ヘヴィ・レイン 5

 誓は岸壁バースふねを泊め、眠ってしまった満里奈をおぶって降りた。

 さるつじ――いったい誰がそう呼び始めたのかは定かではない。一説によれば荒廃しつつあったこの区画の再建を試み、盛大にコケた過去の東京コロニー市長だと言われているが、確証はない。はっきりしているのはその呼び名が京都御所の北東の角に設けられた鬼門除けの通称に由来しているということだけだ。

 皇居の鬼門に位置しているこの暗黒街は、ある意味当然と言えば当然であるが、過去のある時点までは比較的真っ当な住宅地だったらしい。水路沿いにはそれを裏付けるかのように一軒家やアパートなどが立ち並んでおり、少し遠くにはスーパーマーケットらしき看板も見える。

 きっと閑静で平和な住宅街だったことだろう。しかし今となっては……


「あっ、そこのキミさぁ、そのままじゃ風邪引いちゃうよ。一晩オレん家泊めてあげるから来なよ。お風呂も使わせてあげるし、もちろんお金とかは取らないからさぁ──」

「イヤです。あなたの世話にはなりません」

「チッ、そうかよ」


 ……こういうあいしか住んでいない。

 この町にはもの、ヤクザ、麻薬の密売人、非合法市民団体にカルト教団と、そういった妖怪まがいのろんな連中が堂々と巣食っているのだ。

 良識ある市民ならこんな町にはまず近づかない。力ある魔法使いですら、このもうりょうに下手に関わるとたけのこのように面倒事が湧き出てくるからと干渉したがらない。

 そしてそれ故に、ANNAから身を隠すのにはもってこいの場所でもある。居場所は間違いなく広域魔力レーダーか何かでマークされているだろうが、少なくとも一日はさらなる追撃を躊躇させられることだろう。

 

(というわけで、まずは雨風凌げるところを探さなきゃなんだけど……)


 誓は雨に濡れながら通りを歩いた。

 空き家なら幾らでもあった。だがそれらのほとんどは酷く朽ち果てており、ねぐらとしての役割は期待できないと一目で分かった。アパートも同じく。

 少し遠くのスーパーマーケット跡へ向かってみると、こちらの状態は割とよかった。しかし致命的な問題点が一つあった……怪しげな黒い装束に身を包んだ一行が、冒涜的かつ名状しがたい賛美歌を歌いながら練り歩いていたのである。カルトの地下礼拝所と化していたのだ。

 邪教の説法が目覚まし代わりだなんて御免被るとその場を後にし、今度は近くにあった神社跡を覗いてみ……るには及ばなかった。明らかに何かガンギマっている女たちのやたらデカい喘ぎ声などが漏れ出していたからだ。怖かったので足早にそこから逃げた。


 ──そして最終的に誓は、うち棄てられし公民館に辿り着いた。

らいしま都民センター』と銘打たれた錆び看板の向こうに、それはあった。

 五階建てのそれなりに大きな建物であり、状態はかなり良かった。一階の外壁に『カタスフィはアメリカの気象兵器!!』『消費税率下げろ』『天皇陛下お助け下さい』『三笠グループ砕』『ケツ穴孕ませろう』など散々な落書きがなされていたり、焦げ跡のような黒ずみがいくつも残っていたりすることに目を瞑れば、損傷はほとんど無いと言える。

 人の気配もない。ただし出入口は何故か鉄条網で封鎖されていた。


(……今度こそまともな場所でありますように……!)


 誓はそう天の神様に祈ると抜刀し、ばっさばっさと鉄条網を斬り捨て、開かない自動ドアを斬り伏せて中へ入ってみた。


§


 帯革ベルトのポーチからミニ懐中電灯を取り出し、内部を照らして見て回った……その結果。

 ここは幸運なことに、二人の寝床に適した場所であった。

 三階に着付け教室などに使われていたのであろう和室があったのだが、これがかなり綺麗な状態で残っていたのだ。しかも和室なので畳敷きになっている。布団を敷かなくともある程度の寝心地が保証されているわけだ。

 誓は嬉しくなってすぐさま靴を脱ごうとし──それから自分たちがびしょ濡れのままであることを思い出して少し戸惑い、かと言ってすぐに服を乾かせる機械や魔法を持ち合わせているわけでもないので、それに関しては諦めて──部屋に上がった。そしてずっとおぶっていた満里奈を壁際にそっと下ろした。


「う……んぅっ……」

「あっ。おはよ、満里奈」

「おはよぉ……。って、ここどこ? 猿ヶ辻? Αアルファ部隊は!?」

「大丈夫だよ。追手はひとまず撒いたから」


 誓は満里奈の左隣に腰掛け、向かい側の壁に向かってミニ懐中電灯を点けた。

 暗闇の中で二人の顔がほのかに照らし出される。混乱していた満里奈は誓の顔を見ると、安心したように穏やかな微笑みを見せてくれた。


「とりあえず今晩はここで過ごして、明日になったらレーアさんに連絡を取ろうかなって」

「そっか。でもどうやって連絡する? IDも思考通信機も学生寮だよ」

「……………………。……まあ、それも一回ちゃんと寝てから考えよっか」

「そうしよっか。……あははっ」

「ふふっ」


 緊張が解けたからか、ほぼ同時に笑いが漏れる。

 笑っていられる状況ではないというのに。

 そしてついでに。

 ぐう~っと、二人のお腹の虫がハモる。


「「……あっははははっ!!」」


 また笑う。

 もう大爆笑であった。そのまま一分間ぐらい止まらなかったし、腹筋なんかもうバッキバキに割れた。二人ともきっと板チョコばりのシックスパックになっていただろう。

 そうして同時に「「ふぅ……」」と息をつき、「さて」と誓が立ち上がった。


「私なにか軽食買ってくるよ、道中でコンビニ見つけたし」

「猿ヶ辻にコンビニがあるのっ!?」

「うん。何か希望はある?」

「じゃあわたしサンドイッチがいいなっ。具はできたらツナマヨか玉子で」

「りょーかいっ」


 そう言い残して和室を出る。部屋の留守番を満里奈に任せて。


 ……雨はもう降っていなかった。

 だが鉛のように重々しく分厚い雨雲は、相変わらずまだ天を覆い尽くしていた。

 いつ再び降り出してもおかしくない空模様であった。

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