第28話 愛(シエル視点)

 転移した先は、誰かの部屋のようだった。

 生活感はあまり感じられず、ベッドやテーブルには薄く埃が積もっている。

 ただ、カーペットや調度品を見ると、貧困街で見た部屋よりもはずっと上等な部屋である事には間違いない。


「……ここは?」

「なんか、あのウェインってやつの隠れ家? らしいの」

「どうしてそんな所へ? というか、さっきのアレは何だったんだ?」


 シエルが持っていた魔石はおそらく転移の魔法が込められていた。そんなレアなアイテムをどうしてシエルが持っていたのだろうか。


「えっとね、ウェインが牢屋の前にいくつかアイテムを置いてったの」

「どうしてそんな事を?」

「多分、誰かがこの状況を操っていた事に気付いていたんだと思う。『こんなにうまくいくはずがない』って言ってたし」


 ウェインの奴の方が、俺よりも状況を把握していたという事か。だが、ウェインが勇者になった事からもアモンが絡んでいたとは思っていなかったのかもしれない。

 ウェインの人生は最後までアモンの野郎に操られていた。その事には少しだけ同情してしまう。まあ、俺もアモンの傀儡であった事には違いないが。


「なるほどな……ちなみに、ウェインの隠れ家ってのは王国の外なのか?」

「ううん、繁華街と貧民街の間あたりにあるって聞いてる。詳しくはわからないけど」


 王国内に居るという事はアモンにここがバレるのも時間の問題だろう。

 ここからどうやって逃げ出すか。悠長に考えている時間なんてない。


「くそっ……いったい、どうすれば……」


 必死で頭を回転させる俺に、シエルが急に抱き着いてきた。


「……シエル?」

「ね、クライ。あたしを殺して。今すぐここで」


 俺の事を見上げながら、シエルはそう言った。


「……どういうつもりだ、シエル」

「クライもさ、限界、なんでしょ? 立っているのもやっと、あたしでもわかるよ」

「はは、バレていたか……」


 シエルの言う通り、少しでも気を抜くとこの場に倒れるくらいには眠い。この眠りに一度ついてしまったら、もう二度と目を開ける事はないだろう。


「あの変な悪魔に殺されるくらいなら、あたしはクライに殺されたい。最後に殺してくれるって約束だったけど、それが無理なのはわかってる。だから、お願い……」


 シエルはここで死ぬことを望んでいる。おそらくそれに嘘はない。

 10年も一緒に生活してきたのだ、それくらいは当然のようにわかる。


「俺は……」


 本当にいいのか。本人が望んでいようと、ここで殺してしまっていいのか。

 シエルと初めて交わした約束を、今ここで果たす事は正解なのか。

 もう時間はない。今すぐにでも結論を出すべきだ。

 足の先から少しずつ、魔力となって空気中に霧散していく。そこに痛みはなかった。

 シエルの顔を見る。10年前と違って本当に大きくなった。

 ゴブリンの俺が言うのも変だが、立派な娘に育ったものだ。物理攻撃力なら他の追随を許さない上に、全てを力でねじ伏せるような破壊力満点の自慢の娘だ。まあ、すぐに全裸になるのは玉に瑕だが。

 そんな娘を、シエルを殺す。

 そんな事初めからわかっていたじゃないか。

 俺が何をしたいかなんて、もうとっくに決まっていたじゃないか。

 だから俺は、ここで全てを終わらせる事にしよう。


「シエル、俺は――」


 俺はゆっくりとシエルに近づき抱きしめた。シエルも腕を俺の背中に回してくる。


「……うん、いいよ」


 シエルは俺の顔を見ながら、満面の笑みを浮かべていた。

 そんなシエルの両肩を掴み、俺は思いの丈を述べる事にする。


「すまんな……シエル。俺にはシエルを殺せない、いや、殺したくないんだ……」


 シエルを殺すなんて俺にはできない。普通に考えて最愛の家族を殺す事なんてできるわけがないのだから。それに関しては人間も魔族も変わらない。心ある生き物である限り、そんな事ができるわけがないんだ。


「どうして……どうして、殺してくれないのっ!」


 涙を流しながら悲痛な叫びを上げるシエル。


「……すまない」


 約束を破った俺は謝る事しかできない。

 シエルは俯き、床に水滴を落としていた。それは止めどなく床を濡らしていく。

 俺にはそれを止める言葉を与える事ができない。


「クライが殺してくれなきゃ、あたしまた一人になっちゃうじゃん! もう一人にしないでよ! もう一人は嫌なの!」

「……シエル。それでも俺は、シエルには生きていて欲しい」

「一人で生きるくらいなら死んだ方がましだよっ!」


 シエルは大声を上げるが、俺にはそれが大声だと感じなくなってきていた。


「そこまで俺の事を思ってくれて……俺は嬉しい。それが聞けただけでも、俺が生きてきた意味はあった……」


 指先の感覚が溶けてなくなっていく。


「やだ、やだ! やだよっ! もっとクライと一緒に生きたかった! まだあたしの料理だって食べてもらってない! だから、だから……うあああぁぁぁぁぁ」


 泣き崩れるシエル。俺はもう抱き留める事すらできない。


「もう、お迎えが来たみたいだ」


 最後に伝えようと思っていた言葉は一つだけ。


「クライっ、クライっ! やだ、行かないで!」

「ははは……大丈夫だよ、シエルは強い子だから。シエル――」


 この世を去る前にシエルに告げる。


 ――“愛してる”

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