酒場にて

「……まさか飯を食ってる途中で寝るとは」


 セーシュは未だ喧噪絶えない酒場のテーブルに座りながら、そう独り言ちる。

 ミアンはと言えば、運ばれてきた食事を一通り口に運んだ後に幸せそうな笑顔を浮かべて眠ってしまった。

 怪物がそれを部屋までわざわざ運びに行ったせいで、こうして一人ぼっちになっているわけだ。

 手持無沙汰になったセーシュは周りをそれとなく眺め始める。

 商人風の客とその護衛であろう者の姿が多く見える。


(あー……まぁ、カリナも近くなったし、たしかこの時期は祭りの……)


「お兄さん、相席していいかな?」


 ぼぉっと考え事をしていると、ふと声を掛けられた。


「んぉ……あ、いい、すよ」


 返答しようとして、思わず途切れ途切れに話してしまう。

 声の方を見れば、上等な服を着た軽薄そうな男が立っていた。


「いやぁ、思わぬ誤算があって帰れそうになくてね、日が暮れる前に戻ってきたわけよ」


 男は返答を受けて遠慮なく椅子に座りながらそう語る。

 セーシュは内心、面倒そうなやつが来たと思いながら飲み物に口を付けた。

 軽薄そうな男は店員に注文をすると、腕を上にあげて大きく伸びをする。

 その後背もたれに寄りかかって大きく息を吐いた。

 よく見ると男は腰元に剣を二本携えていた。


「お兄さんは一人旅なのか?」


 男が笑みを浮かべながらセーシュにそう問いかける。


「あー、いや……連れがいる」


 飲み物を手に持ったままセーシュが答えた。

 セーシュの答えに男の目頭が下がる。

 男の頼んだ物がテーブルに届いた。


「行先はどっちなんだ?あー、待って分かる気がする、港町だろ?」


 届いた飲み物を一息で飲み干し、お替わりを頼んでもなお男の質問が終わらない。

 部屋に戻りたいが、セーシュには話の切り上げ方が分からなかった。


「……そうだよ」


 面倒そうにセーシュが答えると、また男が笑顔になる。


「何しに行くんだ?やっぱり祭りかな?」


 何度も質問を続ける男にセーシュは嫌気が差してきた。


「なんでそんなに僕の事を聞きたがる、あんたなんなんだ?」


 逆にそう問いかけると、男は少しだけ面食らったような顔をした。

 しかしすぐに歯を見せてにっこりと笑う。


「悪い、自己紹介してなかったな!俺はアンリっていうんだ」


 アンリと名乗った男は笑顔のまま、握手を求めて手を差し出す。

 おおよそ人当たりの良い人物だと感じるが、やはりどこか拭いきれない胡散臭さが漂っている。

 セーシュは疑いながらも握手に応じた。


「セーシュだ」


 名前を聞いて、一瞬だけアンリの顔から表情が消えた。

 その一瞬が引き延ばされたようにゆっくりと感じられる。

 値踏みするような冷たい視線と、隠さずに当てられる異様な気配。

 次の瞬間にはまた軽薄そうな気配と笑顔に戻っていた。


「セーシュ!なかなか珍しい名前だな」


 あくまでも友好的に話をしようとするアンリ。

 けれど先程までと明らかに違うのは、体に入っている力だろうか。

 緊張しているというよりも、いつでも動けるようにしているような力の入り方だ。


「……そうでもないだろ」


 もやっとした感情をあまり悟られないようにしながら、セーシュは素っ気なく返事をした。


「いやいや、だって俺その名前聞いたの随分と前だもん」


 にこやかに、しかし和やかとは言えない雰囲気でアンリが語る。


「えぇっとどこで聞いたんだったか……そうそう、こう見えても俺は昔傭兵でさ」


 傭兵という言葉にセーシュがピクリと反応を見せる。

 それをアンリは見逃さなかった。


「セーシュ?なんか気になったのか?」


 優しげな顔をしてアンリが問い掛ける。

 セーシュは声を発さずに、首を横に振って答えた。


「そっか、まぁいいや、んで俺が傭兵やってた時に少し有名なやつがいてな」


 アンリがまた飲み物を飲み干して息を吐く。

 セーシュも先ほどから口を付けているが、中身が減る様子はない。


「そいつの動く音は一切聞こえない、素早く動いて一撃で敵に刃を突き立てる、付いたあだ名が音無しのセーシュ」


 今度は堪えきれずに反応をしてしまった。

 セーシュの顔が険しくなったのを見て、アンリもまた表情を硬くする。


「あんただろ?」


 腰の剣に手を添えながらアンリがそう問いかける。

 セーシュに聞こえないほどの小さな声で何か呟いた。


「……」


 何かを言おうとして、セーシュは違和感に気付く。

 口をついて出てきそうになったのはそうだという肯定の言葉。

 それは事実ではあるが、しかし答えようとは思っていないものだった。


「なぁ、答えてくれよセーシュ、どうなんだ?」


 問い詰めてくるアンリを睨みながら、セーシュは首を横に振る。

 精一杯の反抗だった。


「あー、首を振るだけじゃなくて言葉で教えてくれよ、実際のところどうなんだ?」


 アンリは諦めようとしない。

 剣を掴みながら、目線はまっすぐセーシュを捕えている。

 そこで後ろから声を掛けられた。


「お父さん」


 突然の声に二人とも思わずそちらを見る。

 怪物がそこに立っていた。

 不安そうに手で口元を隠し、見てわかるほどに震えて、瞳を涙で潤ませた怪物が居た。

 セーシュが思わず悲鳴を上げそうになるが、口が動かない。

 耳元で怪物の声がする。


「何もしないように」


 その言葉だけでセーシュに寒気が襲い掛かる。

 アンリの方もこれを予想していなかったのか、呆然としている。


「あの、あなた、どなたですか……お父さんのお知り合いですか」


 ふらふらとした足取りでアンリに近寄りながら、弱々しい少女のような声で怪物がそう尋ねた。

 思わずたじろぐアンリだったが、すぐにうさん臭い笑顔を浮かべた。


「あー……そうだよ、君はセーシュの娘さんかな?」


 アンリの質問に怪物はふるふると首を振る。


「違います、お父さんは一人ぼっちだった私を助けてくれました」


 そう言いながら気の抜けたように微笑む怪物。

 アンリは指で顎をさすりながら、何かを考えているようだった。


「お父さん……お部屋まで連れて行ってくれる」


 怪物はセーシュの元に向かって、袖を引きながらねだる。

 セーシュの耳元ではまた怪物の声がした。


「私を抱えて部屋の方へ」


 その言葉通りにセーシュは怪物を抱え上げて、逃げるように階段を駆け上がっていった。

 隙を突かれたアンリだったが、すぐに追いかけようとする。

 しかし既にセーシュたちの姿は見えなくなっていた。


「あー、なんだよまったく……思い違いか?あいつが子供を助けるとは思えないし」


 ぶつぶつと文句を言いながら椅子に座り直すアンリ。

 食事を一気に済ませて会計をしようと店員を呼んだ。


「お会計ですか、皆さんの分を合わせて……」


 その店員の言葉に思わず目を見開く。


「待って、皆さんって何のこと?」


「このテーブルに座っていた方たちですよ?」


 思わず聞くが、さも当然だと言わんばかりに店員が返す。


「……嘘だろ」


 思わぬ出費に苦悶の声が漏れ出た。

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