「嘘だ、お前はジュリアだ、私の娘、ジュリア」

 彼女の言葉に隣の部屋のドアノブが回されて、開いた扉の向こうには眉間に皺を寄せ、彼女を凝視するドルフィネ。

 静けさの中、ドルフィネの表情はいつもとは違い複雑だった。

 しかし、複雑な表情の中で何を思っているのかは手に取るようにわかる。

 彼女に近づいたドルフィネはそっと右手を差し出したが、彼女はひらりとそれをよけ、窓際に立った。

「そう、貴方がジュリアを求めている人なのね」

 悲しげな表情を見せる彼女の桃色の唇がそう言い、チカゲは首を傾げる。

「求めている? 確かにドルフィネは眠ってしまったままの娘にそっくりな君が本当に娘か確かめたがっていたけど、求めてるって言うのは……」

「いいえ、求めているのよ、彼は自分の死んでしまった娘をずっと求めているの」

「え? 死んだ?」

 チカゲは今まで「娘はまだ眠っている目を覚ます気配が無い」とドルフィネから聞かされていた。

 確かめるすべがないということもあったが、チカゲはその言葉を疑うこともしなかったし、他者に聞いて確かめるということもしなかった。

 そう、心の何処かで彼女はドルフィネの娘であり、自分が其れを知ってしまった瞬間、目の前に居る彼女が消え、代わりにその娘が目を覚ましてしまうのではないかと心配するほどに。

 だからこそ、彼女という存在を失いたく無いチカゲは今まで聞けなかったのだ。

 だが、それらは全てはドルフィネの娘、ジュリアが生物として生きているという事が前提。なのに今、彼女の口から出てきたのはその娘が死んだということだった。

 彼女の思いがけない言葉に驚き、チカゲがドルフィネを見れば、彼女に伸ばした手の平を握り締め、ドルフィネは酷くゆっくり床にひざをつく。

 伸びきっていた腕は徐々に縮められて胸の前に結ばれ、ぼんやりと彼女を眺めていた。

「どういうことなんだ? 娘さんが亡くなっているなんて初耳だぞ。それにどうして君はそれを知っているんだ」

「……私はね、チカゲ。何者でもないけれど何者でもあるの」

「もう少し分かりやすく言ってもらえるか? 君の言葉はさっきから難解すぎる」

「そうね、何者でもないというのは私がこれだと決定付けられる存在では無いということ。チカゲはどんなでもチカゲでしょ? 私は違う」

 寂しい微笑みを見せながら言う彼女を瞳に映したままのドルフィネが大きく息を吸い込んで否定する彼女に言葉を投げる。

「では、なぜジュリアにそっくりなんだ。そして、なぜジュリアが死んだと知っている。ジュリア自身だから知っているのではないのか。お前はジュリアだ」

 静かで、荒く叫びすがりつくようではない言葉。

 だが、最後の最後、希望という細い糸を信じて、そうだと肯定することを欲する子供のような表情で彼女を見つめるドルフィネに、見ていたチカゲの胸さえもちくりと痛んだ。

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