第10話 油の中で

 太陽が真上に差し掛かるくらいの時間に、俺はメイドの少女が寝ている部屋へと向かった。朝に一度起こそうと思ったのだが、気持ちよさそうに寝ていたため、その時は起こすのを止めたのだった。

 かれこれ半日以上寝ている彼女の肩をそっと揺すった。


「そろそろ起きてくれないか」

「……んん」

「もうすぐ昼になる。今日中に話しておきたい事があるんだ」

「……ん、昼? そんなまさかっ!?」


 メイドの少女は飛び上がり、ベッドから降りたと思うとすぐに、


「申し訳ございませんでした! ご主人様!」


 俺に向かって頭を下げてきた。


「俺はご主人様などではないが」

「え? あ、ああ……」


 恐る恐る頭を上げた少女は、俺の顔を見て驚いていた。

 大方ゴブリンが喋っている事に驚いているのだろう。


「どうだ、元気になったか?」

「えと、あの、はい……」


 どうしたらいいかわからないといった様子で、俺の顔色を窺っている。


「そうか。少し聞きたいんだが、どうして地下に繋がれてたんだ?」

「それはご主人様からの罰を……そうだ!? ご主人様は?」

「そのご主人様とやらが誰かは分からんが、この村の生き残りはお前しかいない」

「そう……ですか」


 自分以外生き残っていないにも関わらず、安堵したような表情の少女。


「ほう、あまり驚いていないようだな」

「あの、驚いては、います。でも、もうあんな苦痛を味わわなくていいんだ、って……でも、どうして助けてくれたんですか?」


 少女は左眼でじっと俺の顔を見てくる。

 魔族と対面するよりも苦痛な状況とは、いったい何をされていたんだろうか。

 右目が潰れているのはそれが原因なのかもしれない。


「お前、料理できるんだろう?」

「それは、もちろんできますが……」


 昨日の発言が嘘だったのならこの場で殺していたが、それはないようだ。


「だったら、シエルに料理を教えてやってくれ」

「しえる? ですか? ……もしかして、地下牢に最初に来た金髪の?」

「ああ、そいつだ。そいつに料理を教えてやって欲しい」

「……それは、構いませんが」


 いまいち状況を測りかねているのだろう。無理もない。

 だが、少しでも早くこの状況に慣れてシエルに料理を教えてやって欲しい。

 とりあえずは、この人間と交流を図ってみる事にしよう。たしか人間達の間では、コミュニケーションなる行動が必要だったはず。


「……ふむ? コミュニケーションとはいったい何の事だ……?」


 言葉を知っていても、意味を知らなければどうしようもない。


「あ、あの……」


 人間達の行動は難しいな。何をすればいいか全くわからない。

 というか人間で仲の良い存在なんてシエル以外には誰もいない。シエルと出会った時の事を参考にするとしよう。


「そういや名乗ってなかったな。俺の名前はクライだ、お前は?」

「わ、私は、ジニアと申します。クライ、様」


 先ほどから会話をしていて思ったのだが、どうにも俺を恐れているようには感じなかった。ただただ状況に困惑している、そんな雰囲気を感じる。

 魔族に相対した人間など、恐怖に染まり自分を見失うものなのだがな。


「そうか、ジニアか。お前は……俺が怖くないのか」

「……怖くないと言ったら嘘になりますが、昨日、助けていただいたので。あんなに

優しくされたのは初めてです」


 シエルが小さい頃にやってあげていた事をやっただけなのだが、まさかそんな事を言われるとは思っていなかった。というか、身体を奇麗にして飯食って寝るだけの何が優しいんだろうか。生きるためには必要な事だろうに。

 そんな当たり前の事すらできない状況を作り出した人間に、むしろ俺は恐怖を感じる。


「そうか……それじゃあ、さっそくお願いしたい事がある」


 本題に入ろうとする俺の言葉に身構えるジニア。


「……は、はい」

「まずは飯を作ってくれないか? 料理初心者でもできるようなやつをな」


 手始めに料理をジニアに料理を作って貰う事にしよう。味を覚える方が料理も早く覚えられるはずだ、多分。


「かっ、かしこまりました! ご主人様!」


 ジニアはそう言って返事をして小走りで部屋を出て行った。

 それを見て、俺の考えは正しかったと思うのであった。

 



 数分後、俺とシエルは屋敷の中で合流していた。


「シエル、今からジニアに料理を作ってもらうから」

「え! どういう事!? ……ってかジニアって誰?」


 俺は状況を説明した。地下牢に繋がれていたメイドの名がジニアという事、その少女は料理ができるためシエルに教えてもらうように言った事、さらには今から料理を作ってくれる事を伝えた。


「あたしのために考えてくれたんだ……ふふっ、クライ大好き!」


 抱き着いてくるシエルの頭を優しく撫でてやる。

 身体は大きくなってもこういうところは昔から変わらない。

 ちなみにだが今日は全裸ではない。良かった。


「取り敢えず、座って待とうじゃないか」

「うん。何が出てくるんだろうね」


 屋敷の中にある広い部屋の中でシエルと一緒にジニアの料理を待つ。

 人間が言う料理などした事なんてないし、調理方法なんて焼くくらいしか知らなかった。

 そもそも俺自体は火を通さなくてもだいたいの物は食える。食材に火を通すようなったのはシエルと一緒に生活をするようになってからだ。

 その後もシエルと他愛のない会話をしていると、


「あの……料理をお持ちしたの、ですが――」


 ジニアが配膳車に料理を積んで持ってきた。

 食欲をそそるような匂いが鼻腔をくすぐる。この空腹感は人間であろうと魔族であろうと変わらないはずだ。


「それじゃあ、ここで食う事にしよう」

「いえ、あの――」

「どんな料理なんだろ! 楽しみ!」

「あの、ですから――」


 ジニアが何かを言いたそうにしている事に気付く。


「どうした? ジニア」


 シエルは涎を垂らしながら料理を今か今かと待ち構えている。早く食べさせないと暴れ始めるかもしれない。


「ど、どうして――」


 ジニアは意を決した様子で、



「――床に座ってらっしゃるのですか!?」



「「え?」」


 どういう事だろうか。人間は普段の食事を立ちながら食べたりする、のか?


「それは、どういう事だ?」

「んー? 立ちながら食べるの?」


 シエルも俺と同じような思考回路をしているみたいだ。


「あの、いえ、そうではなく。こちらに椅子とテーブルがあるのに、こちらでお召し上がりにならないのですか?」


 なるほど、これらの良く分からない飾りは食事をするための物だったのか。だが、そんな所よりも地に足を付けて飯を食う方が楽なような気がする。


「まあ、どこで食っても味は変わらんだろ。ほら、ジニアもここで」


 俺は指でここに座ってくれと指示した。


「え、あの、私が一緒に食べてもよろしいので?」


 俺がゴブリンであるせいで恐れられているのだろうか。一緒に食べないなんて、仲間外れにするような事はしないのだが。


「いいから、ほら、一緒に食べよ!」


 痺れを切らしたシエルはジニアの手を引っ張って、強引に床に座らせた。その間に俺は料理を配膳車から皆の前に置いた。

 平べったいきつね色の何かに、切られた野菜が入った液体、それに柔らかそうなパンがジニアが持ってきた料理だった。


「それじゃあ、食うか。どれ……」


 きつね色の平べったい何かを手で掴んで齧った。子気味良いサクッとした食感の後に、すぐに口の中に豚の油が弾け出す。あっという間に一枚を食べきってしまった。


「う、美味すぎる!? 人間はこんなものばかり食べているのか!?」

「なにこれほひぃよぉ!?」


 両頬にはち切れんばかりに頬ぼっているシエル。

 これほどまでに人間を羨ましいと思った事がないほど、美味い。


「そ、それじゃあ、こっちはどうなんだ!?」


 薄く赤みがかった液体を口に入れた。

 たくさんの野菜の甘みが一気に口に広がってくる。柔らかくなった様々な野菜が、咀嚼するたびに旨味と幸福を俺にもたらす。


「な、何だこの素晴らしい飲み物は!? ジニア! 教えてくれ!」

「えっと、はい。その、クライ様が最初に食べたのがコートレットと言う料理で、パンくずを豚肉に付けて油で揚げたものです。今お飲みになったのが、トマトスープになります」


 コートレットにトマトスープ、その料理の名は俺の心にしっかりと刻み込まれた。 

 未来永劫忘れる事のない名称になるだろう。


「えっ! パンってこんなに柔らかいの!? あたし、もっと固いのしか食べた事なかったんだけど!?」


 一心不乱に料理を口の中に詰め込んでいたシエルが、驚いた様子で叫んでいた。


「あの、これはすぐには作れないので、作り置きをお出ししました」


 おそらく昔はシエルもそういったモノを食べていたのだろうが、何せ10年前の事だ。もう覚えていないのだろう。

 そんな事を考えていたら自分の分を食べきってしまった。

 これらの素晴らしい料理を作ってくれたジニアに感謝だ。


「素晴らしい料理だった。美味かったぞ!」


 俺は昔にシエルにもしたように、ジニアの頭を撫でた。もちろん、コートレットを掴んだ手とは反対の手で。


「いえ、あの……わ、私、は……」


 ジニアの瞳から大粒の涙が零れた。


「ど、どうした!? どこか痛いのか!」


 俺は慌てて声を掛けるが、


「わ、私、こんな風に、誰かに、褒められた事なんて、無くてっ……」


 ゆっくりとジニアの頭を撫で続ける。


「こっちに来てから、私、酷い事ばっかり、されててっ……」

「……ああ」


 シエルが小さい頃は、こんな風に突然泣きじゃくる事もあった。そんな時俺は何をしてあげていたのだろうか。ああ、そうか、思い出した。

 俺はジニアを優しく抱きしめて、頭を撫でる。


「ぐすん、あっ……」


 今ここにはお前を害する者など居ないのだとわからせる。

 ジニアは今まで張っていた気が完全に抜けたのか、腕の中で大声で泣き始めた。

 ある程度泣いてすっきりすると、今までに何がったのかを訥々と話し出す。

 ジニアの話を聞いていると、いろいろと疑問が浮かんでくる。


「そうか……。だがわからんな。どうして人間は同じ種族どうしてそんな事ができるんだ?  ゴブリン同士諍いはあっても、同じ種族ではそんな事など起きないのだがな」


 俺の疑問に答えたのはシエルだった。


「クライ、人間なんてそんなもんだよ。所詮、ね」

「なるほどな……。シエルはそれに関しては誰よりも詳しいか」


 昔食べていたものや両親の事は憶えていないのに、嫌な事は憶えているみたいだ。

 それだけ鮮烈な記憶として焼き付いているのだろう。

 王国内でのクーデターでの被害者、それが元王族であるシエルだ。

 命からがら逃げてきた所を、アモンの助言に従って俺が助けたのだ。俺が居なかったらシエルはどうなっていたんだろうか。

 死体の中で独り寂しく泣く少女。魔族に襲われるか、盗賊に襲われるか、それとも餓死するか……あまり考えたくはないな。

 ちなみにだが、クーデターは成功したらしく、今は新たな王族が政治をしているらしい。


「でも、そんな事より……いつまでジニアを抱きしめてるの!」

「……うん?」


 いつまで、と言われても。好きなだけやってもらっても構わないが……。


「最近、ちっともあたしの事抱きしめてくれないのに!!」

「ちょっと待ってくれ! というか、さっきお前から抱き着いてきただろ!?」


 それに、昔シエルが泣き虫だった頃は散々抱きしめてやった。シエルが泣く事なんて最近は見た事がないしな。

 いったいシエルは何に対して怒っているんだ。


「そういう事じゃないもん! クライの馬鹿!」

「うおっ!? 止めろっ! 皿を投げるなっ!」


 パンくずひとつ残らず綺麗に食べられた食器を投げてくる。

 床に落とさないように何とかキャッチした。もし食器が割れしまったら、掃除するのが面倒くさい。


「ふんっ! もう知らない!」


 シエルは大股で屋敷の奥へと歩いて行った。適当な部屋で昼寝でもするつもりなのだろう。


「おーい、料理教えてもらうんじゃなかったのか……」


 その時には俺の声はもう届いていないようだった。


「……ぐす、えと、あの、シエル様を放っておいてもよろしいのでしょうか?」

「ああ、気にするな。最近のシエルは何だが気難しくてな」

「えっと多分、アレは、その……」


 言い淀むジニアだが、今はそれよりも、


「まあいい。ジニアも飯を食ったらどうだ? 冷めるぞ?」

「あ、……ぐすん、はいっ!」


 俺の腕の中から出たジニアは、俺にくっついたままパンをちぎって食べ始めた。

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