ファースト・ステップ 5-2



 けたたましい警報音が三人の頭の中で鳴り響いた。


 ビィビィビィビィッ!! というつんざくような高音は、通常の接触エンゲージ通知よりもずっと切迫した雰囲気を纏っており、誓たちを一様に緊張させるのに十分だった。

 その意味するところは『強力な敵性魔法使いの接近』。

 つまり撤退の勧告。

『明らかにヤバいから一旦退いて増援を待て』という管制室からの警告である……!

 夏海は混乱して固まっている誓たちの手をちゅうちょなく取り、その場を離脱しようとした。が!


 わずかに遅かった……!


 音よりも早く敵の爆撃魔法が飛来する!

 自動販売機が直撃を受けて無残にも破壊され、爆風と破片と中身のドリンクとが四散する!!

 誓と満里奈はたっぷりと10メートル近くも吹っ飛ばされ、ゴロゴロと地面を転がって停止した。夏海だけは巧みな受け身によって一足早く立ち上がり、尻餅をついた二人に背を向け、その瞳をあおく輝かせた。

 視線の先20メートルの爆心地では灰色の煙がもうもうと広がっており、その中に三つの人影が見え隠れしている。

 夏海はあおい炎を噴き出し、その右手に燃え盛る炎の塊を生み出した。

 

「誰だか知らないけどいい度胸じゃない、顔見せなさいよ!〈ブラスティングウィップ〉!!」


 そして容赦なく叩きつける!

 あおい火炎放射はその名の通りムチのようにしなりながら飛んでいき、灰色の煙に勢いよく突き刺った。ボッ!! と煙が打ち払われる。

 襲撃者は全く動じることなく、誓たちの前にその姿を表した。

 初老の男の声がする……!


『随分と手荒な挨拶だな。ANNA総局第501高等魔法小隊隊長、深川夏海1佐』


 そんな彼らは。

 ただただ異様なふうていの、修道者たちであった。


 両サイドに立つ取り巻きの魔法使いは黒い司祭服キャソックに身を包み、向かって右側の者は大きなアサルトライフルめいた魔法兵装を、左側の者は西洋騎士のようなランスを携えていた。

 胸元にはロザリオがキラリと光っており、プロビデンスの目──キリスト教のさんいったいを表す正三角形と、全てを見通す神の瞳──の描かれた仮面で顔全体を隠していた。

 真ん中の修道女は真紅のチュニックとヴェールを纏い、やはりロザリオと仮面をつけていたものの、武器らしきものは何も持っていなかった。その体つきはどう見ても女性のそれだったが、

 彼女(彼?)はチュニックの裾を摘み、ごく丁寧で清楚なお辞儀カーテシーをした。


『お初にお目にかかる。私は魔法結社『ネオ・バプテスト』総長のヨカナーンという者だ』

「ネオ、バプテスト……?」


 と、満里奈がその名を繰り返す。

 夏海が動揺をはらで抑え込んだような声で答えた。


「世界最悪の国際魔法テロ組織……。最近だと『クルーズ客船撃沈テロ』を起こした張本人で、光莉さんの力を欲しがってる奴らの中では断トツでイカれた連中ね」


「「…………!?」」

「あんたたちは先に行ってなさい。アタシが相手しとくから」

「満里奈!」

「う、うんっ……!」


 誓は満里奈の手を取り、先程来た道を引き返すべく立ち上がった。

 だがその道にはもう、いつの間にかヨカナーンたちが回り込んでいて……!


『つれないな。光莉の娘が魔法使いになったというから、挨拶をしに来ただけだというのに』

「何が挨拶よ、そんなもんされる筋合いないでしょ」

『いや、ある。君は知らないかもしれんがな、光莉の一番弟子よ』


 ヨカナーンはそう言うと、大きなピンク色のプレゼントボックスを両手で抱えつつ、満里奈の方へ歩み寄ってきた。

 誓はすかさず割り込もうとしたが……


「「!!!???」」


 ……それは不可能だった。


 仮面越しに目が合った瞬間、さながら麻痺の魔法でもかけられたかのように足が竦み、一歩たりともそこから動けなくなってしまったからだ。

 夏海もやはりその場に貼り付けられていた。

 声を発することもできなかった。

 ただ満里奈だけが身体の自由を残されていた。

 ヨカナーンはそんな満里奈に、まるで親戚の子供にクリスマスプレゼントでもくれてやるかのように、そのピンク色の箱を差し出した。


『つまらないものだがお祝いだ。お前が魔法使いとなり、初めて現場に出てくると聞いて居ても立っても居られなくてな。……開けて中を見てみたまえ』


 満里奈はいぶかしむようにヨカナーンとプレゼントボックスを交互に見て……何度も何度も見て、それから恐る恐る、その大きな箱を受け取って、リボンを解ほどいて、蓋を開けた。


「…………………………ケーキ……」

『本場ウィーンのデメルから取り寄せたチョコレートケーキの王様、ザッハトルテだよ。何はともあれ初めての任務完遂おめでとう、満里奈。光莉も天国で喜んでいることだろう』

「光莉、光莉って……さっきからあなた、わたしの母のなんなんですか……?」

『遺志を継ぐ者。つまり後継者だよ』

「は……?」

『いいかね満里奈、お前が光莉から受け継いだのがあの神の如き力とすれば、私が光莉から受け継いだのは、わば使命だ。彼女がのせいで果たせなかったことを、私が代わりに成し遂げるのだ』

「なに──」

『ふざけたことを、と思うか? それでやることがテロなのか、と。だが我々だって、何もやりたくてやっているわけではないのだ。ただ他に方法がないだけでね。もし私の立場に他の誰かがいたとしても、同じようにテロに手を染めるだろうし、仮に光莉が生き続けていたら、彼女だってこうなっていたに違いない。もちろん細かいやり口や死人の数は異なるだろうが』

(…………この女ぁぁッ……!!)


 見ていることしかできない誓は、歯噛みしていた。


 唐突に現れたかと思えば満里奈の母親を侮辱し始めたこの頭のおかしな推定・女を、たった一発でも張り倒すことが出来ないために。


 しかし──




「わけわからんこと言ってんな! このっ……くそアマっ!!」

『!?』

「「「「!!!???」」」」




 ──誓が張り倒す必要はなくなった。

 他ならぬ満里奈自身が、受け取ったプレゼントをヨカナーンの顔にぶちまけたから。

 紙箱がヨカナーンの頭にすっぽりと被さり、中身のザッハトルテがボトボトとこぼれ落ち、上質そうなチュニックやヴェールを生クリームとチョコレートで散々に汚した。

 その場にいた誰もが。ヨカナーンでさえもが、呆気にとられた。

 ただ最愛の母親を冒涜された満里奈だけが鼻息を荒くして、ヨカナーンを睨みつけていた。


 ……少し遅れて。

 ギュオン、という不気味な音が二度響いた……!

 それはヨカナーンの取り巻きが魔力を励起し、魔法陣を展開した音だった。

 ライフルとランスがそれぞれ満里奈に向けられ、赤と青の光を威圧的に見せつける……!

 危ない!!




『やめろ。武器を下ろせ、魔力を鎮めろ』




 ……………………取り巻きたちは、不服そうに魔法陣を消した。

 彼らが武器を下ろしたことを確かめると、ヨカナーンは紙箱を被ったまま両肩を震わせた。


『くくっ、お転婆なところはだな。やがて魔法使いとしても光莉に似ていくのだろう。受け継いだ力が目覚めたりしてな』

「ふーっ……ふーっ……!」

『力が目覚めた暁には、君にも私の言った意味がきちんと理解わかってもらえるだろう。そのときは私の、いや光莉の遺志のため力を貸してくれたまえよ。もう少しゆっくり話したかったが、今日のところは帰らせてもらうとしよう──ああ。それともう一つ』

「まだなにかあんの……!?」

『闇社会のせんだつとして助言しておくが、、ということは知っておいても損ではないぞ?』

「は……?」

『では、さらばだ』


 次に誓たちがまばたきしたとき。

 ヨカナーンたちの姿は幻のように消え、二人の身体の硬直も解けた。

 その後にはただ、満里奈がぶちまけたザッハトルテの残骸だけが散らばっていて。

 遅れに遅れてやってきた護送チームていたいの立てる波が、少し遠くから音を響かせてきていた。




 かくして、誓と満里奈の初めての実戦は終わりを告げた。

 極度の緊張から解放された満里奈は、その場で腰を抜かして涙をこぼしながら、失禁した。

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