災害の始まり

 ミアンが店に入り、それに続こうとするセーシュとルフスを怪物が後ろから引き留める。


「駄目ですよ、まだやることが残ってます」


 怪物の笑顔に比例するように二人の顔が険しくなる。

 重苦しい空気が漂ってきた。


「昨日見せられたあれのことか」


 セーシュがそう聞くと、怪物は首を横に振る。


「まだ時間があります、それよりも先にあなた達には会っておいてもらいたい人が居るのです」


 そう言いながらきょろきょろと周りを見渡す素振りをする怪物。

 セーシュが大きくため息を吐くと、隣のルフスが信じられないと言いたげな目で見てくる。


「……なんだよ」


「いや、なんか、随分慣れてる感じだなと思って……あぁ、その、いい意味だぜ?」


 その言葉に呆れた顔をするセーシュ。


「慣れるもんか、気を張ってばかりだと疲れるんだよ、特にあいつの相手してる時なんかはな」


 怪物を指差すと、それに気づいた怪物がにこりと笑みを返す。

 その反応にセーシュは再度ため息を吐いた。


「まぁいいか、それで、会わせたい人って誰なんだよ?」


「あぁ、後ろからこちらに向かってきているあの人ですよ」


 それを聞いて二人が振り返ると、確かに一人こちらに近づいてきている。

 髪の長い女性のようだ。

 少しばかり早歩きで向かってきた彼女は、セーシュとルフスを交互に見ながら足を止めた。


「おはようございます、ちょっとお話伺ってもいいかしら?」


 柔和で優し気な声だが、セーシュたちを睨みつけている。

 困惑するルフスをよそに、セーシュが女性の剣に注意を向けた。


「え、なんでしょう?」


 気の抜けた声でルフスが返事をする。


「女の子を連れて狭い路地に入る二人組を見かけたから、騎士団としてはちょっと見過ごせなかったのよ」


 声色は変わらず、けれども言い淀む事無くはっきりと話す女性。

 セーシュが諦めの混ざったような声を漏らす。


「誘拐犯にでも見えたか」


「えっ……あ、そういうことか!?」


 ルフスの顔がみるみるうちに蒼褪めていく。

 怪物のくすくすと笑う声が聞こえてくる。

 ルフスの反応を見た女性がわざとらしく驚いたような顔をした。


「あれ?違うとでも言いたいの?」


 女性の言葉に、セーシュとルフスが同時に首を縦に振る。

 女性が次の言葉を言おうとした時、セーシュたちと女性の間に割り込むように怪物が移動してきた。


「二人とも、この人が会ってほしかった聖剣の担い手、チハリさんですよ」


 セーシュたちと顔を合わせながら、怪物が後ろの女性を指し示す。

 理由は違えど、怪物以外の全員が口をぽかんと開けて呆気にとられる。


「さて、もう用事は済みました、そろそろ時間も来ますので準備をお願いしますね」


「いや、待て、頼むから待ってくれ」


 話を進めようとする怪物を、他より早く正気に戻ったセーシュが制止する。


「いくら何でも説明が欲しい、なんで僕らを……」


「それはもちろん、あなた達だけでは街の破壊を止められず、その後の処理もできないからですね」


 セーシュが質問を投げかけようとすると、怪物が被せる様に答えを吐き出す。

 眉を寄せるセーシュの様子を見て、怪物がにこりと笑って話を続ける。


「チハリさん、今のうちに聖剣を起動しておいてくださいね」


「は、え?なんであなた……」


 チハリと呼ばれた女性は、まだ少し衝撃から戻ってこられない様子で怪物を見つめている。

 怪物が聖剣に手を伸ばすのを見て、後ろに飛び退く。

 チハリは困惑と敵意が混ざったような表情になるのに対して、怪物は笑顔を崩さない。


「私が何を知っていようと、あなたにとって重要なのは犠牲者を出さないことでしょう」


 怪物の目に見つめられたチハリは、声を出さずに肯定する。

 目を泳がせながらも口をまっすぐに結んで、手は聖剣の柄をぐっと握り締めている。

 それを見た怪物が笑う。

 いつもと同じ、乾いた笑いだ。


「その調子です、これからあなたには頑張って剣を振ってもらわないといけませんから」


 そういって怪物が一歩一歩数える様にゆっくりと歩き出す。

 元居た場所から数歩、裏路地への入り口で立ち止まる。

 そしてセーシュたちを手招く。

 地面の方を指差して、いたずらっ子のような笑顔を浮かべている。


「なんだよ……!?」


 セーシュが怪訝な顔をしながら怪物の指さす方を見て、言葉を詰まらせた。

 見間違えるはずもない。

 小さく脈を打っている、桃色のひび割れた結晶のようなそれは魔物の死骸だった。

 こんな町中に有る筈がない。

 遅れてきたチハリもセーシュと同様の反応をする。


「うわっ、何ですかこれ?」


 緊張しているセーシュとチハリとは裏腹に、ルフスが暢気な調子でそう問いかける。

 怪物だけがくすくすと笑った。


「あなたにも見せたあの触手です、これはあれよりも小さいものですけれど」


 触手の動きを真似てうねうねと腕を動かしながら、怪物が説明をする。

 途端にルフスの顔が蒼褪めた。

 その様子を満足げに眺めた後、怪物がセーシュと目を合わせる。


「さてセーシュさん、これらは何のためにここに設置されているか分かりますか」


 先ほどまでの笑みが消え去り、星のように明滅する瞳だけがセーシュを睨みつけている。

 空気が澄み渡って、照り付ける太陽から熱が失せる。

 今すぐにでも重圧に身を任せて地に伏せたくなる。

 いつもと同じように意識を向けられただけだと、セーシュは自分に言い聞かせた。

 思考を駆け巡らせる。

 怪物の嗜好を理解しようとする。

 浮かんだ答えは、頭が抑え込む前に口をついて出た。


「分かる訳がない、僕らには情報が足りていないし、お前みたいに考える時間も足りてない」


 本音を隠す事無く怪物にぶつける。

 自責と後悔、自己嫌悪に塗りつぶされそうになる頭を振り回して、セーシュが怪物を睨み返す。

 喉の詰まるような感覚が少しばかり緩んで、空気に温かさが戻った。

 怪物が微笑む。


「でしょうね、正直でよろしいと思われますよ」


 怪物が足先で触れると、魔物の死骸は跡形もなく消え去った。


「これは転送の楔でした、これを使えば巨大な魔物を瞬く間に町中に出現させることが可能です」


 怪物が得意げに歩きながら話を続ける。

 その視線はチハリの持つ聖剣に注がれている。


「チハリさんの聖剣も似たようなことができますね、聖剣と比べると技術の劣る部分を数と規模で補っています」


 その言葉を聞いたチハリが口を挟む。


「……待って、ならこれと同じものが他にもあるってことなの?」


 問いかけに怪物が頷くと、チハリがあからさまに動揺を見せる。


「どこにあるか分かる?早くなんとかしないと……!」


 怪物の肩を掴んで詰め寄るチハリ。

 あまりの必死な表情にセーシュとルフスが落ち着かせようとするが、跳ねのけられる。

 そこに、女性に連れられてミアンが帰ってきた。


「あの……なにかあったんですか?」


 その場の様子を見て、不安そうな表情でミアンが問いかける。

 傍に居た女性も困惑していた。


「お帰りなさい、探し物は見つかりましたか」


 チハリに掴まれていたはずの怪物が、いつの間にかミアンの傍に移動していた。

 支えを無くしたチハリが地面に激突しかける。

 怪物の問いかけに、ミアンは首を振る。


「うぅん……でも、売ってるところに心当たりがあるってハルノさんが言ってて、探しに行こうって」


 頬を赤く染めたミアンが楽しそうに話すのを見て、怪物がにっこりと笑う。


「あぁ、それは遅かったですね、これから大変なことが起こりますから」


 何でも無い事のようにさらりとそう言って、怪物は二人の困惑をさらに深める。

 その直後に大きな地響きが聞こえてきた。

 一同が空に目を向けると、建物が空に跳ね上げられているのが見える。

 その直下にはセーシュとルフスにとって見覚えのある桃色が蠢いている。

 風景が引き延ばされるようにゆっくりと動きを止めた。

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