私とお祭り

 目を覚ますと、外はまだうっすらと暗い時間でした。

 窓を開けたら、優しい風が潮の匂いを載せて部屋に入り込んできました。

 重なり始めた薄い色の月が海の方へと沈んでいくのが見えて、それをぼうっと眺めていたのです。

 空が明るくなるにつれて、だんだんと人の声が聞こえ始めます。

 潮の匂いに混じって届く、美味しそうな料理の匂い。

 人の声はすぐに大きくなって、楽しそうな声が色々な所から響いてきます。


「ん、うぅ……」


 うつ伏せで倒れて眠っていたセーシュさんがうめき声をあげています。

 こういう時は起こしたほうが良いのでしょうか。

 苦しそうな顔をしていて、額に汗まで浮かべています。


「だ、大丈夫ですか……?」


 小さく声をかけながらセーシュさんの身体を揺すりました。

 そうしていると突然、セーシュさんが目を開けて飛び起きたのです。

 何が起きたのかわからないと言いたげな表情で、しきりに周りを見渡しています。

 不安そうな表情なのに目がとても鋭くて、睨まれただけでも体が固まってしまいそうでとても怖かったです。

 その目が私を見つけて動きを止めて、目元から力が抜けていくのが見えました。


「あ?あぁ……?そうか、夢か……」


 セーシュさんは小さな声でそう言って長く息を吐きだしています。

 何があったのか気になって聞こうとしたけれど、扉が勢い良く開けられてそっちに気を取られてしまったのです。


「目が覚めたようですね、出ますよ」


 女の子が何事もなかったように部屋に入ってきました。

 その後ろから男の人が恐る恐る入ってくるのが見えます。

 私より少し年上に見える、日に焼けた肌の人です。


「ホントにここなのかぁ……?」


 男の人がそんなことを呟きながら女の子に視線を向けますが、女の子は気にせずに私の方へと向かってきます。

 いつもと変わらない少し怖い笑顔です。

 思わず後ずさってしまうほどです。


「下で待っていますから、きちんと着替えてから来てくださいね」


 女の子はそう言ってセーシュさんを掴み上げて連れて行ってしまいました。

 入ってきた男の人もそれを追いかけていきます。

 一人残された私は何が起きたか分からずに突っ立っているばかり。

 少ししてからようやく我に返って、急いで身支度を整えます。


「遅くなりました!ごめんなさい!」


 駆け足で入口まで降りると、皆さんは話をしながら待ってくれていたようです。

 申し訳なくて、勢いそのままに頭を下げて謝ろうとして転びそうになった私を、三人が受け止めてくれました。


「危ないですよ、気を付けてくださいね」


 女の子にそう注意されて顔が熱くなります。

 私は小さな声で返事をすることしかできません。


「揃ったか、じゃあ改めて自己紹介だな」


 男の人が大きく咳ばらいを一つして、話し始めます。


「俺はこの町に住んでるルフスっていうもんだ、今日の祭りの案内をさせてもらう」


「案内、ですか?」


 得意げな顔をしている男の人に、思わず聞き返してしまいました。

 別に嫌だというわけでもないしむしろありがたい事なのですが、どうして急に。

 そう思っていると女の子が私の肩に手を置きました。


「私がお願いしたのです、あなたがお祭りを楽しめるように」


 女の子はにっこりと笑います。

 なんだか含みがあるような、裏側に意図があるような言い方です。

 ほんの少しだけ考えて、悪いことにはならないだろうと感じたので、私も笑い返しました。


「わ、私はミアンです……その、よろしくお願いします」


 私が自己紹介をするとルフスさんが微笑みました。

 緊張してしまって声が上ずって、少し恥ずかしいです。


「とりあえず外に出るか、この時間だと式典中だろうし……屋台はどこも空いてると思うぜ」


 ルフスさんはにやりと笑いながらそう言って、外へと出ていきました。

 私たちもその後に続いて出ていきます。

 表はいろんな人の声が混ざって聞こえてきて、目が回りそうな賑やかさです。

 道を歩く人は皆楽しそうな表情を浮かべて、あちらこちらへと行き交っています。

 人の多さに溺れてしまいそうでした。

 ルフスさんの手招きしてくれて、女の子が先導してくれて、人を掻き分けて進みました。

 あまり人が来ない細い路地まで来てようやく呼吸ができたのです。


「すっごい人が多いね……!」


 熱を持つ頬を手で押さえて、そんな感想を呟きます。

 ルフスさんが苦笑いを浮かべています。


「いつもはこんなにいないんだけどなぁ……」


「そうなのか?」


 ぽつりと呟いたルフスさんの言葉に、セーシュさんが不思議そうに聞き返します。


「あぁ、そりゃあ人は来るけど、こんな通りを埋め尽くすほどじゃないぞ」


 困ったような笑顔を浮かべて、どうしよう、とルフスさんが言いました。

 少しの間悩んでからルフスさんの目が私の方を向きます。


「そうだ、嬢ちゃんは何かしたいことあるか?」


「したいこと、あります!」


 質問に間を置かずに返事をします。

 したいことはもちろん、お父さんとお母さんへのお土産探しです。

 それを伝えるとルフスさんが眩しいくらいの笑顔になりました。


「そっか、ならいい場所があるぜ!しかも多分人が少ない!」


 そう言って人の少ない道を選んで案内してくれます。

 さっきまでの大通りの混みあいが嘘のように人が居なくて、ちょっと不安になってしまいます。

 移動中、ルフスさんが色々と話しかけてきてくれました。

 どこから来たのかとか、

 そうして進んでいくと、潮の匂いとは別の香りがしてきました。

 あまり上手く形容できませんがとても良い香り、お腹が空いてしまいそう。

 お店のような家の前で、女の人が一人掃除をしています。

 前を歩いていたルフスさんが、早足になりました。


「おーいおばちゃん!お客さん連れてきた!」


 ルフスさんの物言いに私もセーシュさんも驚いて立ち止まりました。

 言われた女の人もどこかむっとしたような表情です。

 それもそうでしょう、だって女の人はお母さんよりも若く見えますから。


「あのねえルフス、いつも言ってるけど……まあいいや、で?お客さんだって?」


 ため息を吐いた後に、女の人はルフスさんの後ろにいた私たちに目を向けます。

 セーシュさんに優しく背中を押されて、前に出ました。


「あ、あの……えっと」


 緊張して、口の中がカラカラに乾いてしまってうまく話せません。

 女の人がゆっくり私に近づいてきて、肩に手を置かれました。


「ようこそお客さん!何が入用かな?早速店の中を案内しようじゃないの!」


 はきはきとした明るい声で、まるで詩人さんのお芝居みたいに話してくれました。

 合わせられた深い青色の目はキラキラと輝いていて、笑顔が眩しいです。

 呆気にとられて動けない私の手を取って、女の人はお店の中へと連れて行ってくれました。


「行ってらっしゃいませ」


 女の子の声が背中側からやけにはっきりと聞こえてきました。

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