05

――次の日の朝。


早速張丘はりおかの実家での仕事が始まった。


雑用と聞いていただけに、おれの仕事は野菜の下ごしらえや忙しい所に呼ばれる追い回しや、八寸場はっすんばといわれる小鉢、前菜などの盛り付けがメインだった。


当然皿洗いや材料の用意などもあり、定食屋よりもずっとハードな環境だ。


そもそも学生客がメインの店とは規模が違う。


料理人や板前にとって厨房は戦場なのだと、俺はこのときに理解した。


張丘が「勝負! 勝負!」とまるでサムライのように意気込むのも、こんな場所で育っていたのならしょうがない気がする。


実際に昨日顔を合わせた彼女の祖父は、人でも斬っていそうな目つきをしていたし、厨房内で声をかけ合っている人たちにも同じような威圧感があった。


「ちょっと遅れてるよ。あなたならもっと早くできるでしょ」


「ああ、ごめん」


そんな戦場で指揮を執っているのは張丘だ。


自分よりも年上の男性や数は少ないが女性の板前さんに声をかけ、次々に焼き物や煮物を完成させていた。


俺は料亭の事情に詳しいわけではないが、おそらく張丘が任されている仕事は、親方的なポジションの人間がやる内容に見える。


芋蛸いもたこ南京なんきんできたよ! 太刀魚たちうおうなぎもすぐに出るから!」


慌ただしい厨房の中で、張丘の声が途切れることはない。


無駄なく素早く動き、仕事量が少ない俺が疲れ切っているのに、彼女のペースは落ちない。


いや、むしろ楽しそうに見える。


覇気のある声を発して、口元は常に上がっている。


水を得た魚とはこういうことか。


定食屋で料理を任されたときもそうだったが、彼女は本当に厨房に立つのが好きなのだなと、その姿を見て思った。


「うん? なに見てんの? あッひょっとして焼き物やりたいとか」


「俺がやったら遅すぎて回らないだろう。こっちはこっちで大変だし、ついていくのが精一杯でそんな気持ちも湧かないよ」


「でも、すごいって。普通は初日から潰れちゃうんだけどね。バテたあなたを見てみたかったんだけど、やっぱりそう簡単にはいかないな」


意地悪く笑う張丘は、軽口を叩きながらも手が止まっていなかった。


当然俺も同じだ。


疲れて動けなくなるなんて、そんな情けないところを見せてたまるかと思い、余計に気を引き締めて仕事をのぞんだ。


それから遅めのお昼を取り、午後から夜もまた大忙し。


これはたしかに人手がいる仕事だ。


俺のような素人がいないだけでも、かなり厳しい状況になるだろう。


この人数よく今までやれていたなと正直に思う。


「はい、今日の仕事終わり! みんなお疲れさま!」


閉店時間が近づき、片づけを終えると、張丘が厨房にいた全員に向って声を張り上げた。


誰もが笑顔でいるが、疲れ切っている俺には愛想笑いを作る余力さえ残っていなかった。


できることなら、このままベットに横になりたい。


皆が和帽子を脱ぐ中、そこへある人物が現れた。


鋭い眼光をした老人――張丘の祖父だ。


「皆の者、今日もご苦労だった」


厨房に緊張感が走る。


まるで緩んだ糸が再びピンッと引っ張られたみたいだった。


だがそんな緊張感が漂う中で、張丘だけはなんだか嬉しそうにしていた。


当然彼女も俺ほどではないにしても疲れ切っているはずなのだが。


その目は、まるでこれから冒険に向かう少年のような光を放っている。


一体何が始まるんだと思っていると、張丘の祖父が皆に向って言う。


「では、これより。我が店伝統の味比べを始める」


その一言で、これまで身を固めていた他の人たちの表情が緩んでいった。


言葉だけを受け取ると、なんだかとてつもなく堅苦しい行事が始まりそうだが、皆の態度から察するに、その味比べに彼ら彼女らは参加しないようだった。


味比べというからには料理の勝負なのだろう。


では、一体誰と誰の味比べをするのか?


まさか張丘とおじいさんの対決かと俺が思っていると――。


愛美あいび、本当に彼と競うんだな」


「うん、そうだよおじいちゃん」


「今ならまだなかったことにできるが……後悔しないな」


「もちろんよ」


どうやら俺と張丘の料理勝負が知らない間に決まっていたようだ。


俺がそんな話は聞いていないと言うと、張丘の祖父は凄まじい威圧感をもってこちらを見てきた。


「すまないな。さっきも言ったが、これは我が張丘家の伝統。後継者たる愛美が決めた相手がどんな形であれうちの厨房に入ったら、必ずしなければならない掟なのだ」


仰々しい言い回しで圧力をかけてくる張丘の祖父。


そのあまりの迫力に、俺は拒否することができなかった。


というか、このじいさん本当に病人か。


布団でゴホゴホいっているときからおっかなかったが、今はどう見ても任侠映画のラスボスにしか見えない。


しかし、味比べとはいっても、俺にはまだ料亭で出せるようなものは作れない。


そもそも定食屋のアルバイトごときが、料亭の跡取り娘である張丘に本格的な料理勝負で勝てるはずがないのだ。


そのことを伝えると、張丘の祖父は静かに答える。


「安心するがいい。誰も君にうちのような料理を作れとは言っていない」


「そうそう。これからわたしたちが作るのは、ここにいるみんなの食べるごはんだよ」


祖父の後に続き、張丘が勝負内容の補足をしてくれた。


伝統と言っていたが、どうやら内容はこの店で働く人たちの夕食を作るというもののようだ。

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