全部が動き出して

 初めに動きだしたのはチハリだった。

 世界に動きが戻ると同時にその場から幻のように姿を消した。

 そのすぐ後に光の柱が一本消え去る。

 セーシュが動き出したのはその時だった。

 素早く家の屋根に飛び乗ると、そこから触手に向かって一直線に走り出した。

 二本目の光の柱が消えるのと同時にセーシュが触手の元へと辿り着く。


「う……とりあえず、俺たちも行こう!」


 ルフスの言葉にミアンが頷いて、二人が走り出す。


「あぁもう、頭がおかしくなりそうだ……」


 顔をしかめて頭を掻きむしり、セーシュが吐き捨てる。

 胃液にも似た臭いの粘液、温く湿気た空気が不快感を誘う。

 宙に浮いたまま落ちてこない瓦礫はどうせ怪物のせいだろうと、セーシュは一人納得する。


「僕に何ができるっていうんだよまったく……」


 浮かぶ瓦礫を蹴って、触手の先端付近まで一気に跳び上がる。

 触手の表面、模様のように見えていた物がぎょろりと動いてセーシュを見つめた。


「あぁ……この、もう、やりたくないなぁ」


 瓦礫の上で短剣を握り締め、刃先を触手に向けるセーシュ。

 先ほどまでの止まった空間でセーシュたちは確かに怪物とミアンの会話を聞いていた。

 セーシュは勿論囮になることには反対しようとしたが、怪物がそれを聞くはずもなかった。

 怪物への苛立ち、不快な臭い、様々な要因のせいで喉元まで胃液が上がってくる。


「……!」


 愚痴を言っていると、触手が突如暴れだす。

 触手の結晶化が地面に近い部分から始まっている。

 どうやらチハリが楔をすべて掃除し終わったようだ。

 触手の表面が不規則に大きく揺らぐ。

 重心が傾いて触手が倒れかかる。

 触手の倒れるその先に、この場から離れようとする住民とそれを誘導するミアンたちの姿があった。

 セーシュの短剣を握る手に力が籠る。


「こっちだ!」


 言葉が通じるはずもないのにセーシュが叫んだ。

 瓦礫から跳び、触手に短剣を突き立てる。

 刃は通らず、先端が表皮にわずかに引っ掛かるのみ。

 それでも触手の意識がセーシュに向けられるのがあらゆる感覚で感じられた。

 ぬめりのある触手をなんとか蹴り、近くの瓦礫に飛び移る。

 触手全体がセーシュ目掛けて倒れ掛かった。


「ぐぅっ……!」


 ギリギリまで引き付けて、セーシュは倒れる触手を避けた。

 体勢を崩した触手が水面に叩きつけられて、巨大な水しぶきが上がる。

 セーシュの顔が蒼褪める、別の災害を起こしてどうするのかと自分を責める。

 けれど発生した波は町を襲う前に忽然と姿を消した。

 水面は多少の波こそあるものの、触手が浮いてさえなければ平穏と言える状態に戻っている。


「あのさぁ、仕事増やさないでくれます!?」


 続いてチハリの怒鳴り声。

 いつの間にかチハリが合流していて、海に向けて聖剣の切っ先を向けていた。


「すまん」


 到底聞こえもしない小さな声でセーシュが呟く。

 しかしその視線は海の中で未だ蠢く触手へと向けられたままだ。

 暴れる先端が港を薙ぎ払い、桟橋を屑に変える。


「なんでまだ生きて動いてんのさぁ!?」


 チハリは地面を足で踏み鳴らし、不機嫌を隠さない。

 手に握った聖剣を怒りに任せて無暗に振り回さない理性だけ、何とか保っていた。

 何度目かの踏み込み、ヒビが深まって今にも地面を踏み抜きそうになった時、チハリの肩に怪物が手を置いた。


「あぁ、落ち着いてください、地面が抜けてしまいますよ」


 背後から聞こえてくる優しく窘めるような声。

 けれど怒りの収まらないチハリが振り払おうと腕を振った。


「もう分かってるってば!偉そうに言わない……でぇっ?」


 振った腕は空を掻く。

 チハリの背後には何も居らず、想像もしていなかった出来事に虚を突かれる。

 肩には未だに手の置かれた感覚がある。


「さて、しっかりと獲物を見てください、あなたならすぐに息の根を止められるのですから」


 聖剣を握った腕がぐい、と何かに引かれて呆気なく体の向きを変える。

 視界に暴れる触手が映る。

 全身がまるで自分のものではないかのような錯覚に陥る。


「あなたの聖剣ならきっとこんな使い方も出来るのでしょう」


 問いかけているようで確信を持って誘導する声。

 頭の中にじりじりと焼き付けるように知識が詰め込まれる。

 それならば容易に出来ると理解してしまった。


「おい聖剣の担い手サマ、大丈夫か?」


 声を掛けられて体を揺すられて、チハリの意識が戻った。

 セーシュの顔がすぐ目の前に映って大きく心臓が跳ねる。


「急に落ち着いたと思ったらふらふらと動いて……しっかりしてくれよ」


 瓦礫の上から見ていたセーシュには先ほどまでのチハリの行動がそのように見えていたらしい。

 周りを見渡しても怪物の姿は見えない。


「え、あれ……あの怪物は?」


 そうチハリは問いかけるが、セーシュは心底面倒そうな顔をして首を横に振った。


「あれを気にするのは止めたほうが良い、僕たちにはあれの行動なんて理解できないんだよ……それよりもあっちだ」


 セーシュが触手を指差すと、チハリの頭に小さく痛みが走る。

 歯を食いしばりながらチハリは聖剣を両手でしっかりと握り締めた。


「大丈夫……なんとかできる、やり方は分かってるから離れてて」


 そう言ってセーシュが後ろに下がるのを確認すると、聖剣に光が灯る。


「聖剣起動、私はどこへだって行ける」


 そう呟くとチハリの前方、空中に黒い穴が広がる。

 その穴に聖剣を突き入れた。

 甲高い金属音、金切り声、悲鳴、叫び。

 穴の中から何かが殺されるような様々な音が同時に響き渡る。


「なんだこれ……」


 セーシュは信じがたい光景に目を奪われていた。

 触手を埋め尽くさんばかりの無数の黒い穴。

 その一つ一つからチハリの持つ聖剣が生えてきている。

 数秒後穴が消えた時には触手は息絶えて結晶化し、崩れ去っていた。

 口を開けて呆然としていたセーシュだったが、倒れかけるチハリを見てすぐに駆け寄る。


「う、うぇぇ……気持ち悪い……」


 チハリの顔色は酷く悪い。

 怪物の入れ知恵の影響なのか、チハリの視界は目の中に虹を流し込まれたようにチカチカと輝いていた。

 吸い込む空気がひどく甘ったるい味がして、聞こえる音は波のように上下している。

 数度の呼吸の後、チハリの意識は遠く消えた。


「あぁ、えっと、こういう時はどうしたらいいんだ……?」


 意識を失ってしまったチハリを前に慌てふためくセーシュ。

 とにかく呼吸音を確かめる。

 深く眠っているような息の音に少しだけ安堵する。

 息をしやすいように横を向けて寝かせ、崩れ去る触手の方へと目を向ける。

 あれほど散らばっていた瓦礫がいつの間にか元通りの町の形に戻っていた。

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