第27話 掌

「えっ? ク、クライ!?」


 俺がシエルをその場から突き飛ばしたその瞬間、


「《ヘルフレイム》」


 シエルがいた場所を黒い巨大な火球が通過した。

 近くにいただけでも身体が溶けそうなほど高温の火球は、おそらく衛兵達を黒焦げにした魔法と同じ魔法だろう。それを俺達に向かって放ったという事は、


「アモン、どういうつもりだ……!」

「おおっと、避けられてしまいましたか。浄化魔法の触媒なんて生かしておけませんからね~」


 シエルを殺そうとした、その事実は沸騰しそうなほど俺の頭に血を昇らせる。

 頭で考えるよりも先に拳が繰り出され――なぜか、急に体が動かなくなった。

 体力的な問題ではなく、何かに縛られているようなそんな感覚が全身を纏っている。


「……これ、は? アモン、何をした!?」

「んっん~、契約したじゃないですか。お忘れですかぁ~?」

「契約? 契約はシエルを育てる事、だったはずだ……」


 10年前、契約したのはシエルを育てる代わりに力を得る事、だったはずだ。


「いえいえ、そちらの契約は今も守っていただいてますよぉ。少しだけ、オプションを付けさせてはもらいましたけどねぇ」

「オプション? いや、俺はそんな契約は……」

「いえいえいえいえ! 言ったじゃないですかぁ、私に危害を加える事も出来ないようにしておきましょう、って」


 正直覚えていないが、言われてみるとそんな気がしないでもない。だが、力を与えた本人に危害を加えない事を提示するのは、そこまで不思議な行動ではないはず。


「おやおや~? その顔、何もわかっていませんね。さすが、私が力を与えなければ会話すらままならなかった低知能のゴブリンですね」


 臨戦態勢だったシエルが飛び出そうとするのを手で制す。


「クライを馬鹿にする奴はぶっ殺す……!」

「シエル……落ち着け」


 俺は死に体、シエルは監獄から出て拘束を解かれたばかり、こんな不利な状況で何も考えずに飛び出すのは愚の骨頂。

 何度もシエルを諫めてきたというのに、自分の事を棚に上げて、先ほど殴りかかろうとしたのは、この際気にしない事にする。

 まずは情報を集め、冷静に対処する。それが、俺がシエルに教えてきたことだった。自分ができていなかったのは不甲斐ないが、こんな切羽詰まった状況で自責の念に駆られる暇なんてない。

 次のどの行動を起こせばいいか、冷静に考えるんだ。

 取る事ができる選択肢は、この場からの離脱かアモンの撃破の二つだろう。

 この場からの離脱は、シエルがアモンから逃げ切る事だ。だが、逃げた先にもアモンやその手下が襲いに来ることを考えると一時的な対処にしかならない。また、現状逃げる手段なんて俺は持ち合わせていない。そう考えると取れる選択肢ではないだろう。

 ではアモンの撃破はどうか。つまり、アモンをこの場で倒すという選択肢だ。しかし、俺はアモンに対して攻撃ができない。さらにはシエルも今牢屋から出てきたばかりだ。これでアモンを倒すのは不可能と言っていいだろう。

 アモンは知略を巡らせるタイプのように見えるが、そもそも元魔王軍の幹部だ。力無しにそこまでの地位に就いたとは考えない方がいいだろう。

 では、いったい俺達はどうすれば――


(……ねぇ、クライ、ちょっとだけアモンの隙を作って)


 シエルが俺にしか聞こえないように耳打ちしてくる。


(……わかった。やってみる)


 どうやらシエルには何か考えがあるようだ。

 現状打てる手はない。俺はシエルの言葉を信じる事にした。


「おいアモン! 低知能な俺にでもわかるように説明してくれないか? どうせ俺もシエルも殺されるんだろう? 冥土の土産ってヤツをくれないか?」

「んっん~! いいでしょう! 今の私はとても気分が良い! 星5の気分、いや、星6の気分です!」


 高笑いするアモン、言っている事は理解不能だ。


「いまいち何を言っているのかわからんが……説明してくれるんだな?」

「ええ、ええ。では10年前から順を追って教えて差し上げましょう」


 アモンは饒舌に言葉を紡いでいく。


「10年前の王国について説明いたしましょう。その時の王国の政治はそこそこ安定しており、反乱分子になるような派閥はあっても少数派にとどまっていました。ただ軍事においてだけは、魔王軍との戦闘が激しくなっていたため、王国の将来が危ぶまれていました。そんな最中、一つの情報が王国内へともたらされました。それが、浄化魔法の影響範囲を拡大する方法でした」


 浄化魔法については、魔族全員が知っていると言ってもいいくらいに悪名高く、天敵とも呼べる魔法だ。その魔法を受けた魔族は例外なく崩壊する。身体が空気に溶け出すように死体も残さずに消える、そんな魔法だ。

 だが、対魔族最強の魔法には様々な弱点があった。ほぼゼロ距離で魔法を打ち込む必要がある事、魔力の消費量が大きすぎて一回使ったら一か月は魔法が使えなくなる事、習得には特殊な血筋である事など、あまりにも制限が多すぎた。それだったら、もっと簡単に覚えられる攻撃力の高い魔法で、魔族を攻撃した方が早いと考えるのは当然の事だろう。


「そこで必要だったのが、触媒、か……」

「ええ、ええ。そしてその触媒を用いる方法を伝授したのが預言者になります。もちろん、触媒には若い王家の血が必要だという事も一緒に」

「預言者……?」


 シエルが触媒だという話はアモンから聞いている。そしてその預言者というのは、


「そこで国中にとある考え方が広まりました。王の子供を一人生贄に捧げるだけで、国民全員の命が助かるのだという考え方が。ですが、王はそれに従おうとはしませんでした。たった一人に愛娘の命を、国民のために捧げる事ができなかったからです」

「その愛娘ってのが、シエル、なんだな」


 横目でシエルを見るが、特に表情の変化は見られなかった。

 おそらく、アモンの隙を見逃さないように集中しているのだろう。

 であれば、俺はこのまま話を続けさせるように促すだけだ。


「後は軍のお偉いさんが旗印になってクーデターが起きました。そうして王族が殺害され、新しい政権が始まるのですが、目的としていた王の娘を捕らえる事ができませんでした。もちろん追手として出兵されたのですが、何故か全員が死ぬ結果となりました。……無論、私が皆殺しにしたんですけどね」

「そうして、俺とシエルが出会った……ちょっと待て、あの時俺の住処が襲われたのもお前のせいなのか?」


 10年前の事なので今更どうしようもないが、事の真相だけでも聞いておきたかった。


「ええ、ええ、想定していたよりも上手くいきましたがね……。魔王軍が人間の領土を侵攻する過程で、人間側でとある問題が発生しましたのは知っていますか?」

「確か、大飢饉だったか」


 あの時アモンに見せられた映像は地獄絵図だった。

思い出すだけで吐き気を催す光景。忘れたいのに脳みそに鮮烈に焼き付いていて、ふとした瞬間に思い出してしまう。


「さて、冒険者による魔族狩りのさることながら、魔王軍による人間狩りも横行していました。その時に、勇者ウェインが住んでいた村も襲われました。もちろん! 指示を出したのは私だったんですけどねっ!」


 不快な笑みを浮かべるアモン。

 俺は眉を顰めつつも疑問を投げかける。


「……勇者ウェインが生まれる事も織り込み済みだったってのか。だが、何故だ? ウェインがいなければ魔王軍が滅ぶ事もなかったのではないか?」

「ええ、ええ! その通り! ですからウェインを私は作り出したのですよ! あのバカな魔王を玉座から引きずり下ろすためにね!」

「……なに?」

「あの魔王は、魔族のために本気で人間を滅ぼす覚悟で戦っていました。ただ困った事に、それだと私が世界を支配できないんですよねぇ」

「お前は魔王を殺すためにウェインを作り出した。預言者として王国内に入っているんだから、さぞかし簡単だっただろうな……。自分の思い通りに他人を掌で転がすってのは、どんな気持ちなんだ?」


 微塵も聞きたくないが、饒舌に喋らせるために質問をしてみる。

 気持ち悪い笑みを浮かべるアモンは、なぜか俺に顔を近づけてくる。

 吐息が聞こえるくらいの至近距離でアモンは、


「最っ高ですね! 天にも昇る気持ちとは、まさにこの事! レアリティなんかでは現せないほどの悦楽! ん~S、S、R!」


 一人で勝手に気持ちよくなっているアモン。

 もうすでに勝利を手にした気でいるのだろうが、その傲慢は一瞬の油断を生んだ。


「シエル、今だっ!」

「うんっ!」


 シエルは俺の腕を片手で掴み、もう片手で何かを地面に叩きつけた。

 その瞬間、俺とシエルは光に包まれ、転送魔法を受けた時のような感覚に支配された。

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