私の到着

 目が覚めて、大きく伸びをしました。

 呼吸で体に入ってくる空気はなんだか清らかに感じられます。

 頭の中が整理整頓されたようにすっきりとして、今日の空のように晴れ渡っています。

 隣を見るとセーシュさんがまるで力尽きたようにベッドの上で倒れ伏していました。

 息をしているか確認するために私が近づいたのに、身動きもしないほどに深く眠っています。


「彼は私が起こしますね、死ぬほど疲れているようですから」


 いつの間にか後ろに居た女の子にそう言われて、心臓が飛び跳ねました。


「いぃ、何時から居たの!?」


 そう私が訪ねると女の子は首を傾げます。


「不思議なことを聞きますね、部屋を取ったのは私ですよ」


 すこし落ち着いた私は女の子にそう返されて、そうかもと納得します。

 うっかり屋だとはよく言われますが、こうして変なことをしてしまうとは思いませんでした。

 女の子は既に身支度を済ませているようで、普段と変わらない格好でした。


「さぁ、あなたも支度してください、目的地まで今日で到達するのですから」


 そう言うと女の子はセーシュさんの顔を覗き込んで、何かをしているようでした。

 長い髪で二人の顔が隠れていて、何をしているかまでは見えませんけれど。

 服を着替えて体を拭いて、顔を洗って口をゆすいで。

 さっぱりとした気分で女の子の方を見ると、セーシュさんが起きていました。


「ひっ……ひぃっ……はぁっ……」


 胸を押さえて青ざめた顔をして、苦しそうな呼吸を何度もしています。

 眠っている時もそうでしたが、やっぱりとても体調が悪そうです。


「あ、だ、大丈夫ですか?」


 私が声を掛けると、セーシュさんが酷く怯えた様子でビクンと跳ねます。

 私の顔を見て、ようやく安心したような顔をしました。


「あー……大、丈夫……大丈夫、うん」


 そう答えるセーシュさんですが、酷い顔色で余計に心配になります。

 でも、ここで私が何かを聞いても大丈夫としか答えてくれないでしょう。

 私は何も聞けませんでした。


「私は表で待っていますね、遅れないように準備してください」


 女の子は何も気にしていない様子で、さっさと出て行ってしまいました。

 思わず追いかけてしまいます。


「あぁ、こちらに来てよかったのですか」


 振り向くことなくすたすたと歩きながら、女の子にそう聞かれます。

 歩く速度が速くて、追いかけるのに精いっぱいになってしまいます。


「うん、聞きたいことあったから……」


 私がそう答えると、ほんの少しだけ歩く速度を遅くしてくれました。

 本当にほんの少しだけ、私が頑張らないと追いつけないぐらいでしたけど。


「夢は夢ですよ、現実には何も起きていません」


 そして私が聞く前に、私が聞きたかったことの答えを放り投げられました。


「聞きたかったのは、確かにそれだけど……」


 追いかけるだけで息が切れます。

 この廊下、こんなに長くなかったはずなのに。


「あの人もただの夢の登場人物です、現実には存在しません」


 また答えだけ。


「うぅ……その……」


 言いたかったことが喉元で詰まって吐き出せません。

 足が重たくなって、付いていけなくなります。

 考え事が頭の中でぐるぐると回って、目の前まで回ってきた気がします。


「……あー、平気か?」


 後ろから突然セーシュさんの声がしました。

 どくんと胸が飛び跳ねます。

 いつの間にか女の子はどこにも居なくなっていました。


「え?あれ、私……?」


 振り返ると止まった部屋の前で、セーシュさんが不思議そうな顔で私を見下ろしています。

 あんなに歩いたはずなのにどうして。


「……とりあえず行こう、今日中には向こうに着けるはずだから」


 混乱した私を見たセーシュさんが女の子と同じことを言いました。

 少し強引に手を引かれて、でも痛みは無くて。

 頭の中で渦を巻いていた考え事が、落っことしたようにどこかに行ってしまいました。

 表に出てしばらく歩きながら、私達は何も話せませんでした。


「あー、まぁ、その……あいつのことは気にしない方が良い、僕にも分からないから」


 セーシュさんが気を使って話しかけてきてくれます。

 私は首を縦に振って、でも声が出ませんでした。


「……あ、そろそろ着くぞ」


 そう言われて顔を上げると、強い向かい風が吹いてきました。

 嗅いだことの無い、生き物のような不思議な匂いが混ざった風です。

 地面もだんだんと下り坂になって、木が少なくなった代わりに岩が多くなってきています。


「わぁ……!」


 坂の上から見えた景色は、とても奇麗でした。

 目の前に大きく広がる水には、青く輝く水面に白い線がいくつも並んで動いています。

 ざぁと何かが擦れる音と、ぱぁんと何かが弾ける音が沢山聞こえてきました。

 近づくにつれて生き物の匂いが濃くなってきます。


「何ですかあれ……何ですかあれ!」


 さっきまであったもやもやが全部吹き飛んで、高揚した気分で埋め尽くされました。

 景色から目を離さずにセーシュさんに雑な質問をしてしまいます。


「海だよ……ほら、あそこに見えてる港が目的地だ」


 少し面倒そうな声でセーシュさんは答えてくれました。

 指差された先を見てみると、遠くの方に石と木で出来た建築物が沢山見えます。

 胸が弾んで止まらなくて、つい歩く速さも上がってしまいます。


「一人で行くとあぶねぇって……」


 後ろからセーシュさんに肩を掴まれて、ようやく正気に戻りました。


「あ、はは……ごめんなさぁい」


 振り返るとセーシュさんは目を見開いて驚いたような顔をしていました。

 その後、何か考えるような顔になって肩から手が離れます。


「楽しみなのはいいけど、気を付けないと怪我するからな」


 心配そうな顔をされて、少し反省しました。

 大きく深呼吸をして、逸る気持ちを抑えます。


「……よし!もう大丈夫です!焦りません!」


 ぐっと力を込めてそう宣言すると、セーシュさんが呆気に取られたようにぽかんとしていました。


「おぉ、うん、そうだなぁ」


 露骨に目を逸らされながら、歩みを再開しました。

 何かおかしいところでもあったのかと思いましたが、特に何も思い至りません。

 そんなことを考えていたらすぐに港町の前まで来てしまいました。


「おう、ちょっと止まってくれ」


 町に入ろうとすると横から声を掛けられました。

 凄い筋肉で背の高い色黒な男の人です。


「あんたらも祭りを見に来たか、とりあえずおかしい物とか禁制品とか持ってないか確認な」


 差し出された手が少し怖くて、ほんの少しだけ身を引いてしまいます。

 そうしていると、セーシュさんが先に荷物を手渡しました。


「門番さんだからそう怖がらなくていいよ」


 てきぱきと荷物を見る男の人を見ながら、セーシュさんにそう教えられました。

 外から魔物とか変な人とかが入らないように守ってくれる人だそうです。

 村にはそういう人が居なかったので知らなかったです。


「はい終わり、次はお嬢ちゃんね」


 荷物をセーシュさんに返した門番さんが、今度は私と目線が合うようにしゃがみながら手を差し出します。

 目を見ると、優しそうな黒い目が覗き返してきます。

 背負っていた荷物を門番さんに渡しました。


「ありがとう」


 そう言って荷物の中を丁寧に見ていきます。

 なんだか怖がってしまって申し訳ないです。


「はい、お嬢ちゃんも問題なし、後は後ろの子だけだね」


 門番さんはそう言いながら、私たちの後ろに向かいました。

 振り向けばあの女の子が立っていました。


「ごめんなさい、私は荷物を持っていないのです」


「じゃあ大丈夫そうか、明日のお祭り、楽しんでな!」


 女の子の答えを聞いた門番さんが、笑顔で見送ってくれました。


「い、何時から居たの?」


 町に入りながら女の子に聞くと、今ですと言われました。

 さっきまでいなかったはずだったのですごく驚いてます。


「私のことなどどうでもいいでしょう、それよりも前を見てください」


 女の子が指差す方を見ると、確かにそんなことはどうでもよくなりました。

 村とは何もかもが違います。

 色んな人がひっきりなしに道を行き交っています。

 歩くすぐそばで魚や貝やその他色々なものが売られているのが見えます。

 呼び込みの声が耳が痛くなるほどに届いてきました。


「……」


 呆気に取られて、その場から足が動きません。

 セーシュさんが道の端まで連れて行ってくれました。


「すごい……なんか、すごい!すごいね!」


 口からすごいという事しか出てきません。


「……いや、まぁ、わかるけど」


 セーシュさんもとてもびっくりしたような顔で人の流れを見ていました。

 心なしかうんざりしたような顔です。

 けれど、すぐにはっとしたような表情になりました。


「や、宿どうしよう」


「もちろん取ってありますよ」


 青褪めた顔でセーシュさんがそう言うのを、女の子がくすくすと笑いながら答えました。


「さて、向かいましょうか、お祭りは明日ですものね」


 女の子を先頭にして、私達は人が行き交う道へと入っていきました。

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