第23話 囚われの姫君(シエル視点)

 あれから三日間、あたしの元へは食事と水を運ぶ人間しかやってこなかった。あのクソ野郎とは、あれから一度も会っていない。

 今は朝、なのだろうか。薄暗い牢屋の中にずっといる為、時間の感覚がなくなってきている。

 食事が運ばれてきた回数だけをカウントすると三日目の朝、のはずだけど。

 先ほども食事が運ばれてきたが、普段食べている物より全然豪華だった。おそらく、触媒として体力を無くさせないようにしたい、という思いがあるからだろう。

 あたしはお椀に半分ほど残っていたスープを一気に飲み切った。


「……ジニアが作ってくれたスープの方がおいしい」

「はっ、思ったよりも元気そうじゃないか」


 突然、憎たらしい声が耳に入って来た。

 人の気配に気付けないなんて、疲労が大分溜まっているようだ。


「お前はっ……!」


 いつの間にかウェインが鉄格子の向こうに佇んでいた。

 ムカつく顔立ちとすかした態度には苛立ちが募るだけだ。

 ただ、なんというか、三日前に会った時よりも疲れている様にも見える。

 ウェインの野郎の苦しげな表情を見ていると少しだけ胸がすく。


「静かにしてろ。今日は貴様にこれを渡しに来た」


 ウェインは懐から一冊の本を取り出した。そしてそれを鉄格子の隙間から投げ渡してくる。

 本を受け取ると、鎖と石畳が擦れる音が響いた。


「何、これ?」

「貴様の父が記した浄化魔法に関する書物だ。今この場では使えないだろうが、使い方だけは覚えておけ」


 浄化魔法の使い方を覚えておけ、だと? いったいあたしに何をさせたいのだろうか。あたしが浄化魔法を使えるようになったとして、ウェインには何のメリットがあるのか。

 取り敢えず、本の表紙を見る。何かが書いてあるのだろうがあたしは、


「あたし、文字読めない」

「……は? 貴様今何と言った?」

「だから、あたし文字読めない」

「……貴様は仮にも元王女だろう。それくらいの躾はされているはずだろ」

「そんなの知らないよ! あたし何も覚えてないもん!」


 文字を教えてもらっていたのなんて10年前の事だ。全く記憶にない。

 それに、父親が書いたと言われてもピンと来ない。あたしの家族はクライだけだから。

 ちなみにジニアは、人間で言う友達とか言うやつなんだと思ってる。


「ちっ……まあいい、僕が掻い摘んで説明してやる。本を返せ」


 言われた通りに本を返したら、ウェインを本を広げてあたしに見せるように本を読み始めた。

 丁寧に、かつ、分かりやすく説明する姿に、あたしは混乱していた。


「浄化魔法を使う事自体は簡単だとわかっただろ? だが、浄化魔法の範囲の拡大には特殊な魔力が必要になる、この条件に合致する人間なんてほとんど存在しない。それが――」

「それがあたしってわけ? ……そんな事より、どうしてあたしに説明するの? あたしに何をさせたいの!? クライを殺したクソ野郎のくせに!」


 ウェインは陰鬱そうな表情のまま口を開いた。


「死者への手向けに、貴様が何に使われるのかを教えてやろうと思ってね……と言われても納得できなそうだな」

「…………」


 嘘だ。こいつはそんな殊勝な奴じゃない。


「これは保険だ。僕も、あのゴブリンも、貴様も、都合よく動き過ぎていた」

「保険? それって、どういう……」

「少し待て……これを知っているか?」


 ウェインは突然、包丁の様な剣を地面に突き刺した。

 不気味に輝く刃にあたしのみすぼらしい姿が反射している。


「なに、それ?」

「こいつは《魔族殺し》、近くにいる魔族の動きが制限される魔剣。さらには魔族による干渉を自動的に防ぐ。盗聴や盗撮ができなくなるというわけだ。それで――」


 こんな場所で誰かの監視を防ぐ意味がわからなかった。

 もちろんここは牢獄、周りには人も魔族も見当たらない。


「貴様、おかしいと思わなかったか。10年前、どうしてクーデターから自分だけが生き延びたのかを」

「それは……」


 急な昔話に言葉が詰まった。

 たしかに、今ウェインが言ったような事は、思わなかった事がないわけでもない。

 だが、クライに助けられた事だけがわかっていれば、それ以外はどうでもいいと思っていた。


「どうして貴様はゴブリンに守られていた? 王国からの追手を振り切って、子供が一人で生きる事などできるはずがない。それを可能にしたのがあのゴブリンだ」


 クライは過保護というくらいにあたしを守ってくれていた、それも最初から。

 だが、クライが打算的にあたしを育てたとは到底思えない。それは10年も一緒に生活していた事から確信を得ている。

 何せあんなに人間を憎んでいたのに、あたしにだけはそんな態度を見せた事なんてないのだから。


「あまりにも都合が良すぎた、そうは思わないか。僕の場合もそうだ。10年前、自分の村が魔族によって滅ぼされた後、すぐに王国の預言者によって素質を見出され、登用される事になった。その後、僕は魔王軍討伐のために全力を注ぐ事になる」

「それで、お前が『勇者』って呼ばれる事になったって事?」

「はっ、そんな事はどうでもいい。おかしかったのは魔王との戦いの時だ。どう考えてもアレは事前に相当なダメージを負っていた」


 事前にダメージを負っていた? 仲間割れでもしていたんだろうか。

 人間と戦うのが目的なのに、そんな事をしている暇などないだろうに。


「魔王軍も一枚岩じゃなかったって事?」

「僕も最初はそう思っていたさ。だが奴は死に際に《魔族殺し》を僕に託してきた。『人間の真の敵は魔王ではない、奴は世界の敵だ』と言ってな」

「は? なんで、魔王が《魔族殺し》を?」


 聞いていると、あたしでも魔王に関しては不審な点が多いように思えた。


「そうだ。魔族にとっては忌むべき魔剣をなぜ魔王は持っていた? どんな理由があるかは推測でしかわからないが、その世界の敵である魔族に観測されるのを恐れていた、と僕はそう考えてる」

「観測? 見られてるって事?」

「ああ。だから僕は魔族を皆殺しにして、その敵とやらも殺す。そのためにも浄化魔法で世界中の魔族を滅ぼす必要がある」


 世界の敵、なんてのは正直どうでもいい。

 クライが居ない世界では、生きている意味もないのだから。


「それで……あたしに浄化魔法を教えてまで、何をさせたいの?」

「言っただろう、保険だって。もし俺が死に、貴様が生き延びた場合、この情報を持つ人間がいるのといないのでは大きく世界の情勢が変わる事だろうからな。身を守る術はいくつあってもいい」


 心底どうでもよかった。こんな奴の言う事なんて絶対に聞いてやらない、と心に決める事にした。

 でも、少しだけ気になった事があった。


「その、世界の敵、とやらの当てはあるの?」

「一応、目星は付けている。一人目は現国王、クーデターの中心となった人物だ。二人目は預言者、俺を見出した人物だ。そして最後は、貴様の所にいたメイドだ」

「ちょっと待って! 全員人間じゃないの!? それに、ジニアが敵だって言うの?」


 ジニアが裏切り者だった。なんてそんな事は考えたくない。


「本当に全員人間なのか、確証はない。魔族が化けている可能性が大いにあり得るしな」

「ねぇ! ジニアが敵ってどういう事!」


 ジニアがあたし達を騙していたとは思えなかった。

 クライと同じくらいには、あたしはジニアを信用していた。

 あれだけクライの事が好きだったのだから、あたしたちの事を騙していたなんて思えない。あたしが思いたくないだけ、なのもあるけど。


「……ジニア、あのメイドの事か。僕がそのメイドを殺した時、わずかだが魔力的干渉を感じた。あの時は確実に死んだ事だけを確認して、貴様の回収を優先したけどね」

「……え、ジニアも、殺した……!? お前えええええええええぇぇぇぇぇっ!!!!」


 殴りかかろうと拳を振り上げるが、鎖が音を立てて鳴るばかりで一向にウェインの方へ近づくことができない。


「殺す、絶対に、殺す!」 


 あたしは怒りに身を任せて、ウェインを殺すために動く事にした。


 ◆


 数分後、何もできないあたしへウェインが話しかけて生きた。


「……落ち着いたか?」


 唯一の抵抗手段として、ウェインに唾を顔に吐きかけた。

 ウェインはあたしの事を睨みつけながら、腕で頬についた唾を拭っている。


「……っ! 魔族を殺すって言いながら、人間も殺してるじゃないの! この人でなし! どうせ人間を殺しても何とも思っていないんでしょ! さっさとあたしも殺せ!」

 

 あたしがそう叫ぶのと同時に、ウェインは鉄格子を殴りつけた。


「そんなわけないだろう! 僕がっ! 少女を殺してっ! 何も思わないわけないだろうっ!」

「でも、お前は殺した……!」


 激高するウェインを正面から睨みつける。


「そうだ、僕が殺した。それは事実だ。目的のためであれば僕は手段を選ばない、最効率で目的を達成させる、それが僕だ――」


 ウェインは一呼吸入れ、


「……全部が終わったら償いでも何でもしてやる。僕の命一つで貴様らの鬱憤が晴れるなら喜んで死んでやる。全部が終わったらな」

「ふざけるな! そんな言葉で――」


 騙されるとでも思ったか、なんて言おうと思った矢先に、


「――何も言うな、ただ聞いていろ。今からさっきの続きと、貴様に渡すこれらのアイテムの使い方を教える――」


 その後、ウェインはあたしの質問に答える気がないのか、あたしの言葉を全て無視して、説明を続けてくるのであった。

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