出立準備

「明日出発します、着替えと自衛用の武器があれば良いでしょう」


 呆けたような顔をした三人を置いて、怪物が淡々と話す。

 その状態からいち早く復帰したのはセーシュだった。


「出発って……それに準備だとかなんだとか、わけわかんねぇよ……」


 頭を抱えてそうぼやくセーシュを、怪物が笑顔で眺めている。

 恐ろしい張り付いたような笑顔ではなく、小さな子供のようなあどけない笑顔だ。


「セーシュさんとミアンさん、旅行をします、行先は港町カリナです」


 怪物の言葉にミアンが真っ先に目を輝かせた。


「旅行!私行ったことないの!楽しみ!」


「えぇそうでしょう、しかも到着すればお祭りの日ですよ」


 楽しげに会話をするミアンと怪物とは対照的に、村長が青ざめた顔で慌てている。


「ま、待ってくれ!よげ……」


「預言のお話でしたらもう終わりました、先ほどの彼女が対応してくれますよ」


 村長の話に先回りをするように怪物が答える。

 不意を打たれて口を閉じる村長に向かって、さらに怪物が話を続けた。


「先ほどの彼女は聖剣の担い手を補佐する騎士です、信用していただいて大丈夫ですよ」


 まるで自慢するように得意げな顔をして村長を見つめる怪物。

 村長は何かを言いたいが、何を言うべきか見つからないようで、口を魚のように開いたり閉じたりしている。


「あー……けど、脅威だとかなんだとか言ってなかったかお前」


 助け舟を出すようにセーシュが問い掛けると、怪物がゆっくりとセーシュの方へ振り向いた。


「はい、騎士団の裏切り者が四名、彼らがこの村を滅ぼそうとしているのです、預言を成就させるために」


 その場に居るものに見せつけるように、怪物は手の指を四本立てる。

 旅行に浮かれるミアンを除いて、村長とセーシュが真剣な面持ちに変わった。


「預言成就の条件は、彼女が生き残った状態でその場に居て村が消滅することですので、彼女が居ない状態では手出しをできません」


 怪物がさも当然と言いたげに説明を続ける。


「彼女を連れ出している間、聖剣の担い手率いる部隊がこの村を訪れるでしょう、あなたは何も気にせずに迎え入れてくださいね」


 村長を指し示しながら、怪物がそう言い切った。

 いぶかしむような顔で怪物を見つめる村長。

 その瞳には怪物に対する疑惑と不信が、隠されることも無く浮かんでいる。


「……本当に、君を信じても、いいものかね?」


 村長は確認を取るようにゆっくりと、言葉を強調して問い掛ける。

 その質問に怪物はただ笑顔を浮かべるのみだ。


「あー、村長さん……こいつは信用は出来ないですけど、能力だけは本物ですよ」


 セーシュが頭を抱えながら、自信なさげに怪物を援護する言葉を放つ。

 目を閉じて、眉間にしわを寄せて、村長が深く深く悩んでいる。

 その沈黙を破ったのは、楽し気なミアンの声だった。


「あ!旅行のこと、お母さんたちにも伝えてきますね!」


 言うが早いか、ミアンが扉を体当たりで開けながら飛び出す。

 爆音とともに居なくなったミアンを村長とセーシュが呆けた顔で見送った。


「あぁ、彼女は単純でかわいいですね、だから優遇したくなるのです」


 怪物が誰に言うでもなく、そう言い放つ。

 その言葉にセーシュは驚きを隠せなかった。

 大きく目を見開いて、勢い良く怪物へと振り向く。


「……え、おまえ、そんな感情あったの?」


「もちろん、私は感情を生み出すことも生み出さないことも、どちらもできるのです」


 いつもの笑みを崩さずに、驚いたセーシュを嘲るような顔で眺める怪物。

 セーシュは居心地の悪そうな顔をして、頭を掻きむしった。


「あーもう!僕も旅の準備してくるからな」


 イライラとしているような口調で、捨て台詞を吐きながら、セーシュは村長の家を後にした。

 何度目かの溜息をついて空を仰ぎ見る。

 飲み込まれてしまいそうなほどに青い空に、薄い綿のような雲が幾つか浮かんでいる。

 日はさんさんと光を大地に降らせ、草木がそれを浴びて風に身を揺らす。

 家々の建つ場所から少し離れれば簡素な柵に囲まれた家畜が数匹、呑気に草を食んでいる。

 耕された畑には、収穫には程遠い作物が元気に育っていた。

 今にもあくびをしてしまいそうなほどに、緩やかな時間が流れている。

 この光景を危うく自分が壊してしまいそうだったのだと、セーシュの背筋が凍る。


「あ!セーシュさん!」


 ふと後ろから声を掛けられて振り向くと、ミアンが走り寄ってきていた。

 その表情は太陽にも負けぬほどに輝く笑顔だ。


「お母さんに旅行のこと話したら、雑貨屋さんで準備をしてきなさいってお小遣いをくれたんです!」


「あぁ、そうなんだ」


 楽しそうに話すミアンとは対照的に、セーシュの態度はどこかそっけない。


「それでですね、セーシュさんは旅慣れてると思ったので、一緒に来てほしいんです」


 何の用事かと思えば買い物の誘いだった。

 そっけない態度を崩さないながらも、セーシュは断らなかった。


「いいよ、一緒に行こうか」


「ありがとうございます!雑貨屋さん、こっちです!」


 セーシュの返答を聞くとミアンの笑顔は更に綻び、セーシュの手を取って雑貨屋の方へと歩き出す。

 そんなミアンの行動を見て、ますますセーシュの顔に影が差す。

 自分は村を滅ぼしかけた人間だというのに、この子はなぜ恨むことなく交流してくるのだろうか。

 自罰的な罪悪感が、セーシュの心を蝕んでいた。

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