すでにチカゲは親を亡くし、兄弟すらこの世界にはすでに存在しない。

 身内と呼べる者の最後の一人が無残な遺体となって目の前に現れた時、一瞬それが一体何のか分からず、頭の中にイメージが徐々に浸透していくにしたがって悲しさの真っ只中に放り込まれたような感覚になり、泣き叫んだ。理不尽な死の衝撃は自らが生きることすら否定する。己も家族の傍へ。たった一人でこの場所にいるくらいならば。何度と無くそんな思考が沸いては消えた。

 実行しなかった理由。それはこの世界の常となっている変化おかげ。死んだ者は戻らないと理解すれば周りの変化がそれを後押しするように渦の中へと引き込んでいったからだ。そして何より、その変化の中で自分は生きたいのだと実感した。

「死人に会おうと思うならまず死を選ぶ。生を選ぶのは死人に会いたいからじゃない自分が生きたいからだ」

 自らの遠い記憶の忘れていた存在を思い出して言い放てば、彼女はそんなチカゲを逆に嘲った。

「理屈は合っているわ、死後の世界を信じていれば死を選ぶでしょうから、当然の結論だわ。でもね、人の想いはそんな単純なものじゃないのよ。本当は貴方が一番知っていることだと思うけど」

 威厳のあったころに比べて一回り近く縮んだように見える小さなドルフィネは彼女に肩を抱かれてふわりと浮き上がる。

 抵抗することなく、全てを彼女に預けるドルフィネにチカゲの胸は何故か痛んだ。

「それで、どこに、連れて行くんだ」

「どこでもない場所。彼が望む、彼だけの想いの場所」

「俺は、連れて行かないのか?」

「貴方は今何も望んでいないもの。自分を連れて行けとも、ドルフィネを置いて行けとも思っていない。何より、貴方はもう私を必要とはしないでしょ?」

 にっこり笑ったその微笑みはいつもの彼女の微笑で、チカゲはカメラを握りファインダーを覗く。

 いつもの微笑を向けた彼女は視線を、大きく開いた窓の空に向かわせた。

「変わることが悪いことではないわ。変わらないこともまた同じ。ただ、変化すること全てが善ではない。とどまりそのモノを思い想う力もまた、救いになる。とどまるのか、それとも一歩踏み出し進んでいくのか、どちらが正しくて、どちらが間違っているかなんて決めることは出来ないけれど、チカゲ、貴方はもう分かっているでしょう」

「それがドルフィネの望みなら俺にとめる権利は無い。君が俺を選ばなかったことも今はよかったと思うべきなのかもしれないな」

「貴方が以前のまま、自らの思いに縛られ続けていたのなら、きっと貴方も連れて行こうとしたわ。でも、変わったのよ。貴方はね」

「変わってないつもりだったんだけどな」

「己で気づかないほどの変化の方が、人は自然と共に生きていけるのよ。人は変化にあふれていてとても羨ましい、けど、行き過ぎると鬱陶しいだけね。強い思いだったはずの事が数秒後には違う思いに変わってしまう。目まぐるしすぎて吐き気さえする」

 苦々しく眉間に皺を寄せた彼女だったが、小さく深呼吸をして自分の胸の中で小さく縮こまったドルフィネを抱きしめ、つま先で小さく宙をけり、窓から外へと飛び出す。

 大きな翼を羽ばたかせ、微笑み去っていく彼女にチカゲは狙いを定めたまま、シャッターを押していた。

「じゃぁね、チカゲ」

「あぁ、さようなら」

「あら、またね、じゃ無いのね」

「もう会わないからね、さようならが一番だろう?」

「……そうね、会わないわね。さようなら」

 ファインダー越しの、彼女とチカゲの最後の会話は別れの言葉だった。

 風に乗り、あっという間に上空に消えた二人。その後も風に乗っていったのかそれとも逆らったのか、それはファインダーを覗いていたチカゲにも分からない。ただ、シャッター音が止んでも覗いたままのファインダー向こうにあるチカゲの頬には一筋の光が流れていた。

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