員が音の出処へと視線を向けていました。

 魔物が黒い幕のような何かに覆われていきます。

 数秒ほどで消えたそれは、どうやら魔物を絶命させたようでした。


「ばかな……預言と違う、こうなる訳が無い!」


 四つ柱の人は柄に手を掛けたまま、見て取れるほどに狼狽えていました。

 かくいう私もほっとして、今にも座り込んでしまいそうなくらい足の力が抜けていきます。

 これではだめだと自分に言い聞かせて何とか足に力を入れます。

 再度私を見る四つ柱の人の目は、敵意に満ちていました。

 頭の中が冬の川のように冷たく冷めていくのを感じました。


「お前、お前ぇッ!」


 剣が抜かれる。

 振り下ろされる。

 挙動の全てが一繋がりに見えるくらいに無駄なく、流れる様に。

 そんな一撃をセーシュさんから習った通りに受け流す。

 握り締めた小盾で殴る様に触れて剣を逸らして、体重の乗った一撃は勢いそのままに地面まで落ちていく。

 剣の腹を力任せに踏みつければ、固く握った剣に釣られて四つ柱の人も地に伏せた。

 それでも睨みつけてくる目を、今度はこっちが見下ろす側になった。


「このっ……この預言は偽の神に騙された人々の目を覚ます為の……!」


 まだ何かを言おうとしている四つ柱の人をただ見つめます。

 何も特別な感情が湧いてきません。


「どうでもいいんですそういうの、あなたたちの言い分なんて、私は知ったこっちゃないんです」


 思ったことをそのまま声に出すと、四つ柱の人の顔は面白いくらい真っ赤になりました。

 こんなことをした癖に、もしかして怒っているのでしょうか。


「私は北限の開拓村の出身なんです、あなたも知ってますよね」


 今にも喚き散らしそうになっている四つ柱の人に自己紹介すれば、今度は顔色が真っ青になりました。

 今度はどんな感情なんでしょう。


「言いたいことはいっぱいあるけど、一番言いたいことは……取るに足らないことに勝手に私たちを巻き込まないでください」


 そう伝えると四つ柱の人は地面に伏せたまま顔色を赤くしたり青くしたり、初めは面白かったけれど今はもうつまらなく感じます。

 避難してた人たちの方からどよめきが聞こえてきました。

 周りを見渡すと、壊れていた町がすっかり元通りに直っています。


「ゆめ、だったのか……?」


「けどあの魔物の死体がまだあるぞ」


 海の方を見れば、絶命して結晶になっていく魔物の姿が太陽に照らされてよく見えました。

 けれどそれよりも目についたのはあれを倒した二人の影。

 あそこに居る凄い人を知っているんだと、なんだか誇らしいような気分になります。

 身体から力が抜けて、目を開けてられないくらい瞼が重くて。

 最後に聞こえたのはルフスさんが私を呼ぶ声でした。

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