部屋の中で
怪物を抱えたまま、セーシュが部屋の中へと転がり込む。
大きな音を立てていたはずだが、中で眠っていたミアンが起きる気配はない。
セーシュは急いで腕の中の怪物を投げ降ろし、慌てながら部屋の扉を閉める。
怪物はその勢いのまま宙に浮いた。
「そんなに慌てないでください、彼は追ってきていませんよ」
そう怪物に言われて、セーシュはようやく胸を撫でおろした。
「はぁー……まったく、あいつなんなんだ?」
未だに大きく跳ね続ける胸を抑えながら、セーシュが苦々しげにそう吐き捨てる。
既に話せる内容に制限はかかっていなかった。
「あの人はアンリという聖剣の担い手です、ご存じでしょう」
怪物は空中を漂いながら、セーシュの周りをくるくると回っている。
「僕はあんな奴ご存じないぞ!」
苛立ちを隠そうともせずにセーシュが怒鳴りつけた。
けれども怪物は意に介していない様子で、にやにやと笑うばかり。
「あぁもう!まさかお前の狙いは僕をあいつに会わせることじゃないだろうな!」
頭を掻きむしり、今にも叫びだしそうな表情で怪物を睨みつけるセーシュ。
それを見て怪物の顔から感情が消えた。
さかさまの顔がセーシュをじっと見る。
「いいえ、貴方など気にもかける必要が無いのです」
セーシュの背中を氷のように冷たい汗が滴り落ちる。
怪物は怒ってはいない、笑っても悲しんでも楽しんでもいない。
ただ見つめられている、それだけでセーシュの心が恐怖で満たされた。
「あ、いや、その……」
途端に頭が冷える。
こいつがそんな回りくどいようなことをするはずがないと、一人納得する。
怪物の顔に薄ら笑いが戻って、縮んでいた心臓がようやく素早く動き始める。
「……悪かった、気が動転してたんだ」
セーシュの謝罪を、怪物はいつものようにくすくすと笑いながら聞き流す。
「いいえ、謝る必要ももちろんありません」
怪物が後ろを振り向く。
視線の先には、まだ眠り続けるミアンの姿があった。
「なぁ、何で……」
「私の演技はあの人に誤認させるためのものでした」
セーシュの言葉を遮って怪物が答える。
更に質問をしようと喉まで出かかっていた言葉は、怪物が振り向いたことで腹の底に飲み込まれた。
「だって、真実のみが見えるだなんて豪語する人の前で嘘を吐くだなんて、楽しいでしょう」
首を傾げていたずらっぽく笑う怪物の姿が、見た目相応の少女のように映る。
セーシュは乾いた笑いを浮かべるほかなかった。
「さて、もう大丈夫ですよ」
そう言って怪物は身動き一つしなくなった。
最初は緊張したまま怪物を眺めていたセーシュだが、少しずつ不思議に思い始める。
目の前で手を振ろうと、変な顔をしようと反応が無い。
指先で軽く肌に触れてみると沼の泥と金属を同時に触ったような不思議な感触がした。
「ど、どうした?」
そう問いかけると怪物が少しだけ視線をセーシュに向けた。
「あぁ、明日の朝まであなたが為すべき事はありません、ご自由にお休みくださいな」
怪物は流れるようにそう答えると、再び動きを止める。
困惑がセーシュを満たした。
とにかく言われた通りに休もうとベッドに横たわる。
しかし目を閉じても寝付くことができず、仕方なく天井を眺め続ける。
結局この日、セーシュが眠りにつけたのは月が地平に沈み始めるころだった。
「……んー、おかしいなぁ」
一方、宿の廊下ではアンリが同じ場所をうろうろと歩き回っていた。
目的はもちろんセーシュたちの部屋だ。
けれどいくら探し回っても部屋が分からない。
「ここと、ここ……だよなぁ」
一つ、二つと指できちんと指し示して確認する。
店主に確認した部屋の数は十四部屋。
今数えた部屋は全部で十三部屋だった。
無論ふざけているわけではない。
「……聖剣起動、私は真実のみを見る」
聖剣を抜いてアンリがそう呟く。
輝きが廊下を薄く照らした。
「濫用ですよ?」
アンリの脳内に声が響く。
聖剣を握る手に少し力を入れながら、アンリは面倒そうに顔をしかめた。
「見逃してくれよぉ、神様」
そう答えると、頭の中の声はため息を吐く。
「あなたの体が心配なのです、休んだ方が良いですよ?」
そう注意するが、アンリは聖剣を鞘に納めない。
もう一度部屋を数えると、今度は部屋数が十七部屋となった。
「……ふざけてるなぁ」
しかめ面のまま頭を押さえる。
少しだけ頭痛がして、眉間のしわが濃くなった。
「どうしてそこまで執着するのです?」
頭の中の声が不思議そうにそう問いかける。
アンリが目を閉じて考える素振りを見せた。
「セーシュって悪いやつなんだよ、傭兵たちを裏切って逃げ出した臆病者なんだ」
そう言うと頭の中の声は納得していないような声を上げる。
「なんでそう言い切れるのですか?」
「裏切られた本人が言ってるんだから間違いないよ」
答えるアンリの声に怨嗟が滲む。
「あの野郎のせいで怪我をしたやつもいるし、命を落としたやつだっている、傭兵の面汚しだよ……」
奥歯を噛み締めて、憎しみを隠さずにアンリが語った。
頭の中の声は悲しむような憐れむような、そんな吐息を漏らす。
「……ですがやっぱり今日は休んでください、聖剣の機能を停止しますよ」
そう声が言うと、聖剣の輝きは瞬く間に失われた。
アンリはばつが悪そうな顔をして剣を鞘に納めると、ふらふらと宿を出て行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます