私と宿泊
広い通りを、いろんな人たちが思い思いに行き交っています。
隙間も無いくらいに沢山の人が居て、どこかから怒鳴り声まで聞こえてきます。
その間を女の子は、散歩するみたいに悠々と歩いていました。
皆が女の子を勝手に避けていくような、そんな感じがします。
「ひぇっ……」
周りは皆大人ばっかりで、高い壁に挟まれているような圧迫感があります。
今にも潰されてしまいそうですが、不思議なことに誰もこちらには近づきません。
周りを見ながら歩いていると、女の子にぶつかってしまいました。
「この広場を右に行けば、宿に着きますよ」
一気に視界が広くなって、見えた景色にまた圧倒されてしまいました。
石造りの建物と石畳の道、真ん中に大きな像がある広場。
左側には青い海と大きな船とそしてお魚の匂い。
まっすぐ行く道と広場の周りには屋台がずらりと並んでいて、沢山の良い匂いが漂ってきます。
左側にはなだらかな坂と沢山の人の笑い声。
「これは……すごいな」
後ろに居たセーシュさんですら驚きの声を上げていました。
私はどこを見ていいのか分からずに、そのまま首を動かせませんでした。
体はとても疲れているのに、楽しくて勝手に動いてしまいます。
「こちらです、きちんと着いてきてくださいね」
いつの間にか女の子は随分と先の方まで行っていました。
「あっ……待って!」
置いていかれないように慌てて駆けだしました。
走ってる私たちが追いつけない、けれど見失わない速さで女の子はどんどんと歩いています。
人通りはさっきまでよりも少なくなっていました。
「あっの化物っ……遊んでるなっ……!」
息切れが辛そうなセーシュさんが小声で何かを言っています。
宿の前に到着する頃には、セーシュさんは息も絶え絶えで辛そうな表情になっていました。
「お疲れ様です、こちらがあなた達の止まる宿です」
女の子が振り向きながらそう言います。
大きな石造りの建物、壁は綺麗に磨かれていて、少し古びた看板が目立っています。
中もとても綺麗で、上品な雰囲気がありました。
自分が場違いなように感じます。
「ほんとにここ……?」
信じられなくて女の子に聞いてみましたが、女の子は笑顔で首を縦に振りました。
「えぇ、162年前に創業し、国内全体で見ても有数の宿として評価されているここですよ」
女の子が説明をする後ろから、笑顔のお婆さんが出てきました。
「ようこそお客様、お荷物をお預かりしますね」
優しい手つきで私たちの荷物を受け取って、お婆さんが部屋まで案内をしてくれます。
堂々としながら着いていける女の子が、今までで一番遠い人のように感じられました。
「わぁ」
部屋に入った瞬間、セーシュさんと私の口からほぼ同時に間の抜けた声が漏れました。
部屋の全部が輝いて見えます。
床に敷かれた絨毯が奇麗な赤と金色で、汚れ一つ無いんです。
セーシュさんの顔がまた青褪めています。
「どうしました、落ち着いてくつろいで良いんですよ」
女の子は何も気にしていない様子で椅子に座っています。
「落ち着けないよ!」
思わずそう叫んでしまいました。
こんな高級そうな部屋だと、何かの拍子に壊してしまいそうで全然落ち着けません。
「部屋、変えてもらおう」
セーシュさんが震えた声でそう言います。
もちろん私も肯定しました。
「だめ、ですよ」
怖いと感じました。
普段と少しだけ違う感情のこもった冷たい声。
声だけで私たちを今にも殺せてしまいそうな、そんな怖さです。
「部屋はもう満室なのです、変えるのはいろんな人に迷惑が掛かりますよ」
無機質で楽しそうな普段通りの声に戻って、とても、とても安心しました。
無意識に止めていた息を、思いっきり吐きだします。
「……汗が、すごいよ」
ひどく疲れた顔のセーシュさんに、指を差されてそう言われてしまいます。
「セーシュさんこそ、顔が病気みたいになってますよ」
「元からだよ」
荷物を整理しながらそんな言い合いをしてると、女の子のくすくす笑いが聞こえてきました。
「仲良くなれたようで何よりです」
「お前のせいだぞ」
ひとしきり整理が終わって、体を綺麗にしました。
部屋の中に流水で体を洗える場所があるなんて、もう驚きすぎて何も言えません。
体を洗い終えると表に出ていたセーシュさんが戻ってきました。
「あぁ、今外に出ない方が良いよ、なんか揉めてるみたいだ」
そう言われて耳を澄ますと、微かに人の怒鳴り声のようなものが聞こえました。
こんなにすごい宿なのに何か問題でもあったのでしょうか。
「少し見てきますね」
セーシュさんの言葉を聞いたのに、女の子が何食わぬ顔で出ていこうとします。
一瞬、セーシュさんが引き留めようとしましたが、すぐに手を引っ込めました。
「大丈夫です、すぐに戻りますよ」
女の子が出て行って少しの間、窓の外をぼうっと眺めていました。
日が海の方へとゆっくり沈んでいきます。
深い青色だった海が茜色に染まって、段々と黒く染まっていきました。
桟橋の燭台に照らされている場所に、魚が跳ねるのが見えます。
「お食事をお持ちしました」
扉を軽くたたく音の後、お婆さんの声が聞こえてきました。
すぐそこからとてもいい匂いが漂ってきます。
「うおっ……」
セーシュさんが驚いています。
私なんて声も出せません。
出てきた夕食は小さい器に入った色々な海産物や野菜が沢山。
それだけでもお腹いっぱいになりそうなくらいあったのに大きなお皿まで出てきました。
白い山みたいなものが乗った大きなお皿。
とても珍しくて眺めていると、お婆さんがそれをとんかちで叩き始めました。
「わ、わ、何してるんですか?」
「まぁまぁ、見ていて下さいよ」
こん、こん、こんと三回。
最後に一度強く叩くと、白い山は綺麗に割れました。
中から出てきたのは海藻に包まれた大きなお魚が丸々一匹。
美味しそうな匂いが鼻をくすぐります。
「名物の塩釜焼でございます」
お婆さんの少しだけ得意げな声が、味への期待をより高めます。
もう私たちの目は料理に釘付けでした。
「では、ごゆっくりお過ごしください」
お婆さんが部屋から出て行った後、早速食べ始めました。
もちろん一番最初に手を伸ばしたのは塩釜焼です。
塩に包まれていたとは思えない優しい塩味と、鼻を抜ける風味がとても美味しいです。
その他の料理も食べたことの無い物ばかりで目でも舌でも楽しめました。
「すごい、すごくおいしいですね!」
そう言ってセーシュさんの方を見ると、セーシュさんは目を輝かせていました。
いつも辛そうな表情をしているセーシュさんが、幸せそうな顔をしていたのです。
とても、とても幸せな時間でした。
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