02

カウンター内にいる店長に声をかけると、コクッと頷いて料理に取りかかっていた。


忙しいときはおれや奥さんも厨房に入って手伝うが、基本的に料理は店長ひとりで作っている。


「ねえねえ、あの子は友だちかい? めずらしいこともあるもんだね、あんたが学友を連れてくるなんて」


洗い物をしていた奥さんが笑顔で訊ねてくる。


どうやら知り合いを店に連れてきたのが嬉しいらしい。


俺が同じサークルの知り合いだと答えると、奥さんは店長と顔を合わせて二人して笑っていた。


特に何か言われたわけではないが、からかわれているようで居心地が悪くなる。


それから奥さんはさらに質問をしてきた。


張丘はりおかが大人びて見えたのか、先輩なのかとか。


しっかりした感じの女の子だねとか。


なんだか初めて恋人を家に連れてきた母親のようなことを言うので、俺は苦笑いを返すしかなかった。


店長は特に何も言わなかったが、料理をサッと手早く完成させると、俺の目の前に出して言う。


「こんな店じゃ女の子が好きそうなものは出せんが、こいつはサービスだ」


気を使ってくれたのか、店長は付け合わせにミニサラダを用意してくれた。


この定食屋でサラダを注文するような客はいないので、あるもので適当に作ったものだろうが、その心配りはさすが客商売が長いだけのことはある。


トレーにサバのみそ煮定食とミニサラダを載せて張丘に出すと、彼女はテーブルにあった割り箸を手に取って食べ始めた。


「甘めで上品な味わい……。使っているのは白みそね。生臭さもないし、まさかこれほどの料理をこの値段で出せるなんて……」


ブツブツと独り言を呟きながら、サバのみそ煮を口へと運ぶ張丘。


彼女の丁寧な食べ方のせいか、古臭い定食屋がまるで高級料理店にでもなってしまったのかと錯覚してしまう。


「ミニサラダは店長のサービスだってさ」


俺が声をかけても、張丘は無視して食事を続けていた。


料理研究サークルのときから思っていたが、どうもこの女は食べ物のこととなると周りが見えなくなるようだ。


「ごちそうさま」


店内を掃除していると、食べ終えた張丘が声をかけてきた。


そして代金を俺に手渡すと、彼女は突然カウンター内にいる店長と奥さんに頭を下げる。


「正直バカにしていました。こんな小汚い店にまともな料理なんて出せないと。見た目で判断してしまってすみません。サバのみそ煮……とっても美味しかったです」


「気にしないでいいよ、お嬢さん。うちが小汚いのは事実だしな。それよりも美味かったのならよかったよ」


店長がニカッと歯を見せると、奥さんも張丘も答える。


「あなたみたいな若い子には合わないところだと思うけど、せっかくこの子が連れてきてくれたんだもの。よかったらまた来てね」


「はい。他の料理も食べてみたいので、ぜひまた来ます。サービスのサラダもありがとうございました」


張丘は店長と奥さんにお礼をすると、去り際に俺の耳元でささやくように言う。


「あなたの秘密はわかった。こんな隠れた名店で修業を積んでいたなんて……。でも、負けないから」


「え……? いや、俺は別に修行なんてしてないけど……」


「覚えてなさい。そのうちギャフンと言わせてやる」


相変わらず一方的に言いたいことを口にして、張丘は店を出ていった。


何かいろいろと誤解していたようだったと思っていると、奥さんが声をかけてくる。


「今どきめずらしいくらい正直でいい子ね。私、あの子のこと気に入っちゃったわ」


「ああ、あれだけきっぷのいいお嬢さんなんてきょうび見ねぇもんな。いい子じゃねぇかよ、なあ」


「は、はあ……」


どうやら二人とも張丘のことが気に入ったようだ。


俺としてはそんなことはどうでもよく、何かまたつきまとわれる理由が増した気がしていた。


個人的には静かにキャンパスライフを送りたいだけなのだが。


どうしてこんなことになってしまったのだろう。


その日のバイト中は、店長も奥さんも事あるごとに張丘の話ばかりしてきて、絶対にまた連れて来なさいとうるさかった。


プライベートな話をほとんどしない俺のことを心配してくれていたのはわかるが、正直面倒だ。


そして次の日。


土曜日に必修科目のない俺が、いつものように開店から定食屋に行くと――。


「おはよう」


なぜか張丘が店内にいた。


しかもエプロン姿で、店長と一緒に料理の仕込みをしている。


これはどういうことだと俺が顔を引きつらせていると、奥さんがムフフと声を漏らしながら近づいて来る。


愛美あいびちゃんも今日からうちで働くことになったから。いろいろ教えてあげてね」


「そ、そうなんですか……」


どうやら昨日俺が店を出た後に、張丘は定食屋にやって来て雇ってほしいと言って来たようだ。


こんな小さな定食屋にバイトが二人もいらないと思うのだが。


というか、そんな人を雇って店が大丈夫なのかが心配になった。


この定食屋が生活の基盤である俺にとって、店が潰れたら破滅なのだ。


プルプルと身を震わせ、明らかに動揺している俺に、張丘はニヤリと不敵な笑みを浮かべて言ってくる。


「フフフ、この店の技術をわたしが覚えてしまえば、もうあなたになんかに負けないわよ」


行動力があることはすばらしいことだ。


彼女の向上心は、知り合って月日が短くとも尊敬に値する。


ただそれが、何かの誤解で他人の生活を破壊しようとすることは害悪でしかない。


「さあ、開店前に一勝負といきましょう。わたしがさっき教えてもらったサバのみそ煮定食を喰らいなさい!」


整った顔を歪め笑う張丘を見て、俺は不安しか覚えなかった。

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