第四章 ルナティック・トゥルース・オブ・ザット・デイズ・フラッシュ Lunatic_Truth_of_that_Day's_Flash

ルナティック・トゥルース・オブ・ザット・デイズ・フラッシュ 1, 2

 次の非番の日の夕方のこと。


『……次は、とうおうだいがくびょういんまえとうおうだいがくびょういんまえでございます……』


 その市営路線貨客艇バスキャビンに乗客はほとんどいなかった。

 私服姿の誓と満里奈の他にはただ老婆が一人いるだけ。臨港第二都心の学生寮前からずっとここまで乗ってきていたが、土曜日ゆえか、客足は全くまばらであった。

 平日の帰宅ラッシュ時ならまだしも……おかげで大荷物を三つも携えているのに誰の迷惑にもなっていなかった。

 その大荷物のうち二つは誓たちの楽器、もとい武器ケースだ。

 では残る一つはというと、これはゴム紐でキャリーカートに括り付けられた迷彩柄の超大型リュックサックである。

 かつて陸上自衛隊で使われていたというわば払い下げ品で、容量が60リットルもあるというお化けみたいな代物なのだが──中に詰め込まれているのは何も野戦の用意などではない。

 それは本マグロだ。クーラーボックスに詰められ、満里奈の魔法で特殊冷凍処理を施された大トロ・中トロ・その他各種希少部位付きの本マグロブロック7.0キロである。

 価格はおよそ1000万円。……1000万円もした。まあ尤も、誓たちが自腹を切ったのはそのうち僅かな額であったのだが。費用の大半はレーアが調達した。


 ……ピンポーン、とチャイムが鳴り、少女を模した合成音声のアナウンスが流れた。


『次は、第一三総合体育館前。第一三総合体育館前でございます』

「満里奈」

「うん」


 水路沿いには個人経営の商店や細長い小規模マンションが立ち並んでいる。

 それらの隙間から顔を覗かせる摩天楼は皇宮第一都心のビジネス街である。

 近隣の東京コロニー国際空港へ降り立つ旅客機がガラス窓を震わした──


 ──そう、ここは下町、第一三居住セグメント。

 東京コロニー市の北部に位置する土地であり。

 加えて言えば。


 例のレーアの旧友・むらさくが、三笠グループの監視下で軟禁されている土地でもある。



§



 周囲が比較的小ぢんまりとした質素な住宅ばかりであるのに対し、その家は明らかにその場から浮いた“豪邸”であった。

 敷地を囲む高い塀に、輝くように真っ白な外壁。門から玄関までは10メートル近くもあり、そこには立派なまえにわが設けられている。

 ただでさえ土地面積の限られている海上都市では特に卓越した経済力を持つ上流中の上流でしか持ち得ない代物だ。

 他にこんな邸宅が建っているとすればそういった“貴族”ばかりが住む高級住宅街にしかない。


 しかし人よりちょっとでも優れた観察眼を持つ者ならすぐに違和感に気がつくだろう。


 塀の内側から鉄条網らしきものが見え隠れしているが……防犯目的にしては少々気合が入りすぎではないだろうか。

 大体設けるにしても何故塀の外側ではなく、内側なのか。まさか町の景観に配慮しましたなんて、そんな平和で牧歌的な理由ばかりではあるまい。

 庭を掃除しているメイドにしたってそうである。古風なメイド服に身を包んだ見目麗しい女中以外の何者でもないように見えるが、実態は全く異なる。

 四肢を戦闘用の義体に置き換え、ロングスカートの中にハンドガンをちょうも隠し持っている三笠グループの監視兵だ。


 この通り屋敷は『』厳重な警備が敷かれており、小夜村という主人もとい囚人が決して外界と触れ合えぬようガチガチに固められている。

 その外界の者である誓たちが小夜村のもとへ辿り着くには、魔法の暴力に任せて無理やり突破するか、さもなくばあの監視兵と交渉して平和裏に通してもらうかのいずれかだ。

 正規の任務なら前者の方法を取ってもよかったが、これはあくまでも私的かつ非公式な行動である。派手に暴れるわけにはいくまい──よって自動的に、あの監視兵をどうにかして陥落させることになる。


 本当にそんなことができるのか?

 できる。そのための本マグロ7.0キロなのだから。

 誓はチタン合金製の門越しに、思い切ってそのメイドを呼んだ。


「すみませーん」

「? どうかなさいましたか?」

「小夜村さんにお会いしたいんですけど」

「申し訳ありませんが、小夜村は現在博士論文の執筆で立て込んでおりまして……」

「立て込んでいる?『』じゃなくてですか?」

「!!」


 メイドの格好をした監視兵はあからさまに眉をひそめ、不快感と警戒心を露わにした。


「立て込んでいるんです。お引取り願います」

「閉じ込めてるんですよね?」

「違いますって! 何なんですか人聞きの悪い、一体何をしにいらっしゃったんですか?」

「小夜村さんと会って話をしたいんですよ」

「でしたらまた来週あたりに日を改めてください、今日のところは諦めてお引取り願います。いい加減にしないとただじゃおきませんよ」

「はぁ……。そうですか、分かりました。そこまで仰るなら大人しく帰りますが──」


 誓は満里奈に目配せした。

 ここで本マグロ7.0キロの出番である。

 この1000万円の値打ちを持つ『食べられる純金』でメンタルを揺さぶりにかかるのだ。

 満里奈は手早く陸自リュックからクーラーボックスを取り出し、固く閉ざされた門の前に置いて、蓋を開けた。

 中からルビーのように光り輝く肉の塊が姿を見せる……!


「──お土産に持ってきたこの本マグロは、差し上げられないということで……」

「!!!???」


 監視兵の視線があからさまに吸い寄せられた。

 効果は抜群だ! さすがは本マグロである。

 だがまだこれからが本番である。誓たちは次なる一手『飯テロ』へと移行した。

 満里奈はクーラーボックスから本マグロの刺身を取り出すと──飯テロするためにあらかじめ別で用意しておいたものだ──それはそれはもったいぶりながら包みを剥がした。

 そして紙のお皿に醤油を垂らし始めた満里奈を背に、誓はワルいを作って語った。


「折角たいまいはたいて大トロ・中トロ・各種希少部位付きのブロックを7キロも買ってきたんですが……ただじゃおかないとまで言われちゃったら、もうどうしようもないですよね」

「うぐっ……」

「このお屋敷の事情はあらかた把握してますよ。その上であなたはただこの門を開けて、私たちが小夜村さんとしばらくお話するのに目を瞑ってくださればいいんです。それだけでこの本マグロは差し上げられるんですけど……」

「わ、私を食べ物で釣ろうって言うのか!? ナメた真似を──」

「拝見しましたよ、ツイスタの呟き。道警の機動隊にいた頃ぶんたいちょうにおごってもらった、大トロのたっぷり乗った本マグロ丼の味が今でも忘れられないんですよね……?」

「なっ!!!??? どこで私の垢アカを……!?」

「さあ……」

「ん~っ♡ おいしーっ♡♡」


 肩を竦める誓の背後で満里奈が頬を押さえた。

 彼女は物を美味そうに食べることにかけてはこの東京コロニーで五指に入るほどの才能があった。

 誓はその火力支援を受けつつ、さらにのワルさを深めて追い打ちをかけていく。


「養殖された安かろう悪かろうのがんさくじゃ満足できないんでしょう? 全財産溶かして一文無しになってでも、もう一度『本物のマグロ丼』を食べてみたいんでしょう? 食べられますよ、一文無しにならなくても……」

「うぐぐぅっ……」

「んん~~~っっ♡♡♡」

「さあ、どうなさいます?」

「うぐぐぐぅっ…………!!」


 ……監視兵は眉間に日本海溝並に深いシワを寄せて迷い……迷って、迷い抜いた。

 そしてたっぷりと一分間も迷った、その末に。


「分かったよもう、好きにしてくれ。私は用を足してて何も見てないし、聞いてもなかった。門の施錠は、猫が外した」

「「ありがとうございます!!」」


 監視兵はヤケクソ気味にかんぬきを外し、チタン合金製の門を開いて誓たちを招き入れた。

 鮮やかなまでの食の勝利、本マグロの勝ちであった。

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