騎士団
森林の中では不自然な、金属がぶつかり合って擦れる音。
月の光もあまり届かない中で尚も目を凝らせば、鎧兜に身を包んだ兵たちが周囲を探りながら移動している。
それぞれが似たような意匠の鎧を着けていて見分けもつかないが、その中で一際異彩を放つ者が一人。
顔を隠した兜に周りよりも目立つ意匠の鎧、真っ赤な外套を着けて腰に剣を二本携えている。
いかにも指揮官に見えるその者は、しかし他の者よりも積極的に辺りの散策を行い、成果無く肩を落として落ち込んでいる。
「うぅ、まさか野営地に戻れなくなるなんて……皆ごめん……」
指揮官のような者は風貌に似合わず弱々しく呟く。
周りの者たちはあまり責める様子は無く、むしろ同情的だ。
「担い手様、私たちにも責任はありますよ、きちんと道を覚えられませんでしたし」
「でも、元はと言えば俺が突っ走っていったせいだから……」
辺りも見えぬ森の中で、部下の兵士と担い手と呼ばれた上司で謝り合っている。
その中に聞き覚えの無い声が混ざった。
「まぁまぁ、あなたたちが迷っていたのは私のせいですので、そんなに気を落とさずに」
小さな子が他愛のない悪戯を謝るような声。
それだけなのに、背筋を毛虫が這い回るような恐怖がその場に居た全員を襲った。
声のした方へ視線を向ければ、こんな場所には不釣り合いな女の子が一人。
「あぁあなたたち、もう帰ることができますよ、お疲れさまでした」
呆気に取られる兵たちと異なり、担い手の頭はこの瞬間で状況を把握した。
恐らくこの女の子は人ではない。
恐らくこの女の子に対して我々が対抗できる術は無い。
だとしても周りの兵たちを何としてでも生かして帰さなければならない。
そう考えて担い手が取った行動は、腰に差した剣のうち一つを抜き、大きく踏み込んで女の子の首へと切りかかることだった。
「このような細い首でも、そんなものでは切れませんけれどね」
兵たちには視認すら難しい程の速度で放たれた剣閃は、しかし女の子を傷つけることは叶わなかった。
剣は首に少し食い込んで止められ、動かすことすらままならない。
現実的には思えない光景に、兵たちは唖然として動くことすらできなかった。
「さて、私としてはあなたたちには無事に帰ってほしかったのですが、どうしましょう」
女の子は首に食い込んだ剣を指でトントンと叩き、視線は担い手から外さずに、にっこりと微笑んでいる。
担い手は剣を掴んだまま、もう片方の手をもう一方の剣へと伸ばす。
そして小声で何事かを呟いた。
彫像のように動かなくなってしまっていた兵たちも、その動きを見てようやく事態を認識できたようで、全員が蜘蛛の子を散らしたように、その場から逃げ始めた。
「なぁ、聞きたいことがあるんだけど」
剣をゆっくりと抜きながら、担い手が女の子へと問い掛ける。
「なんでしょう、どうぞ」
抜き放たれた剣が煌々と光り輝くのを眺めながら、怪物は余裕ぶってそう返す。
「この聖剣でもお前には傷一つ付けられないか?」
担い手は光放つ剣を大きく振りかぶって、しっかりと女の子を見据えながら、返答を待たずに振り下ろす。
どん、と大地の奥底まで震えるような振動と共に、辺りが一瞬昼間のように明るくなった。
その場に居た人が皆、目を閉じる。
眩しさによるものか、あるいは凄惨な現場を見ないようにだろうか。
この剣は降り立った神がもたらした聖剣のうちの一本。
聖剣の中でも破壊力に優れ、振るう者の体力に応じて更に力を高める。
一度振れば城壁を崩し、砦を半分に断ち切ったその力は、この国に知らぬ者は居ないとまで言わしめるほどだ。
本来であればたった一人の女の子になんて使われるはずがない。
体が残っていれば奇跡だろうと誰もが思っていた。
けれど、そんなものを振るわれて尚、女の子はそこに居た。
聖剣を頭で受け止めて、何事も無かったようにそこに居た。
「はい、あなたの聖剣程度では私に傷なんて付けられませんよ」
笑顔を浮かべて、先ほどの質問の答えを述べる女の子。
その様子を見て兵たちは戦意を喪失し、その場にへたり込んでしまっている。
担い手すらも目を丸くして、信じられないものを見たような表情だ。
「どうしました、まさか、私が聖剣の一撃に耐えられるはずがないと思っていたんですか」
頭の上の聖剣を手の甲で払いのけて、首に食い込んだ剣を両手で握って、女の子は首を傾げる。
「化物かよ……」
額に汗を滲ませながら、担い手は震える足でなんとか女の子と対峙する。
呼吸は酷く乱れていて、苦しそうだ。
それでも聖剣を尚も振るおうと振りかぶる。
「えぇ、怪物ですよ」
女の子の姿をした怪物が、握った剣に力を込める。
まるで悲鳴のような音を剣が発したかと思うと、次の瞬間には剣は千切れて無残な姿へと変わっていた。
「もう聖剣を振るう力も残っていないのでしょう、帰った方がいいと思いますよ」
振り下ろされた聖剣を肩で受け止めて、払いのける怪物。
苦しそうな表情をする担い手は、聖剣を杖のようにして何とか立っているというような状態だ。
「そもそも、私を攻撃する必要はないはずですよ、私は先程から帰れますよと言っています」
怪物は笑顔を絶やさずに担い手に問い掛ける。
怒りは無い、嘲りも無い。
聞き分けの無い子供に言い聞かせるような優しい声だ。
「あー、それは悪かったなぁ……こっちはお前が怖くて怖くて手を出したんだよ……」
ぜぇぜぇと肩で息をしながら、担い手が答える。
もう他の兵たちは逃げただろうかと周りを見れば、まだ一人逃げ遅れたのか残っていた。
「まぁ、言っていただければきちんと怖くないと説明してあげましたのに」
怪物はわざとらしく驚いたふりをする。
口元に手を当てて、目を大きく開いて、さも驚いていますというポーズをとる。
担い手はその姿を見て鼻で笑った。
「んじゃあ、俺たちのことを帰してくれないか?もう動けないくらいくたくたなんだよ……」
地面にへたり込みながら担い手が軽口を叩くと、怪物の視線が一人逃げ遅れた兵の方へと向く。
実際の所、担い手はもう立ち上がることさえ難しい程消耗していた。
本当にこの怪物に危害を加える意思がないことを祈るしかなかった。
「私はいいですよ、あなたはどうですか」
怪物の視線は担い手の方へと戻っている。
「ん?良いに決まってる」
そう担い手が答えると、怪物はまたも首を傾げた。
「いいんですか、彼は裏切者ですのに」
その言葉に兵が青褪める。
「はぁ?何言ってんだお前」
さっぱりわからないといった表情を浮かべる担い手を見ながら、怪物は話を続ける。
「彼と、野営地に居る兵のうちの三人はあなたを裏切っています」
怪訝な顔で聞いていた担い手も、少し真剣な表情で怪物の話を聞く。
逃げようとした兵も、怪物に睨まれ動けなくなった。
「本来であれば、彼の手引きによって連れ込まれた魔物の群れがこの先にある村を襲う予定でした」
怪物の顔から笑顔が消え、心底つまらないといった表情に変わる。
「火事に続いて魔物の群れに襲われ、村はとある子供一人を除いて全滅、それをあなたたちが救うはずでした」
「ふぅん、なんだそればかばかしい」
怪物の話に、担い手が首を振って呆れたように言葉を返す。
「予定とかはずだったとか、まるで未来が見えていたような言い方だな」
「えぇ、未来というか私はこの世界の最期まで見ましたから」
担い手が馬鹿にしたように言うが、怪物は肯定した。
「最期まで見てつまらなかったので、私はこのように結末を変えに来たのです」
先ほどの緊張感がどこかへと消えてしまったように、担い手が溜息をつく。
「そんなことして何になるんだよ」
その言葉で、怪物は首を傾げる。
「なにも、ただの趣味ですもの」
その時、俄かにあたりが騒がしくなった。
がしゃんと鎧が動く音。
松明の明かりが木々の間をちらちらと動いている。
指示を出すだれかの大きな声がすぐそこまで近づいていた。
「あら、お迎えが来たみたいですよ」
怪物の顔に笑顔が戻る。
そのまま、踵を返してその場を去ろうとし始めた。
「は?いや待て、まだ聞きたいことが……」
担い手がそう言って捕まえようと手を伸ばすが、すでに怪物の姿は消えていた。
次の瞬間に、鎧を着た兵たちがぞろぞろとその場になだれ込む。
「御無事ですか担い手様!」
松明を片手に現れた彼らによって、すぐに担い手と兵は保護された。
どうやら迷ったと思っていた担い手達は、その実野営地のすぐそばにいたらしい。
慌ただしく動く兵たちに連れられて、担い手は野営地のテントへと運ばれる。
「で、一体何があったんです?」
兵たちの中でもとりわけ冷徹な雰囲気を醸し出す兵が、担い手に問い掛ける。
担い手は今起きたことを正直に話すと、冷徹な兵は大きく息を吐きだした。
「馬鹿なんですか」
ただ一言、軽蔑したようにそう吐き捨てられ、担い手がたじろぐ。
「まぁ、馬鹿だから後先考えずに聖剣を抜いたんですよね、さっさと寝て体を休めてくださいね馬鹿」
言うが早いか冷徹な兵は担い手の鎧を剥ぎ、野営地の簡易な寝具に担い手を運ぶ。
礼を言おうにも、担い手はそのまま気を失うように眠りに落ちてしまった。
「ふぅ……」
冷徹な兵も鎧を脱いで身軽な服装に着替えた。
「あれ、カンライさんどこか行くんですか」
「この人がこんな状態だから、私が村の調査をしてきます」
テントに入ってきた他の兵士にそう聞かれて、カンライと呼ばれた兵は顔色一つ変えずに答えた。
「それと、この人が言ってた怪物についても調査しないと」
「あー……でも、聖剣で倒せない怪物なんて信じられませんけどね……」
何の気もなしに呟いた軽口に、カンライの目が鋭くなった。
「担い手を信用できないの?」
「い、いやいやそういう意味じゃないですよ」
ぎろりと睨まれて、兵が慌てて否定する。
「まぁ、例えありえなくても確認するのが大事なの、だから私が確認してくるわけ」
そう言って、カンライがテントを飛び出していった。
「カンライさんこわぁ……」
後に残された兵は、誰に言うでもなくそう呟いた。
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