十三の巻「乙女採り奉る」 (その二)

 姫の体を奪う。土蜘蛛は、最初からそれは容易いと思っていた。

 自分は姫の体の中、誰よりも近くにいる。彼の霊気霊力によって姫の心を眠らせ体を縛り操る、それは元より赤子の手を捻るようなものだ。

(だが、蛇神の傍でうかつに動けば、間違いなく奴に気取られる)

 蛇神が姫に与えた鱗、その通力によって二人の感覚は繋がっている。そしてそのつながりは、姫に寄生している土蜘蛛にもはっきりとわかる。もし不用意に自分が行動を起こせば、それを逆に感じ取られてしまうに違いない。

 土蜘蛛は姫の中でずっと息を潜め、二人の様子を探り続けた。隙を窺っていたのである。そして蛇神が度々眠りに就くこと、その眠りが充分に深いことを知った土蜘蛛は、それでも、さらに周到に罠を仕掛けた。

(この姫が、自ら蛇神の傍から離れるようにする)

 その手段が、すなわち、

 土蜘蛛は、姫の心にそれを求める妄念を送り込み、植え付けたのだ。

(花を欲しがったこの娘が、自分から地上近くまで上がるように、わしは仕向けた。それが己の願いだと信じて疑わぬようにさせた。気づかれぬよう怪しまれぬよう、かすかな霊気で呼びかけることしか出来なかったゆえ、時は要したが、この通り!)

 首尾よくいった。そう土蜘蛛はほくそ笑む。

(今日ようやく、この娘をあそこまでおびき寄せることが出来た。蛇神が眠っているなら、そしてこの姫が蛇神からあれだけ離れたなら)

 姫と蛇神を結ぶ通力の絆も途切れる。自分がその力を振るっても気づかれない。

 そして彼の目論見は図に当たったのでる。

(さ、すべてはしかし、ここからよ。まずは)

 土蜘蛛は右の拳を固め、腕を前に突き出した

「大百足、大百足、わしの声が聞こえるか?」

 途端。姫の体に張り付いた百足の脚がざわめき動いた。

「蛇神に一度殺され、こうしてこの娘の体に憑りつき辛くも命を繋いだ我ら。わしと蛍以外皆魂を……言葉も己の意も失ってしまった。だが、命は、ある!

 わしが命じてやれば。大百足、お前はいつも、いつでもわしの先駆けぞ?そこでは攻めにくかろう。ここへ参れ、ここに……!」

 その声に。姫の体に巻き付き張り付いた大百足の体が、姫の体の表面にあくまで張り付きながらも、水の上を滑るように動き始めた。土蜘蛛の導きによって、それは右腕の上に陣取る。長い触角の伸びる百足の頭部が手の甲の上で小手となり、二本の牙が空を突く。

「毒蛾主、毒蛾主。あの時わしに愛想を尽かしたお前だ。そうだな、お前の言うとおりであった。ふがいないわしをさぞや恨みに思うておろうな。だがこのわしを憐れに思って、今一度だけでよい、力を貸してくれぬか?」

 姫の体のそこかしこに散らばって羽を休めていた毒蛾たちが、いっせいに羽ばたき始めた。それらは決して姫の体から離れ飛び立つことは無い。だが、やはりさきほどの大百足と同じ様に、姫の肌、蛇神の鱗の上を滑り動く。

「有難い……お前はそうだ、ここに参れ」

 土蜘蛛は左の掌の上に毒蛾たちを導き集める。毒蛾の翅が重なり、今や姫の左手は一面の扇。

「後の者は……そうか、最早動くも叶わぬか。よい。蛇神へのわしの意趣返し、その場でとくと見よ。さあ猫又よ、夜道だ、お前の眼が役に立つ。案内は頼むぞ。

 ……蛍!灯をつけよ!」

(ああ、大殿様……やはり思い止まってはいただけませんか……?)

 土蜘蛛に聞こえる、蛍の嘆く声なき声。ふと、ほんの一時目を地に伏せた土蜘蛛であったが、すぐに顔を上げもう一度、断固たる声で命を下す。

「……蛍、灯を!」

 姫の両手の十指の爪の先に、淡い緑の輝きが灯った。

「目指すは京の都。蛇神が目覚めぬうちに、急ぐぞ!」

 土蜘蛛に操られた姫の脚は、人の及ばぬ力で地を蹴る。その姿は瞬く間にその場の夜の闇から消える。

 時、春は未だ名のみ。山々は雪の薄化粧に覆われていた。同じく、都も。


 蛇神によって半ばを焼かれた都、数ヶ月たった今でも人心の乱れは甚だしい。

 焼け野原の中にも僅かに廃屋を残した西の京には、そこを寝ぐらに盗賊や追い剥ぎと言った不逞の輩が跋扈する。そしてようやく人の戻って来た東の京に、そうした戝は隙をみては入り込んで災いごとを為す。今や、夜の都は無法の巷。

 主上をはじめ諸官はそれを憂い、下役人を多く徴用し夜廻に当たらせ、あるいはまた、貴族達はそれぞれの家でそのための武士を召し抱えて警護に就かせた。それら下役人といい下級武士といい、大半はみな焼け出された西の京の住人であったことは言うまでもなかったが。

 すなわち戝も捕手も、蛇神のために家も生業も失い食い詰めた者達。元は同じ境遇の彼らが相争う、都を覆うは修羅の因果であった……

 さて、その夜。

 二人組の夜廻が警邏していたのは、東の京でも特に東寄りの辻。棒を携え、そして粗末ながらも揃いの胴鎧。物々しい拵えではあったが、顔色には然程の険しさは無い。この頃危険な夜の都、とはいえ無法者が現れるのは大抵西から。しかもその晩は、雪のちらついていたここ数日の中で、久しぶりの晴れた月夜。この辺りでは、そしてこの明るさなら滅多に賊も現れまい。二人はそう高をくくっていたのである。

 寒さにしばれる掌をこすり合わせ、時折洟をすすりながら、それでも彼らは少々のんきな顔で受け持ちの辻々を見回ってゆく。そして。

「おお、ここは」「ほう」二人の感嘆の呟きが重なり合う。

 その時彼らが通りかかったのは実に、かの按察使の大納言の屋敷であった。

 蛇神への生贄となった、大納言家の風変わりな姫のこと。今では彼らはもとより、都では誰一人として知らぬ者などいない。

 その捕縛の顛末、大納言家の人々のそのおりその後の嘆きの様、そしてことには、船岡の洞の前で護送の武士たちが垣間見たという、姫の殊勝さと豪胆ぶり。全ては噂として口々に、都の隅々までに伝えられていた。

 そして何よりも。

「最初の」生贄だったはずのかの姫が去った後、蛇神自身はおろかあのおびただしい蛇達までが、すっかり鳴りを潜め姿を消してしまったこと。それが人々の心に強く迫る。都人の誰もが姫の犠牲に深く感謝していた。或る者は「蟲をよく知るかの姫が秘術をもって蛇神を封じた」のではないか、また或る者は「もともと神仏の化身、生まれ変わりであったに違いない」などと、まことしやかにささやく。姫にそうした神秘的な畏敬の念を持つ者も決して少なくはなかったのである。

 無理からぬ好奇心にかられた夜廻達は、南門の前に立ち止まり、いささか堂々と屋敷の中を伺う。自分たちは上より任ぜられた夜廻役、不躾も咎められまい、と。

 姫が生贄に取られた後、世をはかなんだ大納言と姫の母は間もなく共に出家し、女房や武士達、下働きの者なども多くは暇を出されこの屋敷を去ったという。おそらくは近々所替えになられるであろうと、これまた巷の噂。物寂しく静まり返ったその様子をさもありなんと頷きあい、しかし道草もそろそろ切り上げねばと、二人が大路に振り返った、その時。

「のう?何か聞こえんか?」夜廻の一人が、きょろきょろと周囲を見回しながら仲間に問うた。

「……うむ、聞こえるな……まるで虫の鳴く声のような、じゃが……?」

 無論、今は虫の鳴く季節などとうに過ぎている。やがて二人はすぐに気づく。それは若い娘の歌う声。だが、こんな夜半に?

 どこから聞こえてくるのかも知れた。隣の屋敷から。そして何か重い物をずるずると引きずる音を伴っているのにも気づいた。

 夜廻達は固唾を飲んで声のする闇に眼を見張る。見えて来た。

 最初に目に入ったのは、これまた時ならぬ緑色の蛍火。まるで季がばらばらになってしまったようなその場の様。

 やがて月の光にうっすらと照らされた人影。それはこちらに近づいてくる。そして、その鈴の鳴るような歌声もいよいよ顕かに透き通る……


 愛し尊し 蛇神さまに

 にえの乙女を 採り奉る

 肌滑らかなる 乙女や何処

 肉柔らかき 乙女や何処

 骨細き 乙女や何処

 いざやその手を 取り曳きて

 洞の宮まで 連れ行かむ

 神の贄なる 乙女や何処

 乙女や何処


 妖し美し 蛇神さまに

 弄び物 採り奉る

 面憎つらにくさげなる 乙女や何処

 声賢しげな 乙女や何処

 嘘事吐く 乙女や何処

 遊び終えたる 亡骸は

 谷の川原へ 打ち捨てむ

 神の手遊てすさぶ 乙女や何処

 乙女や何処


 しかし、夜廻達にその歌声はどこまで聞こえていたであろうか。天には明らかな月、そしてその月が、地に残る雪を照らして冷たい空気の中に更なる光を返す。

 そこに照らし出された者、その姿!夜廻達の正気はたちまちどこかに消し飛んでしまったのである。

 大蜘蛛の脚の簪、左手の扇で顔を半ば隠していると見えるはその実、扇ならぬ毒蛾の群れ。その後ろから猫の眼が炯々と輝き、右の肩から手の先までを覆い這う百足。身に纏うは、衣ならぬ蛇の鱗と種々の百蟲。

「……のお姫様は蝶を好まれるとのお噂、よく聴いておりました。仲良くしていだだけるかと思いお訪ねしましたけれど……私のことは快く思ってはいただけませんでした。とても残念……この上は、蛇神さまの下にお連れして贄となっていただこうかと。……!」

 百足の右手が掴んで地を擦っているのは、巨大な白い繭玉のようなもの。そしてその中から一本、若い娘の腕が虚しく天を突くように飛び出している。

「……私ですか?元は按察使の大納言の娘桜子、今はかの蛇神さまの妹、蟲愛づる姫と申す者。お聞き覚えでございましょう?

 お役人さまですね?ご苦労様。今宵はこれでお仕事をお納めなさいませ。

 この場で私を見てしまった、その上は……生かしておけませぬゆえに」

 痺れるように立ちすくんでいた二人は、月下に嘯く妖姫の氷の様に冷たい鬼気に、慌ててその場を逃げ去ろうとした。が、駆け出した途端に倒された。必死にどうにか首だけ振り返ると、妖姫は口から白い糸のようなものを吐いて、二人の足首を絡めとっているではないか。そして漁師が投網を手繰るように、二人をたちまち足元まで引きずり返して、その上に馬乗りになった。見た目にはか弱く小柄な体、だが恐ろしく重い、そして剛力。大の男二人が、組み敷かれてまるで身動きも取れない。

「さ、まずはお一人。お休みなさいませ!」

 夜廻の一人の首に、妖姫の伸ばした右腕の百足の大顎が喰らいつく。烏が矢に射られたような叫びが一声、たちまち夜廻の顔は青膨れ、口から黒ずんだ血を吐いて、すぐにことりと動かなくなった。

「蛇神さまは乙女を好まれる。あなたは連れていくわけにはいきませんね。ここに捨てていくとしましょう。

 ……さて?」

 残ったもう一人の夜廻。仲間の恐ろしい死相にもはや正気をどこかに飛ばしている。何もわからずもがきわめき、必死で地を這うと。

 。足首に絡まっていた蜘蛛の糸も外れている。むしろ、それはどうしたことなのか……だが無論、そんなことを疑念する暇も余裕もあるはずもない。もつれる脚で何度も倒れながら、夜廻は張り裂けんばかりに悲鳴を上げてその場を走り去っていった。

 妖姫は百足の右腕で逃げ去る夜廻を指し、猫の両目を爛々と見開きその行く手を凝視した。だがふいとその殺気は収まる。妖姫は姿そのままに土蜘蛛の言葉に返って。

「大百足、大百足!それに猫又も!獲物を逃すは口惜しいか?よしよし、頼もしい奴らよ。だがそう逸るでない。あれを逃したのはわざと、よ。これで騒ぎが広まる、さすれば獲物はもっと増える。毒蛾主よ、次はきっとお前の出番もあるぞ?

 さ、蛇神めが目を覚ますまではもう少々時があろう。皆の者、次に参る。今宵の狩はこれからよ……」

 何故彼は今、都で人間を狩るのか?土蜘蛛の復讐、その執念を込めた手段と目論見とは?

 それは、彼と体を一つにした同胞達には、すでに伝わっている。

 (これが皆と共にする、最後の狩……)

 土蜘蛛はその一言は、喉のうちに飲み込んだ。

(続)


※作中歌「乙女採り奉る」

YouTubeで … https://youtu.be/uyQXJd2GxP0

ニコニコ動画で … https://www.nicovideo.jp/watch/sm15400496

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る