ハリアイが止まらない!

コラム

01

講義が終わって教室から出たおれは、大学構内を歩いていた。


廊下には午前中ということもあり、次の授業へと向かう学生たちで埋め尽くされている。


その中で人の波を反対方向に進んでいき、建物の外へと出ると、後ろから声をかけられた。


「ちょっと待ちなさいよ」


振り返ると、そこには髪の長い女が立っていた。


先ほどの講義を受けていた同じ学年の張丘はりおか愛美あいびだ。


タイトなパンツにバンドカラーシャツといった地味目な格好だが、彼女の顔が整っているのもあって、できる女性っぽさを感じさせる。


「あなた、最近ずっとサークルにも顔を出さないじゃない。まさか勝ち逃げするつもりじゃないでしょうね」


距離を詰めて、その鋭い眼光で睨んでくる張丘。


彼女が言っている勝ち逃げとは、俺たちが入っている料理研究サークルでの話だ。


以前にサークル活動の一環で、各自オリジナル料理を出し合うことがあったのだが。


そのときに俺が作った鳥焼きライスが、彼女の和風オムライスよりも評価が高かったことがあって、それ以来こうやってやたらと絡んでくるようになった。


ちなみに鳥焼きライスとは、白飯、鶏肉、チーズ、小麦粉、牛乳、醤油を使ったシンプルで安上がりの料理だ。


仕送りもなく一人暮らしでアルバイトをしている俺にとっては、なんとか食い応えのあるものを安く食べるために考えたもので、今でもサークル内では好評らしい。


「逃げるって……。たまたま俺の作ったものが受けただけだろ? 味がわかるヤツが食べれば、張丘のオムライスのほうが美味かったってわかるよ」


これは別に彼女の機嫌をとっているわけでもなんでもなく事実だ。


ただ張丘の作った和風オムライスは、大学生からすると上品すぎただけの話。


二十歳はたちになったかなろうかという若者は、そういう大人の味よりもジャンクなものを好むというだけだ。


「でも、それでも……。あのときは、あなたの料理がわたしの料理よりも美味しいってみんなが言っていたのは事実でしょ。わたしの性格的に、このまま負けたまま引き下がるなんてできないのよ」


「だからそれは――」


「いいから、さっさと部室にいくわよ。再戦よ、再戦。あなたに勝つために、いろいろ研究したんだからね!」


こちらの言い分などまるで聞かずに、一方的に料理勝負をするのだと言い続ける張丘。


別に勝負することが嫌なわけではないのだが、こちらは生活費を稼ぐために、これから定食屋のアルバイトがあるのだ。


サークルに出れない理由を伝えると、張丘はブツブツと独り言を口にし始めた。


「なるほど、そこで腕を磨いているわけね……。実戦はなによりも身につくって言うし……。わかった、わたしもついていく」


「え……?」


思わず固まってしまった。


この女は何を思ったのか、俺のアルバイト先について来ると言い出した。


正直、働いているところに知り合いが来るのも嫌だし、何よりも気が散るので邪魔でしかない。


俺は丁寧について来てほしくないことを伝えた。


だが張丘は、俺の言葉に機嫌を悪くしたのか、両腕を組んでフンッと鼻を鳴らす。


「別に、お客さんとして行けば問題ないでしょ。それともなに、わたしに見られたら困ることでもしているの?」


困ることは何もないが。


もう時間もないので、彼女をつれてアルバイト先に向かうことにした。


俺が働く定食屋は大学のすぐ側にあり、老夫婦が営んでいる個人経営の店だ。


偶然学校帰りに食べに入って、店内にあったアルバイト募集の貼り紙を見て声をかけたのがきっかけだった。


ここでは週六日で働かせてもらい、食事もタダで食べさせてくれる店のまかないで済ませている。


上京して仕送りもない貧乏な俺にとっては唯一の生命線だ。


定食屋へと着いた俺は、「お疲れ様です」と老夫婦に声をかけ、いつものように仕事着に着替える。


まあ、仕事着とは言ってもエプロンをつけるだけだ。


その間、ついてきた張丘は席に着いて店内を見回していた。


その表情から察するに、彼女がこの定食屋をあまり気に入ってない様子が伝わる。


内装が古臭く、メニューは壁に貼ってあるような店だ。


映画のセットでも使えるくらいの昭和レトロ感は、年頃の女性からしたら清潔感に不安を持ってしまってもしょうがない。


いくら料理が美味しかったとしても、やはりオシャレなカフェやレストランのほうが好きだろう。


実際に客のほとんどが男性か、または子供連れの家族だ。


「ちょっと、注文いい」


食べる物を決めたのか。


張丘が声をかけてきた。


時間的にはお昼前というのもあって、客は彼女を入れて三人といったところ。


そのうちの二人はすでに食べ終わっているので、実質的には張丘だけという状態だ。


俺が水の入ったコップを出すと、彼女は怪訝な顔をしながら言う。


「サバのみそ煮定食をお願い」


「サ、サバ……。それでいいのか?」


俺と同じ学年なら十八か十九歳なのだろうが。


若いわりにずいぶんと渋いものを頼むのだなと思った。


学生がメインの客であるこの定食屋で人気があるのは、から揚げ定食、ハンバーグ定食、焼肉定食といったもので、サバのみそ煮定食なんて、働いている俺が忘れているようなメニューだ。


サークルでも作っていた料理も和風のものが多いし、張丘は俺のイメージ通りに、大人っぽいものを好むのかもしれない。


「なによ、なんか文句あるの?」


「いや、サバのみそ煮定食でいいんだな」


「そうよ。ほら、さっさと作って来なさいよ」


きつい物言いからして、やはり店にいるのが嫌なのだろう。


たしかにお世辞にも綺麗とは言えず、長年の汚れが天井や壁のいたるところに見える。


だが店の料理さえ食べれば、張丘もそれが些細なことだと思うはずだ。

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