第2話 かくれんぼ

「スー…………スー…………」


「んんー、むにゃむにゃ…………せんぱぁい…………」

 こちらの手を握ったまま眠りに着いた少女は、時々寝言を言いながら寝息を立てている。


――――ガサゴソ。

 そんな時、小さな物音が不自然に鳴った。


――――ガタッ。

 少女の手をほどき、上体を起こした。


「ふぇ? どうしたんですか?」


「ふわぁ…………せっかくいい夢見てたのに…………」


「えっ? いやな予感がする? うーん、気のせいじゃないですか?」


――――スッ。

 少女の身体を持ち上げる。


「って、えっ、ちょっと!」


――――スーー…………バタン。

 押入れの中に入り込み、ふすまを閉める。


…………


『いきなりお姫様抱っことか、不意打ちすぎます』

 二人で押し入れに隠れ、少女は小声で話し始める。


『はぁ、まさか正夢だったとは…………』


『これで物音が勘違いだったらどう責任取ってくれるんですか?』


『何の責任かって? そりゃいたずらに私をドキドキさせた責任ですよ』


『ほら、聞こえますか?』


――――ドクドクドクドク。

 少女の鼓動が早くなっている。


『ほら、すっごくドキドキしてます』


『というわけなんで、先輩に責任を――――』


――――ガタガタガタッ!

 突然、近くで大きな物音。


『うそっ…………⁉』


――――ガチャ。

 玄関の扉が開いた。


『戻ってきたんですか…………⁉』


――――スタスタスタ。

 足音は廊下で響いている。


『ちょっと、先輩?』


――――バシッ。

 押入れを開けようとした腕を少女がつかむ。


『なんで出ようとしてるんですか! 見つかっちゃいますよ』


『えっ違う? 先輩が囮に?』


――――ギュッ。

 腕をさらに強く握り、意思を示す少女。


『そんなの、嫌です…………』


――――ガサガサ。

――――ガサガサ。


――――スタスタスタ。

 そしてついに足音が和室に入ってくる。


『はぁ……はぁ……』

――――ドクン、ドクン。

 抑えきれない乱れた呼吸と心臓の音が押し入れの中に響く。


――――ガタガタッ。

 荒々しい捜索が行われる。


――――バタン!

 そして、ふすまが強く叩きつけられる音。


『はぁ……はぁ……行った…………』

 叩きつけられたのは、押し入れのではなく和室の入り口のふすまだった。


――――ガサガサ。

――――ガサガサ。

 その後もしばらく捜索は続いたが、押し入れの中がバレることはなかった。


…………


――――スウ――。

 音が完全に遠ざかったのを確認してから、恐る恐る押し入れの扉を開ける。


「はぁー、怖かった~」


「なんなんですかあの人たち、しつこいにもほどがありますよ!」


「その割に捜査は穴だらけでしたけど。べーっ」


「にしてもラッキーでしたね。まあ、むこうはなんか焦ってたみたいですけど」


「あっ、それと先輩。さっきすごくかっこつけたことしようとしてましたよね」


「俺が囮になる。キリッ! みたいな」


「馬鹿にしてないですって、漫画以外で囮がどうとか言われるとか思ってなくて、ちょっとおもしろいな~って思っただけですよ」


「いやー面白かったな~、びっくりしちゃいましたもん」

 ツボに入ったようで、少女はしばらく笑っていた。


「でも先輩、あっちは十人近くいたので囮になる意味なかったと思いますよ」


「だって、先輩を追いかける役とここを捜索する役に分担すればいいだけですし」


「何ハッとした顔してるんですか。もう、先輩こういうとこ抜けてますよね」


「暗い押し入れの中でひとりぼっちってだけで嫌なのに、それで結局捕まるとかなってたら最悪でしたよ」


「先輩と二人で捕まる方が何倍もマシです」


「…………まあ別に、先輩と一緒ならいつ捕まっちゃってもいいんですけどね」


「あっ、やっぱ今のは聞かなかったことにしといてください」


「それと先輩、ひとつ質問してもいいですか?」

 突然、声のトーンが鋭くなる。


「先輩は誰に向かってかっこつけようとしたんですか?」


「あの時、誰のこと考えてたんですか?」


「…………私? えー本当ですか?」


「そのせいで私、危うく一人で捕まっちゃうところだったのに」


「もし本当に私のこと考えてくれてたなら、そのことにも気づくと思うんですよね」


「何か他のこと考えてたんじゃないですか?」


「『誰にとか、そこまで考えてなかった』ですか。じゃあ無意識に出た行動ってことですね」


「だとしたら、先輩って私のこと全然大切じゃないんですね!」

 段々と語気が強くなっていく。


「だって、本当に私のことを大切に思ってくれてる人はあんなことしない」


「先輩と一緒にいたいっていう私の気持ちにも気づいてくれるはずなんです!」


「誤解? なにが誤解なんですか?」


「ずっとそばにいてほしかった! たとえ別々になるのが正解だったとしても、私は先輩から離れたくない」


「そのぐらい、一人は嫌なんです。不安なんです」


「それなのにっ…………先輩は、先輩は…………」


「いやだ、ひとりはいやだ…………いやだよぉ…………」


「うぅ…………っく…………ぐすっ…………」


――――バチンッ!

「触らないで…………ください」

 差し出した手が払いのけられる。


「…………ごめんなさい」


「ねぇ先輩、私の前ではかっこつけなくてもいいんですよ」


「かっこよくなくたっていいんです。かっこ悪くてもいいんです」


「私なら、どんな先輩だって愛せます」


「ううん…………私だけ、私だけがどんな先輩でも愛してあげられるんです!」


――――ガシッ!

 少女が服につかみかかってくる。


「ねぇ見せてくださいよ! 先輩の一番醜いところ」


「証明するんです! 先輩と違って、私はほんとに先輩のことだけを想ってるって」


――――ガタン、ガシャン!

 暴れる少女を何とか抑える。


「…………だから、私のことも愛してほしいのに」


「このままじゃ…………私だけじゃダメなのに」


「私が怖いんです。私は先輩から離れられないのに、このままだと先輩は私から離れて行ってしまうかもしれない」


「前に、先輩の手を握ってないと眠れないって話したことありましたよね」


「寝ている間に先輩がいなくなっちゃうんじゃないかって心配なんです」


「ねぇ先輩、どうしたら先輩は私を必要としてくれますか? 何が足りないんですか?」


「自分では結構努力してるつもりなんですよ」


「先輩、時々『かわいい』って言ってくれますよね」


「私、全部覚えてるんです」


「いつ、どこで、どんな髪型で、どんな服装で、どんな表情で、どんな仕草をしたときに『かわいい』って言ってもらえたのかを」


「そこから考えて、先輩が好きになっちゃうような、好きで好きで離れられなくなっちゃうような、そんな女の子になれるように…………私、頑張ってるつもりだったんだけどなぁ」


「さぁ、ずっと黙っていないで教えてくださいよ! 私はいったいどうすればいいんですか⁉」


……………………


「はぁ…………そうですよね。なんとなく予想出来てました。先輩はズルいから、こういう時何も言わないんです」


「それなら、こうしませんか? 先輩、私になんでも命令してください」


「私先輩のためなら何だってしますし、先輩にならどんなことされたって平気です」


「それで先輩が私を必要としてくれるなら、先輩のそばにいられるなら、私はそれで幸せです」


「それでも…………全部捧げたとしても、私じゃダメなんですか?」


「だったら、私にはどうすることもできないじゃないですか!」


「私はこんなに、こんなにも先輩を必要としてるのに!」


「どうやったって、その差は埋められないんですか?」


「…………それならもう」


「先輩をどこかに閉じ込めて、無理やり一緒になるしかないですよね」


「そしたらやっぱり、私のこと嫌いになっちゃいますか?」


「だけど、それでもいいかなって」


「先輩を逃げられないようにして、ご飯もお風呂も全部私がやってあげるしかないってなったら、先輩も私に依存するしかないですもんね」


「どうですか先輩、それでもいいですか?」


「ねぇ! 何とか言ってくださいよ!」


――――ギュッ。

 少女を強く抱きしめる。


「なにっ、するんですかっ! やめてください! これじゃダメなんです!」


「今回こそは、ちゃんと先輩の口から答えを聞かなきゃって!」


「だから、離してっ!」


――――ググッ。

 それでも手を離すことはせず、さらに力強く少女を抱きしめた。


「やめてっ、先輩…………痛い」


「ほんとに苦しいからっ、痛いよ先輩…………」


――――ガシッ。

 苦しそうな声を聴いて、さすがに少し力を緩める。しかし、少女の方が再び腕を引いてきた。


「…………もう、いいです」


「何も言わなくていいですから、今だけは絶対に離さないでください。このまま、強く抱きしめてください」


「…………私って、本当にダメですね。先輩にこうしてもらえるだけで、もう全部どうでもいいかもって」


「それぐらい……ダメになっちゃうぐらい、先輩が必要なんです」


「手をつないで眠るだけじゃ足りないんです。もっと、先輩がそばにいるって実感が欲しいんです」


「だから、感じさせてください。痛くて痛くて逃げ出したくなるくらいに」


「…………先輩」

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