第20話 消える前に
俺はその声の主の正面に立ち、シエルとジニアの二人を背後に隠した。
立っている男は30代半ばと思しき銀髪の青年だった。もしかしたら、もっと若いのかも知れないが、眉間の皺と目の下の隈が彼を老けさせていた。
「お前は、何者だ」
「はっ、ゴブリン風情に名乗る名なんてないよ」
彼は見た事の無い武器を構えた。俺はあまりの異様さに思わず後退る。
包丁のような見た目をしているが、刃がある部分が普通の直剣のように長い。そこから漏れ出る禍々しい気配は、俺に一刻も早く逃げろと告げてくる。
「ちっ、不味いな。シエルはジニアを連れて、逃げ――――」
「――――クライにっ! 攻撃したな、お前っ!」
シエルが単身でその男へと走り出した。
「馬鹿ッ! 止めろ!」
俺の言葉を聞いてもシエルはその勢いを殺す事なく、その男へと飛びかかる。
「ああ、丁度良かった。見つけましたよ、触媒の元姫様」
シエルがかなりの速度で殴りかかるが、その男は身体を少しずらすだけで避けた。
さらに、そのままシエルの頭を掴み地面へと叩きつける。
「……が、はっ」
受け身を取る間もなく地面へと叩付けられたシエルは、一度大きくバウンドして地面を転がっていく。シエルは地面に横たわったまま微動だにしない。
「お前っ!」
まさかシエルが一撃やられる、だと。
「おっと危ない危ない、間違えて今殺すところだった。大事な触媒には、死んでもらっちゃ困るんだよね」
まだ、生きている。そう聞いて俺は胸を撫で下ろした。
だが、あの怪我では予断を許さない状況なのは間違いない。あの男を早急に排除して、シエルを治療しなければ。そのためにはジニアにも手伝ってもらう必要がある。
「ま、まさかっ、その包丁のような魔剣。あなたが、あの、ウェイン。勇者ウェイン・ストランド!?」
ジニアがそう叫ぶとウェインは笑いながら、
「そこのメイドさんは僕の事を知っているみたいだね。そうだよ、僕がウェイン・ストランドだ。周りからは勇者なんて呼ばれているけど、周りが勝手にそう呼んでいるだけ」
勇者ウェイン、今対峙してわかる圧倒的な実力。俺の実力がどこまで通じるかなんて試す事なんてできない。最初から全力で殺しにいく。
床に転がっていた愛用の大剣を拾い肩に担いだ。
「ふぅん。その辺のゴブリンとは違うみたいだね。まあ、毛が生えた程度の違い、いや、声が出る程度の違いしかないか」
挑発してくるが見え透いた餌には食い付かない。
「ジニア、頼みがある」
ウェインに聞こえない様な声でジニアへと話しかけた。
「はい、シエル様の事ですね」
「すまんが、俺には全く余裕がない。戦っている間、頼めるか」
「もちろんです。また、皆でご飯、食べるんですから」
仲間がいる事がこんなにも頼もしいなんてな。
鎖に繫がれて死んだ目をしていた少女とは到底思えない。
ここで勇者ウェインを倒し、シエルを救う。それが今俺達のやるべき事。
本来であればこんな危機に直面する事の無いように立ち回るべきだった。だが、こうなってしまった以上は仕方だがない。もうやるしかないのだ。
「行くぞっ!」
「はいっ!」
「――《ショックウェーブ》!」
俺は渾身の魔力を込めて大剣を振るう。
剣戟が衝撃波となってウェインを襲うが、蚊を払うかのように手で払われた。
「なんだ、こんなものか」
「……な、にっ!?」
「遅いよ」
驚く暇なんてなかった。既に目の前にはウェインが立っていて、
「早すぎるっ!!」
全身を何度も斬りつけられた。幸い鎧のおかげで無傷だが、なかったら今ので挽肉になっていた。これが魔王軍を壊滅させた男か。
あまりにも早すぎる攻撃、回避も受け流しも不可能だ。鎧の性能だよりに防御するしかない。さらには何故か、先ほどから身体が思うように動かない。何の魔法を使っているのかわからないが、早急にタネを明かさなければ非常にまずい。
俺は大きく後ろへと飛んだ。距離を取られたウェインは、追撃しようとせずに楽しそうに笑っていた。
「へぇ、これで壊れない鎧、か。何かを代償に得ている力かな。鎧の弱い部分を攻撃してもいいけど面倒だな……。あ、中から壊せばいっか」
「舐めるな!」
鎧があれば少なくとも負ける事はない。今のうちにウェインを俺に釘付けにし、その隙にジニアにシエルを治療してもらわなければ。
そんな考えは、勇者に対してあまりにも甘い考えだった。
「はっ『鎧冑の戦鬼』なんて言われているのに、ただの雑魚とはね」
再度目の前に現れたウェインは俺の剣を掻い潜り、鎧の胸の部分に手を当てた。
何をされるのかわからないが、これは不味い。本能が警鐘を鳴らしている。一刻も早く離れなければ。
「死ねよ、魔族。《ショックウェーブ》」
身体が、胸が、脳が、ぐちゃぐちゃになって、目から、耳から、血が噴き出して、倒れた。
「ごふっ……」
鎧が維持できずに、自分の意志とは関係なく解除される。
全身から血が噴き出ているようだが、痛みも何も感じない。
真っ赤な空が見える。おそらく仰向けに倒れているのだろうが、目に血が入って何もかも赤く見える。
「クライ様っ!」
どこからかジニアの叫び声が聞こえる。
まだ俺の耳だけは生きているようだ。本体は死にかけているというのに。
「まあ、ちょっと希少なゴブリンってだけだったな。じゃあ、死ね」
ウェインは俺を見下すように立って、《魔族殺し》を突き刺そうとして、
「駄目ッ!」
ジニアが俺の上に被さった。
逃げろ、と言いたいのに身体はおろか、口も動かない。
ジニアは泣きながら俺を抱きしめ――血を吐いた。
「……ゴホッ」
「……馬鹿な人間。魔族を庇って死ぬなんて、ね」
視界の端には俺ごと突き刺されたジニア。
どうしてジニアを刺した? 俺だけ殺せば済む話だろう?
人間はどうしてこんなに簡単に人間を殺す?
わからない、意味不明、理解不能。
思考がぼやけて、何も考えられない。
「……クライ、様」
音が遠くなり、視界が狭くなり、意識が遠くなる。
「さて、と。すぐにでも触媒だけは持ち帰らないと」
ウェインがシエルを担いで、いったい、何をする、つもりだ。
何も動かせない、感じない、わからない。
俺はウェインを倒して、シエルを助けて、ジニアを救う。
頼む、誰か、誰でもいい、俺ができないなら、だれ、か……。
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