Kと88B
烏目
本編
「あなたを愛しています」
そう告げる君の手には中を飲み干された小瓶が握られていた。ポップな吹き出しで「Drink me」と書かれたラベルはどう見てもジョークグッズにしか見えないから、でかでかと書かれた惚れ薬の文字も気にならない。問題は、見せ付けるように空の小瓶を握って告白してきたのがASX305-88Bという型式の自立型生活支援機械であることだ。
「ヤヤピ、今度は何見たの? 一発芸? ドッキリ? 娯楽メディアは好きにアクセスしていいけど、そういう……何? 学習成果のお披露目? みたいなのはしなくていいからね。リアクションに困るから」
じっとこちらを見て返事を待っている様子のヤヤピにそう答えたら、両目の網膜フィルムが真っ黒になって蛍光グリーンのビットマップフォントで「ガーン」と表示された。咄嗟に目を細めたくらい不気味だったので、自宅外では網膜フィルムの色素演算ができないようロックかけないとだな、と頭の隅っこに書き記しておく。
ヤヤピは元々は正規の支援機械だったけど、酔っぱらった祖父ちゃんがウォッカを飲ませてからおかしくなった。人を模した作りをしている支援機械は、人と同じ環境で人と同じ動きで人の生活を支援できるよう、様々な加工がなされている。防水加工防塵加工防刃加工耐圧加工その他もろもろ。そういった多岐に渡る処理のどこかに穴があったのか、それともヤヤピと同じ型の支援機械がみんなアルコールに対し脆弱性を持っていたのかわからないけど、とにかくヤヤピはいかれてしまった。飲酒の直後から、禁止用語を連発し、自発的に食事をとった。支援機械が人と同じ食事をとることは可能だけど、体内でバイオエネルギーに変換するためのエネルギーが余分にかかってあんまりエコじゃないから推奨されていない。幼い子供のいる家庭とか、何か特殊な事情がある場合にだけ、無駄なエネルギーを使うことを承知で、人間がやらせる。それを、飲酒ヤヤピは勝手にバクバク食い漁って、メタンやエタノールへの分解どころか、堆肥にして吐き戻した。当時おれは三歳だったけど家族の悲鳴は覚えてる。最悪だった。
支援機械の改造は結構な罪に問われるので、祖父ちゃんはヤヤピを修理に出せなかった。ヤヤピは壊れたっていうよりも改造されていかれたように見えたから。代わりに、工場で働く知り合いから専用の工具一式を横流ししてもらって、ヤヤピを解体した。ヤヤピのバージンシールはおれと祖父ちゃんと祖母ちゃんではがし尽くした。その結果、ヤヤピはより一層改造支援機械としての道を極め、おれは一生モノの秘密を背負ってシステムエンジニアとなり、祖父ちゃんと祖母ちゃんは最後まで孫のいく末を案じながら墓に入った。
ちょっとしたアクシデントから本物の違法機械となったヤヤピは、おれたちの苦労や心配なんかそっちのけであちこちのデータに勝手にアクセスして、様々な情報をダウンロードしてくる。さすがに国防省のデータは捨てさせて、各国政府関係機関のサーバーにはアクセスできないように調整したけど、国の秘密、間諜に関わる機関って大体国家と無関係を装っているので、おれとヤヤピはいつもいたちごっこをする羽目になってる。というか、それを楽しんでいる節があって手に負えない。
ほかにヤヤピが好むのが、娯楽コンテンツの収集。オールドエイジの膨大なアーカイブも日々増えていく素人の個人的な作品も、あちこちから収集する。これもこれで問題はあったけど、バレたら死罪にでもなりそうな趣味よりはよっぽどマシだったので許した。
何がそんなに楽しいのかと一度聞いたことがある。帰ってきたのは、キリがないのが楽しいという答えだった。おれは設問には回答が、問題には解決策が、対象範囲には限度があってほしいので、ヤヤピは機械なのにすげえなと思った。機械だから、かもしれないけど。ヤヤピが人間に飼われたような現状に甘んじてるのも、人間の可能性や疑問、興味にキリがないからだそうなので、おれにはヤヤピの嗜好が理解できないがたいへん感謝している。
それで、問題の告白について。ヤヤピはおそらく、収集したデータのいくつかから、個人的に(人という言葉を使うのは正しくないが、それは別の問題とする)面白いと判断した動きを再現してるんだと思う。最近よくある。バラの花束を持って(どこから持ってきたのかは不明だし不問とした)プロポーズの真似事したり、天蓋付きのベッドを寝室に置いて(どうやって入手したのかも設置したのかも不明のまま不問とした)寝そべっておれを待ってみたり。
まあ、人間の行動で一番謎が多いのは恋愛に関わるものなので、ヤヤピが興味を持つのは仕方ないのかもしれない。ヤヤピが違法機械であることを晒せる相手もおれしかいないので、こうして自宅で大人しくしてる間は相手をしてあげたほうがいいのかもしれない。でもおれは恋や愛がよくわからないトーヘンボクなので、ヤヤピの期待する反応をしてあげられない。悪いが、こればっかりはしょうがない。
「ケイ、これを見てください。この瓶、ここ、この文字、惚、れ、ぐ、す、りって読むんですよ」
「読めるよ……。ていうかそういうの、仮に生体だとしても内科的アプローチでは効果ないのヤヤピも知ってるでしょ」
「人間の無限の可能性を信じてください。あなたたち人類は素晴らしい種なのですよ」
「仮に生体に有効になっても、ヤヤピは機械だからね」
ヤヤピは「うぬぬ」と口に出して呻く。ヤヤピのリアクションがわざとらしく大袈裟なのは、改造機械になってしまったからだ。それまではとても物静かで、いつでも優しく微笑んだ綺麗なお兄さんだったのを今でも覚えてる。質問にも正確に、端的に、知的に答えていた。おれの理想の大人だった。理想がはかないものだと、おれはわずか三歳で思い知らされた。
しばらく目を白黒させてから(本当に白黒していて、綺麗な過去の思い出を振り返ってしまったおれの心は深刻な打撃を受けた。この後すぐにでもプログラムを組もう)ヤヤピは小瓶を持ったまま、おれの両手を握り締めた。手に触れた瓶がわずかに濡れていて、おれは少しだけびびった。ヤヤピは実際にこれを飲んだんだと知ったら、たとえ中身がただの水だったとしても、なんだかとんでもないことのように思えてしまった。
「ならば、私の可能性を信じてくれませんか」
おれの両手を握って、ヤヤピは真剣な顔で迫る。ヤヤピの可能性って何。いや、ヤヤピは可能性の塊だけど。何しろ酒を飲んだだけでプログラムのプロテクトを破壊してしまった機械だ。でも、じゃあ、今信じさせようとしているのはどんな可能性だ。さっぱりわからない。
「……検討してみるよぉ」
本気で困ってそう答えたら、ヤヤピは嬉しそうに飛び跳ねた。なんだかわからない。今の回答がヤヤピにとって正解なのか? なんで?
数日後、ヤヤピの網膜操作を制限するシステムを組みながら書き上げたレポートを見せると、ヤヤピは沈んだ顔で家出をして、二日で帰ってきた。改造猫ロイドというコブ付きで。どうも最近、付近に違法機械の溜まり場ができてるらしい。そんなホイホイと違法機械が増殖してたまるかと思ったけど、犬も連れ込まれそうになったので追求するのはやめた。それよりも、おれは回答のある設問が好きなんだ。せめて答えを教えろと、ヤヤピを追い回す日々がはじまってしまった。
Kと88B 烏目 @cornix
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